「ダメなときほど「言葉」を磨こう」(萩本欽一/集英社新書)

→わたしにとって欽ちゃんといったら(世代が違うから)テレビの人ではなく、
ベストセラー「ダメなときほど運はたまる」の人なのね。
ドリフターズなんて知らないし、そもそもお笑いには門外漢で、
子どものころビートたけしの「コマネチ」でなぜみんなが笑うのかわからなかった。
まあ、当読書ブログのよさは、こういう雑食性にあるわけでしょう?
空海関連で中村先生とか井筒先生の論文を拝読いたしましたけれど、
そういう難しいのもこういう軽いのも同時に読めるというフットワークの軽さ。
「ダメなときほど運はたまる」はむかし読んでいま自分は運をためているんだと
自分で自分をごまかしたが、あれから6年経ってもダメなまま。
当方の人生のピークはたぶん、
19歳のときにまぐれでスーパーフリー大学にお情けで入れてもらったときではないか。
あれから20年以上ダメなままだが、
大成功者である萩本欽一の「運」理論によるならば、
どれほど運がたまっているのか恐ろしくなる。
結局、面接でもなんでも「上」に行くには「上」から、
こいつおもしろいなと引き上げてもらうしかないのである。
だったら、欽ちゃん引き上げてくれよという話なのだが。

大成功者、芸能界の王者の名言を引く。
これは無意味は行為で、あと5年後もダメなままなのだろうとはうすうす気づいている。
しかし、そろそろ運がたまってきたかなあ、という自己的運命論を信じたいところもある。
これまでの膨大な蓄積と奉仕的アウトプットに反比例する報われなさは尋常ではない。
スポットライトを浴びて消えて行った年下の若者たちを何人見てきたか。
そろそろ風が吹くような気がしてならないが、来世で台風の目になるのかもしれない。
いまは駒澤大学で仏教をいちから学ぶ大成功者、大勝利者にして、
なによりとびきり運がいい萩本欽一氏はいう。

「これはテレビに限った話ではありません。
何か迷ったら、自分にとって物理的な距離や心理的なハードルがあったり。
これはちょっと大変かなというほうを選ぶ。
そこにいい物語が生まれ、人生を豊かにしてくれるのです」(P32)


こういう言葉を信じて、中年男は女子大生と付き合うとか夢見ちゃダメだよ。
いや、金があれば、そういう道を選ぶのもいい。
著者は高校時代、自分よりのテストの成績がいつも悪い同級生が、
どうしてか通信簿では自分より評価がいいのかわからなく教師に問い質したという。
末端公務員の教員は正義の生徒にどう答えたか。

「萩本、悪い。先生もいろいろ立場があるんだ。
あいつの親から結構なお歳暮をいただいちゃってな。
こういうときは、成績にそれなりのことが出ちゃうんだよ」(P72)


萩本欽一少年は先生を軽蔑するどころか、正直なところを見直し、
高校生にすぎない自分に本音で語ってくれる教師を逆に尊敬さえしたという。

「世の中、お金を持っている人が得をするようにできているんだ。
インチキな仕組みだけど、こういうのが隠れた大人のルールなんだろうな」(P72)


大成功者のいちばんの恩師は、高校時代のこの国語教師ではないだろうか。
わたしには不運なことに、だれもこのインチキな仕組みを教えてくれる師匠がいなかった。
いや、いたのだろうが、愚かなわたしがそれに気づかなかったともいえよう。
中学校のころ卓球部に所属していた。
顧問はMという数学の教師で、Nという同学年の美少年をかわいがっていた。
ひとりだけある公式戦に出られるという機会があった。
みんなMのお気に入りのNが選抜されるのだろうと思っていた。
いや、勝てばいいのではないかとわたしは思った。
醜い男子だったわたしはNに試合を申し込み、
心理的揺さぶりやら弱点をつくなどいろいろして、
M教員の目のまえでNに勝った。
しかし、公式戦のひとりに選ばれたのはわたしではなく、
M先生お気に入りの美少年Nであった。
中学時代、体罰を受けた記憶は少ないが、
数学のMからひどい平手打ちをされたことはいまでも忘れられない。
数学教師のMはインテリでクールという風貌なためか女子から人気があった。

なーんか終わりを意識しながら人生を俯瞰(ふかん)すると、
ずうっとダメだったなあ、という気がしてならない。向かい風ばっかり。
しかし、著者はそうではないという。

「長い人生の中には、自分に追い風が吹いているときもあれば、
向かい風に行く手を阻まれる時期もありますが、
この時期[コント55号解散期]は風がぴたりと止んでいた気がします。
こんなときは凪(なぎ)の中で、
人生の昼休みを過ごしていればいいのだと思います」(P41)


ずっと人生の昼休みで昼寝をしていたという感もなくはない。
自分でも自分の人生がなにがなんだかわからない。
ずっと時給千円付近の派遣やバイトだったが、
機会があってハローワークに行ったらボーナスをもらえる正社員の職があるという。
まあ、ハロワ中年女性職員からは、
あんたの経歴だと正社員になれたとしても介護や警備くらいじゃないと言われた。
しかし、正社員に奇跡的になれたとしても(なりたい?)、
時給換算したらいままでの派遣やバイトのほうがいいということも起こりうるだろう。
短期のバイトや短期の派遣は給料もそこそこ(時給1200円くらい)で、
永続性がないので人間関係のしがらみが生じないというプラス面もある。
もう単純作業に戻るのがいやで、かといって経歴的に正社員は無理っぽいし、
文筆的には権威者からまったく相手にされていない。
どうしたらいいんだろう、萩本欽一先生?

「仕事を選ぶにしても、どんな仕事をしたいかではなく、
どこへ行けば戦う相手が少ないかという選び方がいいと思います。
大勢の中では勝てなくて、三人抜けば一番になるというところなら頑張りようがある。
でも六〇〇〇人を抜くのは大変だもの」(P67)


だから、河合隼雄は明恵を選んだのだろうし、
わたしもマイナーな一遍やストリンドベリ、ユージン・オニール、ピランデルロ、
グリルパルツァーに賭けたが、だれにも相手にされないことには変わりはない。
いまわたしは錯覚かもしれないが破綻寸前だし(精神的? 身体的? 経済的?)、
いやいや、携帯電話番号を公開していることからそのへんはうかがい知れよう。
なんでそんなことをできるのかといったら、やってみなきゃわからないからである。
企業はある企画を立てるとき、何度も会議をして問題点を話し合うという。
だがしかし実際は会議は無駄で、
なぜなら現実はやってみなきゃわからないからである。
成功確率90%はなにを意味してもおらず、やってみたら失敗に終わることもある。
人生のあらゆることが相談や会議ではなにも事態は判明も進展もせず、
やってみてはじめて結果が現われ、
それをどうするかの段階では会議(相談)が必要となることもあるだろう。
やってみなきゃわからないんすよ。会議をしてもなにもわからない。
事前データをいくら調べても、やってみなくちゃわからない。

なぜならそれは運だから。

大勝利者のチャレンジャー萩本欽一氏は会議が嫌いだという。

「僕は打ち合わせしてもいいものはつくれないと思っています。
たとえば、打ち合わせのときに、僕が「これやるから」と言うと、
周りが「それは○○ですか? △△ですか?」と、どんどん質問してきます。
これでは、面白いものは生まれない。
みんなが自分の頭で考えて、「きっと、こうなるんだろうな」
と思って見切り発車するくらいがちょうどいい。
そうすると当然、ズレが生じてくるんだけど、そこが面白いところなんだと思います。
ズレや違和感はとっても大事。そこに思いがけない幸運がやってきます。
それでも、みんなすぐ打ち合わせをしようとします。
「これをするにはどうしたらいいか」「こうやったらこの番組は当たるか当たらないか」と。
そういうのは無駄な時間。当たるか当たらないかは、
いくら話し合ってもわからないけれど、やってみればすぐ気づく。
打ち合わせは才能をつぶすとさえ思っています。
他にも、打ち合わせをしたがるのは、
みんな失敗をしたくない気持ちが強いからなんだと思います。
責任を取りたくないのでしょう」(P110)


1.面白いことがしたい。

2.やってみなくちゃわからない。

3.なぜならそれは運だから。

「ひとりぼっちを笑うな」(蛭子能収/角川oneテーマ21)

→難解書物を読むなかでの箸休めの一書。
元シナセンの蛭子さん「ローカル路線旅バス乗り継ぎの旅」を降板したらしいね。
なんか人気番組だったらしいけれど、本人としては
「他の番組と変わることなく、いつもどおりの自然体で旅をしているだけなのになあ……。
そして、その場その場で思ったことを、正直に言っているだけなのに」
なにがいったいおもしろいんだろうと不思議がっている。
この路線にぼくも乗れないかなあ、というか乗りつつあるというか。
元シナセンの蛭子能収は知人からこういうことを言われ心外だと思う。
「みんな、本当は蛭子さんみたいに、自分勝手、自由気ままに振る舞いたいんですよ」
元シナセンの蛯子は自分では周囲に十分に気を遣っているのに、
この言われようはなんだ。そう不快感を吐露している。
ぼくも周囲に気遣いはしているつもりだが、そうではないんでしょう?
いやさ、おれだってテレビの食レポで海老フライ専門店に行って、
いざ現物を見て「うわっ、小さあ」とかいってロケを台無しにしたりはしないよ。
しかし、シナセンに行って講師に受賞歴を聞いたり、
ぼくとどっちがおもしろいシナリオを書けるか勝負しませんか?
なんて、言っちゃうのは蛭子能収っぽくて恥ずかしい。
元シナセンの出身漫画家である蛭子能収は芸能界の常識、
楽屋あいさつをしなかったらしい。その理由はこうだ。

「別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし
むしろ僕があいさつに行くことによって、相手の自由な時間を奪ってしまうことが怖い。
それと、僕からすると積極的なあいさつというものは、
やっぱりどこか主張している感もあるので、そのような行動を控えてしまうんです」(P89)


わかるなあ。ぼくなんかも朝日賞のテレビライター山田太一さんのファンでねえ。
そりゃあ、お話したかったけれど、相手の貴重な時間を奪っちゃうわけでしょう。
そう思ったらできないよ。
ところがところが、自分はファンとして山田太一と長時間話したという、
(そしておそらく山田のコネで引き上げてもらった)沖縄の男性が、
山田太一が半身麻痺になってしまったいま、
師匠の真の言葉を広めるのは自分しかいないと思ったのか、
宣教師的態度で「自分は山田太一の真の言葉を伝える」なーんていう
トークショーを有料で6月16日にやるそうで、来ないかという宣伝コメントが来た。
それまるで宗教みたいじゃん。あなたが一番弟子なんですか?
で、山田太一と一度も言葉を交わしたことのないおれはあんたに指導されるの?
宗教ってこうして始まるんだなあと薄気味悪いものを感じた。

ひとりぼっちのさみしがりやだから、そういう商売につきあったほうがいいのかなあ。
名刺を配って交友関係を広げるみたいな。
しかし、交友社交というのは自由の敵でもある。

「長いこと、自由であることを第一に考えていると、
いわゆる「友だち」と呼ばれるような人は、あまり必要ではなくなります。
むしろ、友だちがたくさんいると、面倒くさいと感じることが多々あるくらい。
友だちはいい存在である一方で、ときに自由を妨げる存在になるからです」(P138)


「考え過ぎかもしれないけれど、僕が自由や時間を奪われるのを嫌うように、
逆に誰かを誘うということは、
その人の自由や時間を奪ってしまうということになるかもしれない。
それは本望ではありません」(P139)


出版業界って出版パーティーとか受賞パーティーが多いんでしょう?
そういうものの参加率で選考委員や受賞作が決まったりするとか聞く。
偉くなれば偉くなるほど、どんどん自分の自由に使える時間がなくなるのである。
しかし、そういう社交を完全に遮断してしまうと今度は仕事が回ってこなくなる。
本人が参加しない(笑)山田太一トークショーとか行って、
絶賛記事をブログに書いたらおいしいことがいろいろあるのかなあ。
関係ないけど、山田太一さんのご葬儀の委員長って「北の国から」の人なの?
寺山修司の葬儀委員長は山田太一だったけれども、
大学(学校)を卒業して社会に出たら男同士の友情は純粋性がだいぶ薄まる。
元シナセンの蛭子能収はそのことを正直に書いている。

「つまり、たとえ親友だったとしても、いつまでも親友とは限らないんですよ。
親友だからといって、必ずしも常に腹を割って話せるわけではない。
とくに、そこに職業とか年収の差、または家庭環境などが関与してくると、
気を遣うし、意識せずともどこかギクシャクしてしまう。
若いころは、好き勝手に、そして自由になんでも話すことができたのに、
本当に難しいものです。悲しいけれど、それが現実なのかもしれないな」(P150)


たぶんこれは男同士(女同士)の友情の場合で、
男女間の友情だったらそういうつまらない壁は乗り越えられる気がする。
いや、男同士でも歳の差があっても、あんがいうまくいくケースはある。
ぼくは派遣で知り合った大宮のAさん59歳といまだに交際があるのが不思議である。
おなじく派遣で知り合って、ありがたくも友だちになろうとおっしゃってくださった、
同世代の世田谷本部長とは無理だったようだ。
会社を辞めたとかひさびさにメールが来て、じゃあ遊びましょうよと返信したらそれっきり。
いまは再就職して優秀な彼のこと、妻子のためにバリバリ働いていることだろう。

6月はある結果待ちなところがあり暇になるっぽい。
ある人との電話で話題にあがった芥川龍之介とか読めるくらいに暇。芥川は怖い。
というか、中高の教科書以来だが、
あんなものを学生に読ませても意味はわからないだろう。
暇だから山田太一の側近のトークショーに行くのもいいのかなあ。
運転免許の更新は忘れてはいかん。
おれさ、20年ペーパーなんだけれど、
ボランティアで実技講習してくれる暇な老人とかいませんか?
その代わり過去の自慢話、武勇伝は感心しながら拝聴することを約束します。

苦しみは人を成長させるとかいう戯言があるじゃないですか?
それを佳子さまや眞子さまに言えるかって話で。
苦しみは可能ならば経験しないほうがいい。理由は苦しみは苦しいから。
かつてインドのマガタ国の王子釈迦がグルメのかぎりを尽くし、
美魔女からあどけない処女まで全身で性的快楽を味わい、
欲望の限界まで達した最後の欲望が、
世俗的権威ではなく霊的権威がほしい(聖職者になりたい)という危険な欲望だった。
そこで釈迦王子は国の保護を受けながら観光的苦行プレイを6年した。
釈迦は優秀だったのかバカだったのか、悟ったところの結論は苦行(修業)に意味がない。
自分が偉いのは、マガタ国の王子だからだ。それは前世ゆえ。
苦しみは欲望から発生するが、悟りたいというのも欲望であった。
本当はなーんにもないんだ。
みんな好きにしたらいいというのが釈迦の悟りであった。
厳しい修業を10年でも20年でもやれというのは、師匠の搾取利益のためであって、
真実でもなんでもない。もっと遊ぼうよ。きっついことは勘弁。
おそらくそれがマガタ国王子にして浮浪者になったニート釈迦の教えだろう。
おおやけには言えないことってたくさんあるじゃないですか?
紫綬褒章作家の宮本輝でさえ、
いまだ自分が恥ずかしい創価学会メンバーであることをカミングアウトできない。
空海だってさあ、本音は今日天皇と逢ってきたけれど、あいつめんどうくさい、疲れた、
ということは側近には言えても公言(文書化)できないわけだ。
おれの師匠は恵果ということになっているが、あいつが裏金をいくら請求したか。
こういうのも表にはなかなか出せない(密教の)秘密語である。
創価学会の池田名誉会長の魅力の源泉は秘密語でしょう。
小学校の恩師を講演会で大称賛したあと、裏ではこきおろしてバカにしていたとか。
いまの学会員だって裏では、なんの功徳もなく、
みじめにもあわれにも死ぬことさえできない池田センセエを悪く言うこともあるでしょう。
それが密教だ。それが釈迦の秘密だ。
釈迦だって有名な国の王子だったから、
わずか6年くらいの苦行ごっこでブッダとして認められたとも言える。
インドなんか20年、30年、意味のない苦行をしているのに、
まったく世間的には認められない乞食修行者とか捨てるほど山ほどいるから。
口では言えるが書き残せない本当の秘密の教え、それが密教と考えたらどうだろう?
「仏なんかいない」「空海はずるい」「結局は金だ」「ひとりでさみしく酒や女がほしい」――。
好きな人がわかれるよねえ、話し言葉と書き言葉。
こちらは軽い吃音持ちだから書き言葉が好きで、それを追求してきた。
しかし、書き言葉が苦手という人もいるはずである。
書き言葉は読み言葉(活字)に強く影響されるから、
どうしても新聞口調の堅苦しいものになってしまい、
それでは自分の思っていることが出せない。
吃音だから長らく電話は嫌いだったが、
それでも経年の変化はあり、いまではそこそこ大丈夫。
話し言葉がいいのは(録音されていないかぎり)記録に残らないところ。
わたしは話し言葉では言える真理(ぶっちゃけ話、ここだけの話)はたくさんあるが、
それが記録に残ってしまうと思うと書くことはできない。
ブログ「本の山」は書き言葉でしょう? 言えないことが山ほどある。
だって、書いてしまったら記録として、事実として流通してしまうのだから。
わたしの書き言葉と話し言葉のギャップはすごいよ。
それを知っているおともだちもいなくはないが、そういうのは前世からの因縁だろう。
年単位の人間関係がないと本当のこと(秘密)は言えない。
そうは言っても1回わたしと逢えばわかることも多くあるだろう。
基本、当方はどの底辺職場もうまく渡り歩いていたし、そこまでコミュ障ではないと思う。
もしかしたらコミュ障の反対の「人たらし」でさえあるかもしれない。
書き言葉では伝えられないことがある――というのが空海の真言密教であろう。
「真言宗のお経 CD付き」(双葉社)

→お経のCDが目当てで買い、
ひさびさに高校生のころからあるラジカセに入れたら作動せず、
パソコンでもいいの? と思いながら東芝のパソコンにおうかがいを立てたら、
見事お見事、聞くことがかないましたというお話。
唐の時代、(恵果の師匠の)不空が創作したという「舎利礼文」の一節が気になった。
それは――。

「入我我入」

本書の読み下し文では「入我我入したもう」だった。
大学受験時代、漢文はなぜか好きでよくやったけれど、
「入我我入」を「我に入り我が入る」と読むのが「正しい」のかどうかはわからない。
「我に入り」はいわゆる「他力」と言えなくもないだろう。
そうだとしたら「我が入る」は「自力」と言うことになる。
世界の秘密めいた宿命や運命は向こうから来るものであり、
しかしそういった目に見えない言葉にならない世界に自分から入っていくこともできる。
というか、むしろ「入我」と「我入」がイコールである。
世界の秘密たる偶然を宿命と観ずるときに(「入我」)、
自分はその見えない必然の世界に入っている(「我入」)。
「それが来たときにそこに入れ」
「それをみずから受けとめて、あえてそこに入っていこう」
「入ってくるのも入っていくのも我なんだよ」

☆   ☆   ☆

本書には葬式や法事の手順がこと細かく記されていた。
お経目的ではなく、葬式や法事のマニュアルとして有用なのかもしれない。
父にはむかしから聞いていたが2年まえあたまをやってしまったので、
先日とりあえず最新版を聞いておこうと葬式はどうしてほしいのか問うた。
やはり坊さんはいらないらしい。祖母は新興宗教の「生長の家」である。
父は墓へのこだわりが強く、ここには書けないが、いろいろめんどうくさかった。
父の葬式ってだれが来るんだろう?
母の葬式は無宗教でやって、母の友人と思しき人ふたりに声をかけたが、
あとから伝え聞いた話だと迷惑に感じていたという(香典、時間)。
精神病の母が友人と思っていた人は、みな母を迷惑に思っていたという笑い話。

わたしは母が死んだ52歳くらいを寿命として設定している。
呼ぶ人はいないから(だれもシステム上わたしの死を知りえない)葬式不要。
いちばん安いところで焼却していただき、骨はどうしてもらっても構わない。
孤独死、無縁死と聞くとみじめだが、あんがいいいものだよ。
叔父は孤独死で腐乱死体で発見されたが、いさぎよいとも思える。
ひとりとして友人はいなく血縁からも嫌われ、あっぱれ孤独死を完遂した。
この叔父は、母の味方をして、母は精神病ではないと大騒ぎをしたが、
のちには母と不仲になり、姉は精神病だからとあちこちで言い回った。
わたしは葬式で叔父を殴ろうとしたが、みじめにもぜんぶ交わされた。

しょぼい人生で終わりそうだぜ、と生まれてきたことを後悔する42回目の誕生日。
希望は来世。この世はかりそめ、本番は来世だ。
いかに自分を嘘でごまかすか? それが仏教のテクニックである。
本当は来世もなにもなくこのまま孤独と不安に苦しみながら、
ある日突然無意味に死ぬのだろう(ああ、突然死できたら!)。
血縁の死にざまを目にし耳にすると自分がどのような悲惨な死を迎えるか想像がつく。
そういう呪いの世界を生きているし、書けるものならば書きたかった。
仏教の呪術性、禍々しさ、終わらない暗さ、理不尽不合理な狂的死臭腐臭悪臭が好きでした。

「比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか」(島田裕巳/ベスト新書)

→著者もよく勉強しておられるので驚くばかり。お金が勉強させている気がする。
出版社から原稿依頼があったら、それはお金がかかっているから勉強する。
オウム真理教を擁護したとかで著者はいったん退場したけれど、
見事な復活を遂げたと思う。
退場していたときに臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の英気を養っていたのだろう。
本書はとてもおもしろく、かつわかりやすく、
日本仏教史が自分のなかできれいにまとまった感じがした。

「比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか」――。
著者の提出する解答は明快でとてもいい。
1.天台本覚論(みんな成仏できる)に逆らって最澄が厳しい修業を課したこと。
2.最澄の弟子、円仁、円珍が密教を重視して、真言宗よりも密教化してしまったこと。
最澄は弟子たちに厳しい修業をさせたが、それは天台本覚論と矛盾している。
このためまず法然が反旗をひるがえしたという。
著者によると、43歳の法然はもう出世の見込みがなくなりふっ切れたらしい(笑)。
もう修業なんてめんどうくさいことをやめて易行念仏でええやんけと。
日蓮は天台宗が密教化していることに腹を立てて南無妙法蓮華経よ。
が、日蓮の矛盾は円仁や円珍のことは罵倒したが、
密教も認めていた最澄を自己の正統性を守るという理由から否定できなかったこと。
そもそも日蓮も親鸞も存在があやふやらしい。
当時の公家たちの記録に日蓮や親鸞の名前がない。
親鸞は法然サイドの記録では末弟あつかいで、
自称高弟だったのではないかという疑惑がある。
本書でおもしろかったのは以上の指摘だが、それを言うかよ、
というタブー破りの小気味さがよろしい。
著者は一回ぺしゃんこになって(オウム事件)無敵状態になったのではないか。
わたしの言葉だと信憑性がないかもしれないので、
東大の宗教学科卒の人気ライターのお言葉を紹介する。

「最澄の場合には、天台教学と密教の関係について、「円密一致」という立場を取った。
円教とは完全な教えという意味だが、ここでは、天台教学のことを指す。
最澄は、結局は彼のもとを去る[弟子の]泰範(たいはん)に宛てた書状では、
「法華一乗と真言一乗となんぞ優劣あらん」と書き送っていた。
法華経を中心とする天台教学と密教との間に優劣はないというのである。
これが[弟子の]円仁になると、密教への評価は高くなる。
そこには、最澄が『大日経』を中心とした胎蔵界の摂取にとどまったのに対して、
円仁がそれに加えて『金剛頂経』にもとづく金剛界と
『蘇悉地経』にもとづく蘇悉地をも学び、
密教をトータルに摂取したことがかかわっていた。
円仁は「理同事別」の考え方を取り、理論的には円密一致だが、
実践の上では違いがあるという立場をとった。
これが円珍になると、天台教学と密教は実践の上で違いがあるだけではなく、
密教のほうが実践的で優れているという「理同事勝」の立場をとった。
天台では、五時教判ということが言われ、釈迦は最後の法華涅槃時において、
はじめて本当の教えを説いたとされた。
ところが、円珍は、さらにその先に「真言陀羅尼門(しんごんだらにもん)」を立て、
法華涅槃の教えさえ、釈迦の本当の教えではなく、
方便にすぎないという立場をとったのである。
円珍の著作の一つ、『大日経指帰』では、
「大乗中の主、秘中の最秘、法華もなお及ばず」と述べている。
これを最澄が聞いたとすれば、唖然としてことばをなくしたかもしれない。
だが、密教に対する社会的な需要は高まっており、それに対応して、
天台宗の地位を上げ、真言宗を凌駕するには、
密教を最も優れた教えとしなければならなかったのである。
さらに円仁の弟子だった安然(841~884年)は、
密教の方が天台教学よりもはるかに優れているという「円劣密勝」の立場をとり、
比叡山を真言宗と称するまでに至る。
こうして、真言宗の東密に対する台密の信仰が確立されていくことになる」(P78)


東密とか台密とか受験日本史で覚えたけれど、そういう意味だったのか。
実際問題、現世利益の密教だよねえ。
一念三千とか教わったって一銭の利益にもならないわけだから。
天台教学は現世利益という面においてはまったく使えない教えだった。
にもかかわらず、厳しい修業を求められるって、なにその罰ゲーム?
という感じだったのだろう。
しかるに、天台教学と現世利益を南無妙法蓮華経で結びつける日蓮が現われた。
日蓮は法華経の現世利益的記述を重視したが、
本人に現世利益があったのかなあ、という問題がある。
創価学会に入ると不幸になるんではないかと思うわけさ。
学会員って魔(厄災)が来ると、これは正法を受持している現証で、
自分を成長させるチャンスとか逆に喜ぶようなマゾ的なところがあるじゃないですか?
それって不幸を求めている態度とも言えなくはない。
まあ、幸福というのは不幸の相対概念だから、
不幸になるのが幸福への近道なのだろうが、学会員って不幸な人が多いよねえ。
使命なんか捨ててふつうの人として、おだやかに生きるのもいいのではないかと。
99%の人がどうせ大した陽の目を見ることもなくひっそり死んでいくのだ~よ。
しかし、日蓮は田舎坊主として終わりたくないと思った。
島田裕巳氏は日蓮の矛盾を的確に指摘している。
日蓮が師匠と目す最澄は密教を認めていたし、空海に師事してまで学ぼうとしていた。

「ただし日蓮は、生涯にわたって、この点で最澄を批判することはなかった。
最澄が密教を学んだこと自体にふれることもなかった。
しかし、最澄の後を継ぎ、同じように唐に渡った円仁などについては、
当初は評価していたものの、佐渡流罪中に記された『開目抄』では、
批判的な書き方をするようになり、
身延に隠棲してからは、厳しく批判するようになる。
円仁を批判するなら、比叡山に密教を持ち込むきっかけを与えた最澄を、
日蓮は批判すべきであった。
なぜ日蓮が最澄のことを最後まで批判しなかったのか、本人は述べていないが、
もしそうした試みに出ていたら、日蓮としては何をもって正しい仏法の理解とするのか、
その根拠を失っていたかもしれない。
自分が天台の伝統に正しく従っていることを示すためには、
智顗(ちぎ)と最澄の教えに誤りがあってはならない。
このことは、日蓮の生涯において隠された一つの大きな矛盾だった」(P174)


以前のご著作でも感じたことだが島田裕巳さんは円仁(慈覚大師)が好きっぽい。
たしかに10年も中国に留学しているし、
その間「会昌の廃仏(仏教禁止令)」で苦労している。
中国五台山の竹林寺で「念仏三昧」を伝授されたのも円仁が初である。
南無阿弥陀仏という声明念仏は円仁が中国から輸入したものだった。
ちょっと竹林寺にでも行くかと思って調べたら、あれは北京から行くのか。
北京は大嫌いな街だし、竹林寺も近年建て替えられた観光用らしいから、
そこまで念仏に散財することはないと思い直す。
円仁は自分は最澄を超えた(最澄の師匠である)という夢を見たらしい。
これは空海が見た、師匠恵果を弟子にしたという夢と似ている。
たしかに円仁は最澄よりも苦労しているが一般人には知られていない。
円仁は空海よりも55年も早く慈覚大師という諡号(しごう/勲章)を
天皇からもらっているとのこと。
創価学会親和性が非常に高い著者は、
「円仁は空海に勝った」とかあの人たちが大好きな勝負論を説いている。

合法節税対策団体、河合隼雄財団や、
自陣勢力拡大を目的とした河合隼雄賞で知られるあの有名なユング心理学者が、
日本の師匠とあがめたのが華厳宗の明恵である。
明恵は法然を厳しく批判したのだが、河合はそこにほとんど触れていなかった。
明恵が法然をどのように批判していたかの一端を本書で知る。

「……法然を批判した同時代の明恵による『摧邪輪(ざいじゃりん)』では、
「上人深智有りと雖(いえど)も、文章を善くせず、仍(よ)って自製の書紀なし」
と述べられている。
法然は文章がうまくないため、書き物を残していないというのだ。
実際、『選択本願念仏全集』は法然自ら書いたものではなく、
弟子たちに筆をとらせたものである。口述筆記とも考えられるが、
弟子たちの貢献がどこまでなのか、確かなところは分からない」(P99)


文章ってうまい人はうまいけれど、へたな人はどうしようもないよねえ。
なにも書き残していない釈迦の秘密は文章がへたくそだったことかもしれない。
イエスもなにも書き残していないし、レベルは段違いに低いが、
わが(踊り念仏の)一遍上人も文章を書くのは好きではなかったような気がする。
「歎異抄」を書いた唯円は日本の仏教者でいちばん文章がうまいと思う。
まあ、そこを親鸞の黒い血筋を継承する子孫たちに利用されてしまうわけだが。
声で情を出すのも天性だが(若いころの池田さんはうまかった)、
文章に情を乗っけることができたのが不遇の天才ゴーストライター唯円である。
常識に逆らうと、親鸞なんか「歎異抄」だけで、あとはぜんぶダメという気がするね。
大敗北人生を呪詛とともにまっとうした日蓮大聖人よりも、
好物のうなぎや天ぷら中トロをたらふく腹に詰め込んだ、
いまもお元気に活動なさる不死身の池田名誉会長のほうが偉い、
という見方もできなくはないだろう。
わたしもさ、池田先生と生意気にもおなじで、うなぎが大好物なんだよ。
しかし、うなぎは閉店間際の半額でも当方の金銭感覚からしたら高い。
日本大乗仏教は利益を主眼において見るとよくわかるのではないか?
厳しい修業をマゾ的に喜ぶ天台宗よりも現世利益のある密教の方がいいではないか?
まあ、修業すると自信はつくのだろうが、自信のあるやつは概して偉そうで不快。
厳しい修業が必要ない南無阿弥陀仏、いいじゃないの。
わざわざ苦しむなんてアホで、もっと楽をして現世利益を享受しようよ。
真理よりも利益でしょう――というのが創価学会なのだが、
どうしてかわたしは禍々しく黒光りする庶民の王者、
創価王国総帥の池田先生率いる創価学会からまったく相手にされず、
折伏する価値もないという評価をいただいている。ごちそうさまです。ペコペコペコちゃん。

「空海入門」(ひろさちや/中公文庫) *再読

→おい、みんな、ひろさちやさんのことをバカにしすぎだぞ。ぷんぷんだ。
ひろさちやさんは独学で仏教を勉強したから権威がなく、しかしわかりやすいんだ。
学会員は師匠病にかかっているかのごとく、師匠、師匠と上には媚び、
いったん下と見たら指導者気取りで一発かまそうとか考えるようだが、
おいおいおい、釈迦に師匠はいたかよって話だ。
釈迦は自分のあたまで考えて自称仏陀(覚者)になったって話だろう?
これまた仏教は独学の梅原猛さんもひろさちやさんも書いているけれど、
空海の師匠の恵果和尚はどうしようもねえカスだったんじゃねえかって。
反面教師っているじゃないか。
創価学会の池田名誉会長を育てたのは二代目会長の戸田城聖とされているが、
池田はアル中で女好きの金の亡者、戸田を見て、
こいつどうしようもねえなと思ったはずである。
ゴミやクズ、カスみたいな師匠が偉人を生み出すことがあるといういい例だ。
あんがい空海や池田の例を見ると師匠が人間的にカスのほうが、
いい弟子が育つとも言えよう。というか、師匠なんて必要か?
師匠はいてもいなくてもいいし、いたとしてもだれでもいいんじゃないか?
空海は師匠なんか権威を借りるための道具だと思っていたと思う。

プロレスの話をするとアントニオ猪木とジャイアント馬場を比べたら、
馬場のほうがよほど社会的にしっかりしている(金に細かく従業員から搾取する)。
いっぽうの猪木はどうしようもねえクズだとみんなが言っているわけでしょう。
だが、結果としてみると馬場の全日本プロレスは悲惨のひと言でしょう。
馬場の魔の手から脱出したのは川田利明くらいではないか。
比して猪木の新日本はいまや成長企業である。
またふたりの師匠の力道山が元ジャイアンツの馬場をかわいがり、
猪木を山猿あつかいする(人間あつかいしない)鬼畜だったわけだ。
力道山はだれに空手チョップを教わったんだよ。
仏教の悟りとプロレスの自称最強は似たようなところがある。
いまの僧侶は格闘家ではなく、自称最強のプロレスラー、葬式パフォーマーだろう。
晩年の馬場なんて、そこらへんのヤンキーでも倒せた高僧のような存在だった。
なにが言いたいのかっていうと、ひろさちやさんはガチが強いんじゃないか。
若い僧侶はみな隠れて、ひろ先生の本を読んで仏教を勉強するらしいぞ。
高僧の講義なんかわけわかんねえよって。

本書で受賞歴ゼロの仏教ライターひろさちや氏はおもしろい禅の話を紹介している。
江戸時代の盤珪(ばんけい)禅師の話だ。
師匠が弟子に京都へ行って上質の紙を買って来いと命じた。
弟子は師匠のためにえっちらおっちら京都で紙を買ってくるわけだ。
だが、師匠は「これじゃない」と弟子を罵倒する。
弟子はどこが悪かったのだろうと迷いながらもう一度京都へ行き、
人から評判を聞いて最高品質の紙を買ってくる。
しかし、師匠は「おまえはバカか!」と弟子を怒鳴りつける。
おまえは本当にアホやなあ。二度も間違えるバカがいるか。
おまえの目はなにも見えていないんだから、いっそのこと目ン玉潰しちゃろか!
やり直し。三度目の正直といいよるが、もういっぺん京都へ行って来い。
弟子は震えながら泣きそうな表情で三度目の京都へ向かった。
もうやけくそになって善悪の基準もわからなくなって京都で紙を求めた。
師匠のもとへ戻り、おそるおそる紙を差し出すと「バカヤロウ」と師匠は怒鳴る。
その瞬間、弟子は悟りめいたものを開いた。
「わかりました。ありがとうございます」
師匠は「ようやくわかったか。なーに、最初の紙でもよかったんだ」と笑顔で応じた。

これはどういう意味か、ひろさちや氏は我流の解釈をしている。
この紙でいいのかなという迷いを師匠に察知されたのがまずかった。
本当は最初の紙のときに、「これじゃあかん」と言われても、
「いや、この紙でいいんです」と自信を持って差し出せばよかった。
ひろさちやさんは過激なことを書いていて、
禅なんだから紙を丸めて師匠をポカリと殴りつければよかったとまで書いてある。
弟子は師匠に迷いを見透かされたのがいけなかった。
これでいいんだと迷いなくストレートに差し出すのが悟りだ。
さすが無師独悟のひろさちやさんだけのことはある。
このエピソードは創価学会の池田大作にも通じている。

ある人から聞いた話だが、
お元気なころの(コンプレックス過剰な)池田先生が(全国中継される)本部会で、
エリートのNHK職員の学会員をいびりまくったという。
池田先生は弟子に挨拶をさせる。「声が小さい」と池田先生は怒鳴りつける。
これが果てしなく延々と続き、婦人部からも「かわいそうよ」という声が出たらしい。
いかにも低学歴の池田がエリートの弟子に仕掛けそうなことだが、
正解は「うるせえぞ池田。声が小さくて悪かったな」だったのかもしれないのである。
まあ、本当にそんなことをやったらあとで裏で男子部にボコボコにされるのだろうが。
池田はこういう弟子いじめが大好きで、
芥川賞受賞直後の宮本輝青年にもシカト(無視)するという陰湿ないやがらせをしている。
わたしは文章力にかぎっていえば、池田は宮本輝の足元にも及ばないと思う。
宮本輝だってバカじゃないから師匠からいじめられ、
あーあ、池田もこの程度の男かと見切ったことだろう。
しかし、妻子ある宮本青年は創価学会というバックがなければ生きていけない。
このため宮本は池田に土下座文章を書いたのだろう(「無言の叱責」事件)。
現在の宮本老人は(池田が半分死んだいま)師匠格になったようで、
芥川賞の選考会ではるか年下の食えない後輩作家をいびり抜き、
池田根性、池田精神の正統な継承者であることを満天下に示している。

宗教の師弟関係っておもしろいよねって話。
梅原猛は弟子をつくり群れたがったが、ひろさちやさんは天然というか自由人というか、
そういう師弟関係を毛嫌いしているところがとてもいい。
ちなみにひろさちや先生は創価学会が大嫌い。
河合隼雄のように創価とうまく手を組めば勲章のひとつやふたつもらえただろうに、
いさぎよいというかバカというか。
しかし、アンチ創価としてはひろさちやさんは味方に思え、
そこで得をしたこともあったろう(立正佼成会!)。
ひろさちやさんは自信があったから創価嫌いを表明できたのである。
ひろさちやさんはあたまがいいから、創価も恐れをなしたと言うこともできよう。
師匠がいないで、どうやってあれだけ仏教を勉強したのだろう。

ひろさちや氏は師匠から認めてもらっていないのに自分を信じることができた。
空海だってそうで、無名の僧が違法帰国をして「(御)請来目録」ってなんだそれ?
どっからその自信は来るんだよ。
意外と知られていないが日蓮の最初の(出家したときの)師匠は念仏者で、
師匠、師匠、師弟不二と騒ぐ創価学会がたてまつる日蓮大聖人さまは、
じつのところ師匠に逆らっているのである。
師匠もなく留学経験もなく「立正安国論」を幕府に出すなんて、あったまおかしいよ。
なんでそんなに自信があるんだよ。
ひろさちやさんに話を戻そう。氏のチープなわかりやすい言葉を引いておこう。
えーと、紙の話をしていたんだっけな。

「迷いながら行動したのでは、山科から京都まで三度の往復をさせられるはめになる。
上質紙といったって、たかが紙ではないか。
どんな紙でも文句を言うな! この紙でいいんだ!
どちらでもいいが、ともかくそれくらいの自信がないといけない」(P72)


著書多数だがこれまた受賞歴ゼロの精神医学の重鎮、
成仁病院の院長である春日武彦先生も「迷い」がいけないと書いていた。
自信のないところに由来する「迷い」が医療ミスを呼び寄せると。
相続税対策をどうしているのかわからない、
幸運の女神に好かれたひろさちや先生はこうおっしゃる。
河合隼雄財団ならぬ「ひろさちや財団」をつくって、ぼくを雇ってくれないかなあ(笑)。
「迷い」はよくない。

「中途半端だから、迷うのだ。迷うから、幸運の女神は逃げてしまう。
幸運の女神に逃げられてしまえば、ますます落ち目になり迷いが深まる。
完全な悪循環である。
さて、空海は、ある意味で運命にゲタをあずけてしまった男である。
そんな卑俗な表現は空海に似つかわしくない……と言われるかもしれないが、
空海が、運命に完全に、自分をまかせきれた背後には、
「自分は仏陀である」という彼の信念があったからだ。
どんな過酷な運命であっても、運命は、仏陀にだけは反抗できぬはずだ。
そして、自分はその仏陀である……と、それだけの信念があったから、
空海は運命にゲタを預けられたのである」(P73)


わたしって自信があるのかなあ、ないのかなあ。
春日先生からのメールでは
もっとプライド(自信)を持ってくださいみたいなことが書かれていて、
え? え? え? わが文章はそういうふうに見えるのって驚いた。
自虐ができるのは自信があるからだとわたしは思っている。
高級グルメを食ったとか有名人と逢ったとかブログに書いているやつって、
あれは自信がないからでしょう?
わたしも春日武彦先生からメールをいただいたとか書いているけれど、
かの精神科医はマイナーでそこまでの有名人ではない。
しかし、唯一わたしなんかを相手にしてくれた文筆業者でご恩は忘れないぞ。
「自信を持ってください」はわたしが春日先生に申し上げたいことで、
あれだけおもしろい本を書ける人なんだから芥川賞とか直木賞なんてレベルじゃない。
ユーチューブで白衣を脱いだ春日さんを見たら妙にオドオドしていて、はああ。
わたしが現在存命の名文家を5人選べと言われたら春日さんを入れるくらいなのだから、
もっと自信を持っていただきたいが、
その自信なさげなところが名文と関係しているのかもしれない。

わたしが空海を読んだのはお金と自信が関係している。
ちょっとお金に関する案件があって、いまオシャカになっているのかもしれないが、
そのために空海を読んでいたのである。
お金がからまなきゃ、いまどき空海なんてなかなか読めない。
それから空海を読んで自信が増したよねえ。
仏教なんてほぼほぼ自分を信じるためにあるのではないでしょうか?
成り上がりものの成功者がいきなり仏教とか言い出すのは自信の補強のため。
創価学会がなぜいいのかと言ったら自信がつくからだと思う。
自分は高卒だが日蓮大聖人の弟子なのだから負けないぞって感じよ。
おれはNHKのエリートを泣かせるほど偉い池田先生の弟子なんだって。

あらあら、なんの話をしていたのだっけ? そうだ空海の真言密教だ。
東大の印度哲学科出身のひろ先生は密教は梵我一如だと言い放っている。

「インド哲学に、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という思想がある。
「梵(ぼん)」とは、サンスクリット語で「ブラフマン」といって、宇宙原理である。
万有の真理である。大宇宙(マクロ・コスモス)である。
それに対して「我(が)」は「アートマン」といい、こちらは人格的原理である。
自己そのもの――といえるかもしれない。
あるいは、小宇宙(ミクロ・コスモス)といってもよい。
そしてこの梵(ぼん)と我(が)が究極において一致するというのが、
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の思想である。
「梵我一如」――「アートマン・ブラフマン同一説」である。
これが婆羅門(ばらもん)哲学の根本思想なのだ。
そして、空海は、[入唐後]二人の印度人からインド哲学(婆羅門哲学)を教わっていた。
「梵我一如」の教説を聞いたとき、空海は、大声で、
「それよ! それよ!」
と叫んだにちがいない。「梵我一如」こそ、密教を説く鍵であったのだ!
おわかりであろう。「梵」は宇宙原理であり、だから「宇宙仏」「仏」である。
そして「我」は凡夫だ。
仏と凡夫が一如[一体]である――というのが、密教の根本教義である」(P124)


むかし創価三世だか四世の統合失調症の青年に、
法華経の「唯物与仏(ゆいぶつよぶつ)」の解釈に関して、
「自分は仏である」という秘密を告白されたが、
健常者ではなく精神障害者から「仏宣言」をされるとブルブルっときた。
しかし、空海も日蓮もああいうやつだったのかもしれないなあ。
わたしは心の奥底で仏に通じているとは思うが、いま仏でもなんでもなく、
レベルで言えば餓鬼(がき)くらいではないかと思っている。
餓鬼のみならず幼稚という意味でのガキでもある自覚はあるが、
他人からそれを指摘されたらムカつくよなあ、そこは。

*精神病院の成仁病院って創設者の片山成仁さんが自分の名前をつけたんだ。
その自我肥大っぽいところとかお名前からして創価臭がするなあ。こええ。
だれにも読まれていない過疎泡沫ブログは、
好き勝手なことが書けてらっくちんちん、おちんちん。

「仏教の思想Ⅰ」(梅原猛著作集5/集英社) *再読

→角川ソフィア文庫の空海を7冊読んで、梅原猛の解説を読み返した。
正直、空海は難しい。
これほど集中してひとりの宗教家に取り組んだのは4年まえの一休以来久しぶりだ。
空海の本の感想はネット検索しても出て来ないから。
だれもあんなものは難しくておもしろみも少なく読めないって。
だから、みんなネットで検索するだろうが、そこで我輩の記事がヒットするぞ。
そうなると「本の山」の空海観が定説に近くなるわけである。
繰り返すがみんな読めないし、読めても感想なんか書けっこないわけさ。
とりあえず空海をひと段落つけて、梅原猛さんの空海論を再々読したら、
自分がかの大学者の影響を強く強く受けていることに改めて気づいた。
梅原猛さんは本物だよ。
書くものがとにかくわかりやすくいい意味で俗っぽく、
わかりやすいというのは本当にわかっていなかったらそうは書けないんだから。
失礼ながら真言宗お偉方の加藤精一氏より梅原猛のほうがわかっていると思った。
加藤精一は言葉で伝えられないとか逃げていたからね。
本当は自分もわかっていないのに、
わかりやすく書けないのをおのれの非と認めていなかった。
おれは偉い。わからないのは読者のレベルがおれさまに達していないからだ。
どうやったらそんな傲慢な考え方をできるのか不思議だが、
それが親子三代(もっとかな?)宗門にいると常識になるのだろう。
真言宗内部にいると空海は少しの欠点もない偉人として崇拝しなければならない。

本書で梅原さんは恵果はクズだとか、天皇へのごますりがうまいとか書きたい放題。
批判はいろいろあるのだろうが、梅原猛とか河合隼雄はすごいよ。
この本は10年以上まえに一度読んでいるのだが、
空海をひと通り読んだいま読み返すと梅原猛のすごさに改めて身震いする。
そして10年かけて、わたしの理解力が上がっていることに気づく。
大学院に入りたいとか学問したいとかそういう気持はまったくないが、
そして梅原猛の専門は(仏教ではなく)哲学で、
あんなものは学問ではないという批判も知っているけれど、
それでもわたしは氏に仏教を学ぶことの楽しさを教わった気がする。
だれがなんと言おうが梅原猛は大学者である。氏いわく――。

「すべて仏教というものは、由来を尚(たっと)ぶ。
ふつうは、仏教は釈迦から伝わったものとされるが、どの仏教宗派も、
釈迦からどのような経路をへて自分のところまで
伝わったかという付法の経過を重視する。
密教は、その教祖を釈迦ではなく、魔訶毘盧遮那仏(まかびるしゃなぶつ)におくが、
やはり、付法の経路を大切にする。
一つの思想の価値を評価する方法は、古代人は近代人とはちがう。
近代人は思想をその独自性において評価する。
師の説をそのまま保持する学者、それはどんな偉大な学者であろうと、
大した学者ではないとされる。独創性がないからである。
しかるに、古代人は思想の正しさをその由来の正しさによって評価する。
それがどんなにすぐれた思想であっても、
それが何らかの古き由来をもっていない限り、
その思想は全く価値がないというのが古代人の考えである」(P378)


まったく梅原猛は加藤精一に喧嘩を売っているのかよ。
加藤精一はいちおう学者らしいが独創性のかけらもなく、
父も祖父も空海の学者だったから(おそらく歴代)、つまり由来の正しさによって、
いま真言宗のトップとして君臨しているのである。
梅原猛は学問の世界をわかっていないとも言えよう。
少なくとも学問仏教は理解していない。
わたしは学問として仏教をやるつもりはないが、それは血筋にはかなわないからだ。
なにを言おうが浄土真宗門主の大谷光淳先生は「正しい」のである。
空海の時代から学問仏教はほとんど血筋(家柄)だったのではないか。
そのことにクソッタレと思ったのが空海であり法然であり親鸞であり日蓮大聖人であり、
比叡山(大学)にも行っていない踊り念仏の一遍上人であり、
どこぞの短大を代筆卒論でお情けで卒業させてもらった池田大作先生であり、
そういうところから独創的な仏教が出て来るのだろう。
梅原猛さんもその系譜であろう。
河合隼雄の息子さんは……というのは、ここでする話かどうかはわからない。
梅原猛は空海の真言密教をじつに簡潔に要約している。

「世界というものはすばらしい、それは無限の宝を宿している。
人はまだ、よくこの無限の宝を見つけることが出来ない。
無限の宝というものは、何よりもお前自身の中にある。
汝(なんじ)自身の中にある世界の無限の宝を開拓せよ。
そういう世界肯定の思想が密教の思想にあると私は思う。
私が真言密教に強く魅(ひ)かれ、
現在も魅かれているのは、そういう思想である」(P401)


仏教なんて中国やインドからも見放されたポンコツ宗教なんだよな。
各宗派の教祖も、だれもインドに行っていない。
中国にさえ行っていないやつが宗祖になっている。
しかも権威のよりどころはたいてい中国で、中国っていまはあの中国だよ。
上野、御徒町界隈に中国人旅行者がたくさんいるけれど、
あまりのマナーの悪さに「○○人お断り」って書きたい店もいっぱいあろう。
しかし、わたしも梅原猛さんとおなじで仏教が好きだ。
中国も好きだし、インドも嫌いではない。
しかし、いまさら智顗(ちぎ)や龍樹を読むつもりはない。
現代でも大学であんなものを研究している人がいるんでしょう?
あったまおかしいよ。そんなことしておもしろいの?
わたしは梅原猛も仏教全般も「正しい」からではなく「おもしろい」から好きだ。

(関連記事)
「仏教の思想Ⅰ、Ⅱ」(梅原猛著作集5、6/集英社)

「性霊集 抄」(空海/加藤精一訳/角川ソフィア文庫))

→「性霊集」は空海の公的書類や書簡を集めたもの。本書は抄録である。
空海の本はすべて漢詩文で書かれている。漢文全盛の時代。
いまで言えば天皇も首相も政治家も英語でやりとりするようなものだ。
いま日本はアメリカの属国だが(?)、平安時代は中国の属国だったのである。
本書を読んで思ったのは、空海は法やしきたりよりも現実的利益を重視していること。
なにより現世における現実的利益がたいせつだ。
40を過ぎてなにを言っているのかと笑われそうだが、
わたしはいまでも世界には秘密のボタンがあって、それを見つけさえしたら、
そして押してしまえばパーッと人生が拓(ひら)けるのではないかという思いがある。
世界の秘密のスイッチ、人生の裏ワザ、マンパワーの奇跡的レベルアップ術、
言語未到達のこの世の果てへの隠し扉を空海は知っていたような気がしてならない。
それは神秘的なものだが、効果は極めて現実的で利益があるものである。
秘密はおそらく言葉にあろう。

ご存じのように空海を乗せた遣唐使船は嵐に巻き込まれ僻地に漂着した。
しかし、土地の役人に怪しまれ、唐の目的地へ行かせてもらえない。
遣唐大使が何度手紙を書いても天皇の親書がないため信用してもらえない。
そこで大使が中国語がうまいと評判の空海に手紙の代筆を頼む。
現代の愛国者が読んだらぶっ倒れそうな手紙を空海は書いてる。

「伏(ふ)して思いますに大唐の天子様の治めておられる御代(みよ)は、
霜(しも)や露(つゆ)が適度に降りて恵まれた土地でありますし、
そこに宮殿を造られて住まわれているのはめでたいかぎりであります。
そして賢明な天子様が次々にあとを継がれ、すぐれた方が次々に出られ、
その威徳は天をおおいつくし八方にまで行きわたっておられます。
そこで私ども日本でも天候に恵まれて天下が泰平でありますのは、
きっと中国に立派な天子様がおられるからだろうと思い、
とてつもなく大きな木を材料に用い、高山にたとえるほど大きなのみで船を造り、
唐の朝廷に使者を送ったのです」(P94)


土下座外交に近いことを空海はやっているのである。
しかし、結果的にこの書簡が功を奏して通行の許可が下りたのだから、
空海は利益を上げていると言えよう。
遣唐大使がプライドを持って正統的な外交手法で手紙を書いてもうまくいかなかった。
空海は結果(現実的利益)が方法の正しさを決めることを知っていた。
いくら正しい方法を取っても現実的に利益が出なかったら仕方がないではないか。
空海は以降、結果(現実的利益)を出しつづけるが、それが密教の教えである。
空海は長安の青龍寺で恵果和尚と出逢い秘伝を授けられる。
出逢いは偶然であり運だが、空海は偶然の裏側にあるものを知っていたのだろう。
運(うん)は「運ぶ」と書くが、
空海はまるで大空の風や大海の波に運ばれるように恵果と逢い死別している。
逢う人とはかならず逢うという運命の法則を空海は知っていた。
大空の風も大海の波も、台風も嵐も自然現象だが、
それらすべてが大日如来の顕現というのが真言密教の教えである。
20年の約束で留学に来ていた空海はわずか2年で切り上げ帰国する。
そのほうが結果的、現実的に利益になると思ったからそうしたのだろう。
そういう風や波を空海は感じたから、ならばそうするのが自然なのである。
空海はちょうどそのとき遣唐使として来た人物に帰国を願う手紙を書く。

「この私が受けて参りました密教は、仏教の心髄であり、
国の安定と安全に寄与し、災厄(さいやく)を払い福利を益(ま)し、
凡夫が仏陀に到達する最短の近道なのであります。
本来なら10年かかるところをわずか一年で成満し、
三密(身・口・意の三密、仏陀の活動)の印爾[いんじ/秘法]を
一身に体得することができました。
この宝珠ともいうべき密教の教えを天皇陛下へ持ち帰りたいのです」(P127)


密教は世界哲学ではなく現世利益のある呪術なのだと空海は明言している。
密教は学問ではなく現実的に利益の出る秘術であり秘法だ。
いまで言うならば役に立たぬ経済学ではなく、
富も健康も増し国益もあがる裏ワザであると。
世界には秘密のスイッチがじつのところ存在し、自分はそのありかを恵果から学んだ。
見栄や虚飾ではなく現実的な利益を考えよう。現実的になろう。
世界の仕組みを知っても知的満足はあろうが、それだけである。
知らなければならないのは世界の仕組みではなく世界の秘密である。
南都六宗や天台宗といった顕教はたしかに世界の解釈を教えるが、
密教のように世界を変革することはできないではないか?
このため、密教は顕教よりもすぐれている。これが真言密教である。
法律や真理、建前よりも現実的な利益のほうがたいせつではないか。
空海は朝廷に出した上申書にこう書いている。

「空海が聞いておりますが、如来の説法には二種があると申します。
一は浅略(浅くて簡単な)なる説法、
二は秘密(表面的ではなく奥深い)の説法であります。
浅略というのは一般的な経の文章(散文)や
偈(げ)とか頌(じゅ/韻文)などが相当します。
これに対して秘密というのは陀羅尼(だらに/真言)などが該当します。
たとえば浅略趣は医学でいえば『大素』とか『本草』などの
薬学の書物のようなもので、病気のもとを解説したり、
薬の内容や効能を述べているにすぎません。
これに比べて陀羅尼を誦すのは、病気に応じて薬を調合し、
それを実際に飲んで病気をなおすのに相当します。
もし病人に向って薬の効能書(こうのうがき)を読んでやっても、
それだけでは病気は良くならないでしょう。
どうしても病(やまい)に適した薬を作って飲まさなければ
病気をなおして命を保(たも)たすことにはなりません」(P176)


密教の自分は薬剤師ではなく実践的な医者だと空海は言っているのである。
昨日また橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)で大学病院の神経内科へ行ってきた。
待合室で他の患者さんと話すと担当の医師は説明が長いらしい。
親切でいい先生とも言えて、患者からの質問にはぜんぶ答える方針の模様。
はっきり言って、患者は病気の知識を得ても意味がないでしょう?
現実的に治るかどうかが重要なのだから。
ひとりの患者が20分も30分も使ったらあとが詰まるのである。
1時間15分待たされたが、わたしはあとが混雑しているからと5分で出てきた。
筋電図検査の結果を聞くと、
データ的にはまだよくないらしい(治る余地があるってこと)。
橈骨神経麻痺では代診とかいろいろな事情があり、
つごう4人の神経内科医師の診察を受けた。
その過程でわかったのは、医者もよくわかっていないということ。
ビタミン剤を飲んで自然に任せるしかないよねって感じ。
治るときは治るし、治らないときは治らないだろう、くらい。
本当のことを言うと、病気がよくなったとき、
それは自然によくなったのか医術が功を奏したのかはわからないのである。
なぜなら医者にかかっていなかったときの自分と比較できないからだ。
わたしが医者によく言っていたのは「絶対よくなるって言ってください」と。
むかしの医者はそれを言えたが、
いまの医療者はコンプライアンスだかなんだかで言ってくれないのである。
「嘘でもいいから言ってください」と頼んでも「それは言えないよ」なのである。

空海の真言密教というのは、確信を持って、なにごとも絶対よくなると断言し、
証拠として呪術的儀式(現代でいえば外科手術に当たる)をやったことである。
ほとんどの病気は自然によくなるのだから、
大日如来たる自然を深く信じることである。
死ぬときが来たら自然に死ぬだろうし、それが結果的によいことなのである。
自然というのは運であり、偶然だ。
大自然(大日如来)と一体化すれば風や波、
つまり運や偶然の流れに乗ることが可能になる。
大日如来信仰は自然=運=偶然=自分の存在を確信することではないか。
なぜなら自分とは自然そのもの、運や偶然の結晶だからである。
空海は師匠の恵果から教えられた密教をこう簡略化して説明している。

「不肖(ふしょう)私は駄目な人間ですが、先師から教えを承けてきました。
中国の唐まで行って深い教え(密教)を求めようとしました。
幸(さいわい)に今は亡き不空三蔵の付法の弟子にあたる、
青竜寺の恵果先生にお会いすることができ、
この秘密神通最上の密教を受学することができました。
恵果和尚は私にこう告げられました。
「もし自分の心の奥底がわかれば、みほとけのお心もわかります。
仏心を知ることは衆生の心を知ることです。
我心・仏心・衆生心この三心は同一なりと知れば、
その人は大覚(だいかく/大日如来)と呼ばれるのです」(P204)


私の心の奥底まで到達したらそこには父と母の性の営みがある。
どうして父と母が結ばれたのか考えると、ふたりの出逢いから始まろう。
それは偶然であり運の要素が強く、いま私が存在することを考えると、
結果的にそれは自然と言えるのではないか。
いろいろな人の縁、縦糸横糸さまざまな絆(きずな)のなかで両親は出逢った。
ならばそこに衆生心(みんなの心)の働きがあるだろう。
衆生心とはユング心理学の言うところの集合的無意識だと思う。
父と母が出逢う前提としてふたりが誕生するということがなければならない。
そうなると祖父と祖母の因縁が関係してくるし、
さらに奥底までさかのぼると大日如来が見えてくるのではないか。
としたら、私は大日如来であり、周囲のみなもまた大日如来の化身である。
私の身口意の行為が周囲に波及し、新たな男女の組み合わせ、
さらにその子孫の運命を決定づけていくのだから、
やはり私は運であり偶然であり大日如来であることがわかろう。
未来も過去も私という偶然的存在のなかに自然として備わっているのである。
ならば、私はなにをしても自由で、自分(=大日如来)を信じていいのである。
運や偶然を信じるのが、私が宇宙と一体化する秘密の鍵(かぎ)ではないか。
運がいい人というのがいる。
空海は自分を大日如来だと信じていたから外界である大日如来と一体化できた。
つまり、空海は自分の運のよさを信じていたから呪術がうまかった。
自分が大日如来ならば、すべての偶然は必然になる。
偶然を必然と観ずるのが以下の書き下し文の意味である。
すべては偶然であり、同時にすべては必然として起こるべくして起こっている。
それは自分の心が大勢の心、究極的には仏心に通じているからである。

「[恵果]和尚告げてのたまわく、もし自心を知るはすなわち仏心を知るなり。
仏心を知るはすなわち衆生の心を知るなり。
三心平等なりと知るはすなわち大覚と名づく」(P198)


現実というのは神秘的な偶然の結果でもあるのである。
現実的であることと神秘的であることは矛盾していない。
現実はありふれており、まあこんなものだが、
それを神秘的な奇跡と観ずることも可能だ。
どうしたら神秘的な利益が上がるかといえば、現実的になることだろう。
空海は女犯(にょぼん)の罪に問われている奈良仏教(法相宗)の僧侶のために、
この破戒僧をお許しくださるよう天皇に嘆願書を書いてあげている。
現実として起こってしまったことは仕方がないという現実的な見方がそこにはある。
法律や戒律も大事だが利益のほうが重要ではないか。
天皇には過去の中国の皇帝の例を挙げ、恩赦を出せば評判が上がると進言している。
評判が上がればそれは天皇自身の利益になる。
天皇が破戒僧を許したかはわからないが、
こういうことをしておけば空海は奈良仏教に貸しを作ったということだから、
新興の真言宗への当たり(批判)も弱くなるだろう。
空海は計算してこういう行為をしたとも言えるし、
まったく自然発生的な行為だったのかもしれない。

空海の人生を見ているとひどく打算的に思えるが、
これは仏陀(大日如来)が全体の利益を計算した結果と考えることも可能である。
偶然はチャンスでもリスクでもあるが、空海は法律や常識に縛られずに、
あたかも「風のように鳥のように」自由に生きている。
大学中退から始まり遣唐使船、違法帰国と空海は自由にやりたい放題である。
だが、空海の人生を見るとき、
それはまるで運命をそのままなぞっているようにも思える。
もっとも自由に自分を信じて生きるとき、その人は運命や宿命に達するのかもしれない。
どこまで自分という大日如来を信じられるかが勝負なのだろう。
おそらく言葉のない世界への隠し扉は「自信」「自由」「運」「偶然」がキーワードである。
自由に自然体で「風のように鳥のように」生きたのが、
現実的神秘家の呪術的指導者であり救済者の弘法大師空海である。