「一遍上人と遊行の寺」(富永航平/朱鷺書房)

→くだらない低質のくそ旅ライターが書いた一遍への愛情をかけらも感じない本。
しかし、著者はこの本を上梓したことで、
旅費をぜんぶ経費で落とせてほくほくだったであろう。

言葉の意味はあんがい通じないということを理解していない人はまだいると思う。
わたしが携帯電話番号を公開したのは、文字の使えなさにあきれたからといってもよい。
言葉は本当に発言者の意図するところの意味を受け手に伝えられない。
「ありがとう」だって、いろいろあるでしょう?
言葉は「ありがとう」だけど、声色を聞けば「ありがた迷惑」ということもあろう。

文字は発言者の意味の3割も伝えないのかもしれない。
創価学会の池田名誉会長の本はどれも非常につまらないが、
声としてそれを聞けば、さらに全存在としてスピーチを聞けば意味がぜんぜん変わる。
南無阿弥陀仏だって一遍の声を聞いた瞬間にガクガクしたものもいよう。
しかし、映像だけではなく声すらむかしの記録は残っていない。
いくら動画とてライブの対面にかなうものはないだろう。

今回創価学会婦人部のお偉方からお言葉でご指導を受けたが、
意味がよくわからないのである。
電話したくても、あっちは番号を公開していない。
神戸のヤクザはコメントの文章は悪かったが、声はやさしそうだった。
わたしが電話や対面にこだわるのはこのためである。
文字面だけ見てなにがわかるか? しかし、それが偏差値学問である。

文字にそれほど決定的な意味はないのかもしれない。
池田先生の言葉は文字としては退屈だけれど、
あれだけ大勢の人をとりこにしたわけでしょう。
声の質とかパフォーマンスがすごくよかったんじゃないかなあ。
おそらく鎌倉時代の踊り念仏開祖・一遍上人もそうであったのではないか。
以下はいろいろな解釈が学者によってされている一遍の歌である。

「ひとりただ ほとけの御名や たどるらん
をのをのかえる 法(のり)の場の人」


いくら連帯してもスクラムを組んでも結局はひとりなんだよという。
いっときの昂揚は楽しいが、おのおのそれぞれの仏法に帰るしかない。
死ぬときはいつもひとりである。
この一遍の歌をいまのわたしが携帯でどもりどもり言っちゃうとうさんくさいから、
これは文字のほうがいいと当方で判断した。
何度も言うが、書き言葉は通じないぞ。
会話はせめて情のようなものが入るから意味が伝わりやすい。
創価学会の池田大作名誉会長や捨聖の一遍はそういうのがうまい人だったと思う。

「遊行の捨聖 一遍」(今井雅晴:編/吉川弘文館)

→現在の一遍研究の権威者が一堂に寄稿した書籍である。
「おまえも偉いことを認めるから、おれが偉いこともしっかり認めろよ」という本。
掲載の順番で格を示すとか、先輩後輩関係をしっかりさせ、
新入りの紹介をするなど、それを言ったらおしまいだが、
読者に向けて書かれた本ではないような気がする(ごめんなさいであります)。
40を過ぎてうすうすわかったけれど、学問の世界も仏門もそういうシステムなんだよねえ。
新しい主張をしてもよほど強いバックがいないとまったく相手にされない。
長老(中村元)がいらして彼は神聖化され、
子分たちが先輩後輩のいじましい関係を生きる。
長生きしたら少しずつミリ単位でポジションが上がっていくシステムになっている。
また創価学会の婦人部さんからメールで叱られたけれど、
学会の座談会に参加してみたいってそんなにおかしいことなのかなあ。
壮年部の面談を受けろって言われて、ハイ構いませんと答えたのにNG。
面談を受けるとか値踏みをされるってことなんだからそうとう屈辱的なことなんだよ。
座談会くらい、ほいさって誘ってくれないもんかねえ。
浮間舟渡にも学会員さんは生息しているんでしょう(北赤羽に会館がある)?
気楽に誘ってくださればいいのに、
いまの創価学会は(よく知らないけれど)ライオンズクラブみたいなの?
一見さんお断りの紹介なしでは行けない高級料亭なんですか創価学会は?
なにが庶民の団体だよ。
「信心がまだ足りない」とか言われたって、
そもそも座談会や勉強会に行かなきゃ、
雰囲気や教えもわからないじゃないですか?

コメント欄で言われた。
「いまのおまえは無職で貧乏な中年男。役立たずだから創価学会はいらない。
もし入りたければ土下座でもしろ」って、なぜか神戸の山口組のヤクザさんに。
誤解しているのは、まず見なきゃならないじゃないですか?
入るとか入らないは座談会を何回か経験したあとでしょう?
昭和初期のあれな時代じゃないんだから、いきなり入れ、よしOKはダメでしょう?
「来るもの拒まず去るもの追わず」がいい宗教だと思うなあ。
一遍は入信者を拒んだことがないわけではないが(あじさかの入道)、
基本的には「来るもの拒まず去るもの追わず」だったような気がする。
一遍の時宗に参加するようなものは、ほかでは相手にされないものばかりだったから。
あまりにも美少女の度が過ぎて、
13歳のころから村の若い衆にまわされ知能に障害を持ってしまったもの。
指が五本以上あるものや(20本!)、ふたなり(両性具有者/半陰陽)。
そのふたなりがとびきり美しく、
いまのAKBなんか比較にならぬほどロックでフリーで淫猥な踊り念仏を舞うのである。
破れだらけの貧相な法衣からは、見えてはならぬものもちらちら見えたことだろう。
わたしは一遍時宗集団は見世物小屋の巡礼のようなものだったと思う。
親から捨てられた不具や片輪は一遍の南無阿弥陀仏に救われたのである。
人間、明日死んでしまうかもしれない。
死んだら上質覚醒剤をはるかにオーバーするハッピー極楽世界に往ける。
ならば、なぜ全身で喜びをあらわさない? いいから、踊れ! もっと踊れ!
もっと過激に、もっと自由に踊れるだろう! それが一遍の南無阿弥陀仏だ。

ならいまも細々と残っている時宗へ行けと言われそうだが、
あそこはもう完全な伝統仏教になり、言葉は悪いが死んでしまっているのである。
去年、一遍ゆかりの寺に踊り念仏を見物しに行ったが、
住職はまろやかな常識人で妻子もおられ、それを壊すってわけにはいかない。
どうせ一遍業界(長老先輩後輩)からは、わが解釈は誤りだとされるだろうし。
いま長老的になっていない本当の宗教家などいるのだろうか?
日本戦後史でいちばんおもしろいのは創価学会の大躍進なのである。
現世に絶望したひとりの庶民の座談会に参加したい――。
こんなわずかな願いでさえ上のハンコをいくつも必要として、結果否となるのか?
そこまで創価学会は官僚主義になったのか?
わたしは仏を信じている。
一遍が熊野詣でをしたとき律宗の坊主が念仏札を受け取ってくれなかったことに悩む。
律宗の僧侶は仏は信じるが、阿弥陀仏はどうも……と言ったようだ。
その晩、一遍は熊野神社の神から夢告(託宣)を受ける。
おまえの南無阿弥陀仏がもろびとを救うと思うなよ。みんな救われている。
このとき一遍はあらゆる神や仏が同一の絶対存在であることを身をもって知ったのだろう。

わたしは一遍とおなじで神も仏も信じている。大きなものを信じている。
インドに行けばヒンドュー教の神に礼拝するだろうし、
ミャンマーに行けば小乗仏教の仏さまに深くこうべを垂れるだろう。
キリスト教の教会に入ればイエスに祈るだろうし、モスクに入ればアッラーに祈る。
今年はまだ行っていないが初詣に行ったら日本の神々に祈る。
海外で宗教はなにかと問われたら、胸を張って仏教徒と答えるだろう。
学会員の庶民とか、本当は本部職員が大嫌いなんでしょう?
こっそり座談会に参加させてくれるところがあったらご連絡ください。
男子部でも壮年部でも。東京近辺で。
いまの婦人部の方はブログ「本の山」が大嫌いらしいので。
いつから創価学会の座談会は高級クラブのようになってしまったのだろう。
池田先生が泣いているぞ!

yondance1976@gmail.com
080-5188-7357(土屋顕史/自称一遍研究家/日蓮大聖人さまに偏見なし)
らりピーことのりピー(酒井法子)のセリフみたいだがわくわくしようヨ♪
ある人からの年賀状に「今年もわくさくさせてください」と書いてあった。
昨夜ミャンマー大使館にネットでビザを申請したら今日にはもう来ていた。
おれちょっとやばいからビザおりないんじゃないかと思ったら即日発行50ドル。
あとはこれをだれの家で印刷させてもらうかだが(航空券、ホテル予約票ともに)。
7万円でミャンマー往復航空券を取った。
ヤンゴンのホテルも一泊1700円で3日分予約。今日50ドルのビザも到着。
これはもうミャンマーに行くしかないっしょ。
むかしビルマに行きたいとブログに書いたとき、おまえは口だけムリムリムリ。
おまえは口だけ実行しない、とコメント欄で書かれて、
たしかにこの年齢と経済状況ではミャンマーに行けないと思った。
若い人はわからないだろうが、そのくらいオーバー40は身体が弱っている。
でもまあ、ここまで来たらお金がもったいないから行くっしょ?
ここにいたるまでものすごくめんどうくさかったけれど。
とりあえずヤンゴンのホテル3日は取った。
あとも取ろうと思えば日本で事前に取れるのである。
でも、それではわくわくしないじゃありませんか? こころにぼうけんがない。
ヤンゴン3日までは安全ホテルで、あとは風まかせにビルマの大地を歩いてみよう。
大げさだが、わくわくするとはそういうことだ。
わたしは見知らぬ人と逢いたいし話したいし影響を受けたい――わくわくしたい。
いまちょっとした案件がこじれているが、わたしの原点はわくわくしたいである。
知らない人に逢ってその価値観に刺激されてわくわくしたい。
こどもなんだなあ。なにも知らないんだなあ。なにかを知りたいんだなあ。
創価学会という名前を外で聞くことはめったにない。
一度だけいやな思いをしたのは、近所の秋のお祭りのとき。数年まえだったか。
町内会のはっぴを着た(←どうせ町内会費で買ったんだろう)
地元の赤ら顔のおやっさんたちが、公明党の選挙カーをはやしたてていた。
「おまえらは創価だろう? 創価はいいなあ。ほうら、学会学会(嘲笑)!」
ウグイス嬢には100%セクハラと認識されかねない暴言を吐いていた。小狡くも集団で。
いじめのような感じがして、ものすごくいやな気分になったものである。
浮間舟渡のお偉方の町内会委員先生の酔っぱらってのお遊びといえばそれまでだが。
うちは浮間舟渡に入って10年近くになり、
町内会費を欠かしたことがないが(引き落としの強制徴収)、
いい思いをひとつもしたことがない。本当にひとつもない。なにもしてくれない。
毎年決まって長老連中がおいしいところをひとりじめするのみ。
祭りのときに神社が大音量で流すスピーカー音を「うるさい!」と言いに行ったときは、
「おまえはおかしい!」と精神病院行きを示唆され、
祭りなんだからもっといいだろうとさらにスピーカー音を上げられたものである。
酒の一杯ふるまわれることはなく、
長老は座ったまま立ったままの当方をにらめつけていた。
おいしい思いをしている地元長老権力者とかいっぱいいるんだろうなあ。
彼らが酔っぱらって公明党の選挙カーを「やーい、創価学会」とからかう。
「池田のけつでも舐めてろ、やーい、創価学会」
浮間舟渡とはこういう田舎町である。
10年町内会費を払っても、なにもしてくれない。
祭りのスピーカーがうるさいので抗議に行ったら、逆に音を上げられてしまう。
弱いものには強く、強いものは威張る田舎町、浮間舟渡は東京と埼玉の境界にある。
大ざっぱに言うと、
昭和に入るまでは庶民の生活と仏教がうまくかみあっていなかった。
いまの庶民と大学アカデミック世界のようなもの。
大学は大学で勝手に無意味な出世争いをして、
研究の成果とされるものが大本営発表ではあるが庶民の生活にはまったく関係ない。
仏教界も内部は利権争い、出世競争。
庶民の生活にかかわるのは、葬式や法事と言った高報酬イベントだけであった。
庶民は仏教のことをなにもしらなくてよく、ただ仏教イベントで、
意味のわからないお経や法話を聞かされべらぼうなタレント料(出演料)を支払った。
このいびつな関係を壊したのが創価学会なんだな。
お葬式に坊さんはいらないじゃん。
仏教の意味はよくわからんが、
わかるようにして、庶民の生活に活用できればどんなにいいか?
仏教を媒介にして生活者の連帯ができれば、為政者の横暴にも屈せずに済む。
税金とか、ちょっとした処理をすれば払わなくてもいいものはあるでしょう?
当方はよく知らんがきっとあるはずである。
そういうのを庶民の連帯を通じて教え合っていけばいいのではないか?
どうせ税金をいくら払おうが政治家の遊興費に化けるだけなんだから。
ひとりは無力だが、ひとりが孤独を超えて連帯したら――というのが、
初期創価学会であり宮本輝の文学世界だったのだろう。
むろん、人びとが連帯するとめんどうなことが増え、孤独のよろしさは半減する。
いま創価学会からの連絡待ちである。
一度座談会に参加させてくださいとお願いしたら、
壮年部の男性の面談(指導?)を受けろと。こちらは、ハイ、お願いします、である。
いま重度の橈骨神経麻痺で左手は動かず、逆流性食道炎の状態もよくない。
昨日は住民税のなんたらが来て去年これを無視したら、
当方の感覚では狂人めいた税金を1年にわたって支払わされた。
確定申告の書類は送ってこない。
税務署に電話して聞くが、月曜だから混んでいることだろう。
「地球の歩き方 ミャンマー ビルマ 2017-2018」(ダイヤモンド社)

→本書は現地ではとても役立つんだけど(スマホできないおっさんは)、
日本で「地球の歩き方」を熟読してもねえ。
ミャンマー(ビルマ)って金ぴかの寺や仏塔しかない国じゃん。
だれがこんなガイドブックを買って、かの国に行こうと思うのか。
毎日、金ぴかの寺や仏塔と対峙してもわが腐敗した魂は変わらんと思うがね。
行きたいわけではないが、エンペラーもモンラーも掲載されていない。
エンペラーは冗談半分で行くかもしれないけれど、女嫌いだからねえ。
おっと、男はもっと嫌いよ。女よりも男は嫌い。しかし、うぜえババアはなによりも嫌い。
寺とか仏塔とか興味ねえし、
ヤンゴン環状線(山手線)3時間ひとりツアーくらいが目的かな。
気に入ったら降りて、そこのボスと酒を飲み交わす。
バゴンとか言われてもアンコールワットも敦煌も、
けっ、ディズニーランドレベルだと思ったわたしだから。
旅では人との出逢い別れ再会がおもしろいんだ。
わざわざ物価の高い観光地に行くのは、
そういう日本語ペラペラの変な人に逢いたいから。
おもしろい人に出逢いたいから旅に出る。
いまさらバガンとかマンダレーを見て感動するにはすれっからしになりすぎている。
バガンもマンダレーも仏教の聖地っぽい。
いや、行くけどね。目的は変な人に逢えないかだからさ。
行くのはめんどうくさそうだし、行ってもチャチいんだろうけれど。
ゴールデンロックにも行くよ、変な人と逢いたいから。
本音では観光地なんかどうでもいいから、変な人と出逢いたい。
彼(女)から「なま」のミャンマーを教えてもらいたい。
こんなことを書いてビザおりるかな。
ミャンマーにお詳しい方がもしいらしたら、せつにご連絡をお待ちしています。



※ミャンマーにはビール以外の酒もあるじゃん。
http://sekai-issu.com/beer_asia4.html(←大感謝)
釈尊、釈迦のようなことを言うが煩悩(ぼんのう/欲望)がなくなって困っている。
ふつうお坊さんは煩悩をなくそうとして修業するわけでしょう? 座禅とかして。
でも、わたしの場合、加齢のためか一遍研究のためか気づくと煩悩が枯れていた。
涅槃(ねはん)に近づいたんだからいいじゃんとも言えるが、
煩悩がないと人生がつまらん。
街でどんな美女を見てもネットでタレント美女を見てもこころ動かない。
出世欲も消えていて、芥川賞とかそういうのにもさっぱり関心がなくなった。
まあ、いんちきな「悟り」みたいなものに近づいたんだからいいじゃないかとも言えるが、
こうなると人生がつまらないのである。
むかしはそれなりにワイドショー的関心はあったが、いまはまったく消失している。
犬猿の仲のシナリオ・センターが繁盛していると聞いても、ふーん、だから?
ビルマに行って瞑想修行をすることも考えたが、あれは煩悩断絶の修業でしょう?
わたしは人生がつまらないから、
独自仏教研究(笑)で消えた煩悩を復活させたいのである。
そういう思いもあって、欲望の絢爛豪華な結晶ともいうべき創価学会に救いはないかと。
あるつてをたどって創価学会の座談会に参加させてください、
とお願いしているが返信はない。
いい歳をして若いアイドルに夢中になるなんて格好悪いけれど、
なにかに夢中になれるということはとてもすばらしいことだと思う。
つまらんねえ。なんにもねえったらない。味気ねえ。
あんまりにも空しいから、
うそでもいいから一瞬でいいから色めきだちたいなんて思ってしまう。
いま左手が動かない。
昨日医師ふたりも橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)と診断。
どちらかといえばお詳しそうな先生によると、かなり重度の橈骨神経麻痺らしい。
いつかは治るだろうと希望の言葉をいただけたので嬉しい。まあ治る、いつか。
緊急で科を違えての連携をしてくださったあの漢方医および病院への感謝は尽きない。
処方薬はやっぱりいつものメチコバールだったが深い安心を得られた。

先生はいいことを教えるとされている。
わたしは悪いことを教えてくれる先生がいたらいいなと。
酒はそこそこやるが、タバコもギャンブルも女遊びも、
悪いこといっさいをわたしは恥ずかしながら師匠がいなかったためか知らない。
節税方法もなにもかも大学出にもかかわらず、実際世間知はゼロである。
庶民はすごいよなあ。
わたしも庶民だが、節税対策はほとんど知らないし、
いろいろ細かな裏の知識に関しては幼稚園児レベルである。

悪い先生ってかっこいいよなあ。
公立中学のころの社会の先生は教え子何人かをフーゾクに連れて行ったらしい。
社会を教えるってそういうことだと思う。
あの先生は人気があったし、わたしも好きだったから、特定とかされたくない。
唐突だが、創価学会の戸田先生や池田先生は(いいことも教えたが)、
悪いこともちょろっとそれとなく教える名人だったのではないか?
戸田さんなんか池田名誉会長に借金の取り立てをさせたわけでしょう?
きっと悪いことをいっぱい教えたことだろう。

先生がほしい。まあ弟子もいたら悪くない。師弟不二は正義でR♪
師弟の恩こそすばらしきものなし。
わたしの師匠は結局、ドキュメンタリー映画監督の高卒原一男大学教授なんだなあ。
原先生の出世作で代表作で、
売れない中年映像作家を天下の大学教授までおしあげたのが「ゆきゆきて、神軍」。
ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」において、
ヒーローであり主人公の奥崎謙三は「神の法」を説いている。
世の中には世間法があろう。それは常識というやつだ。
国家法がありますでしょう。それは赤信号を渡ってはいけないというあれだ。
自分は「神の法」=わたくしの法律にしたがって生きるが、どこが悪いか?
なぜ世間法(常識)や国家法(憲法)より、わたくしの法律(=神法)は劣っているのか?
わたくしはわたくしの法律に生きると宣言して、
実際に(なかばうす笑いで)行動して、みんなからうす気味がられ、
最後は殺人未遂の収監者になったのが奥崎謙三で、
彼をドキュメンタリー映画に撮影して数々の賞を取り大学教授にまで成り上がった、
高卒の原一男先生は国家の勲章や評価をまこと正常か、それ以上に過剰に受けている。
最近、つくづく思うのはわたしに継承された原一男遺伝子。
わたしは自分の法律(?)を常識や憲法より重んじている狂人めいたところがある。
しかし、受けられるのであれば国家の補助はできるだけ受けたいという、
師匠ゆずりのちゃっかりとした姑息な部分もしっかり継承している。
「ゆきゆきて、神軍」の未公認自称弟子はこのさきどこへ行くのか――。
真否はわからんがネットをほじくっていたら一説によると、
橈骨神経麻痺(とうこつしんけいまひ)にかかるのって年に5万人のなか、
そのうちわずかひとりくらいだぞ。
母から目のまえで自殺されるのもそうだけれど、ぜったいなんか持ってる俺。

昨夜、鍵コメントで「カツを入れてやるから電話して来い」と電話番号と名前が。
ネットで調べたら警察も震え上がるようなヤクザの会長さんなんだ。
ふつうは悪戯だと思うのだろうが、
わたしは「5万人のひとり」だからおそらくかけてしまうような気がする。

今日もまた午後信濃町に行くよ。
学会員さんはなにか言いたいことがあったら電話してきて。
わたしは「5万人のひとり」だから、なにが起きても不思議はない気がする。
橈骨神経麻痺は顔面神経麻痺とは異なり生活全般の質を低下させるからしんどい。

(続き)電話をしてみたら悪戯コメントだった模様。そういう悪戯はやめようよ。
こっちの組員さんもべつに威圧的でもなくふつうに対応してくれました。