山田太一ドラマ「タクシー・サンバ」第2話「愛のかたち」の話をしたい。
1981年(昭和56年)にNHKで放送されたタクシー営業所を舞台にしたドラマである。
タクシー仲間の連帯の強さを描いたドラマという角度でとらえることもできる。
こういったら俳優に失礼になるのかどうか、
いかにもいかにもどうしようもなくモテなさそうなルックスの
タクシーの運ちゃんがいるのである。キャスティングとしては最高である。
病身の母がいるとかで嫁のキテがないが、あきらかにルックスがあるだろう。
何度見合いをしてもうまくいかない。
当時のタクシー運転手といえば、そうとう稼げる職業だったにもかかわらずだ。
そこで既婚中年の班長がおせっかいを焼いて、
これはお似合いではないかという若い女性(榊原郁恵)を見つけて、
そんなことをするのは人生で初だが見合いを設定してやる。
さすがにこのモテなさそうな男と若くてかわいい
榊原郁恵とは吊り合わないだろうと思うが(ミスキャスティング!)、
タクシー運転手と弁当の移動販売車のバイトでは収入的にはOKなのかもしれない。
当時は25歳を過ぎると女性は嫁のもらい手が減少したというし、
そのうえ女性の社会進出はぜんぜんだったから、
この程度で手を打てよというところが社会常識だったのかもしれない。
おかしいのは子持ち中年の班長さんがもう嫁との関係は冷え切っているのに、
同僚の若者に嫁を世話してやろうというところである。
モテない不細工と榊原郁恵は見合いではどちらも断ったが、
その後偶然にも再会して、まあこの程度かなあ、と付き合いを始め、
はああ、ひとりでいるよりはいいかと結婚しようということになる。
そのことを報告され怒るのが班長である。
自分が見合いを設定してやったのに断っておいて、
その後に結婚するなんてふざけている。
なにより憤懣を感じるのは、おまえらがまったく愛し合っていないのに、
お互いさみしいからというようないいかげんな気持で結婚しようとしていることだ。
そりゃあ結婚して数年も経てば愛はさめるだろうが、
結婚するときくらいこの女が世界でいちばん、
この男が世界でいちばんと思ってしろ。
おれはおまえらがそう思うまでこの結婚を許さないからな!
そういう障壁ができたことで盛り上がったのかふたりは愛し合い(本当かよ?)、
見合い結婚ではなく恋愛結婚をするにいたる。

もうひとつの愛のかたちは緒方拳である。
元エリート商社マンで仕事に夢中になって女房子供から逃げられた。
会社からも見放され、人間不信になりいまはタクシードライバーに身をやつしている。
たまたまタクシーに乗せた若い美女(大原麗子)が自殺願望を持っていることを知る。
金で解決できることなら金を貸そうと言い出す。いくら必要なんだ?
大原麗子は200万だと言うが、当時の200万円がいまのいくらかはわからない。
大金であることはたしかだろう。
大原麗子は悪い男につかまっているという。好きだという。
元プロ野球選手で脚光を浴びたが、2年で怪我をして引退。
しかし、華やかな過去を忘れられず地道に働こうとしない。
一発当てて世間を見返してやりたいと思っているのか、
元は社長秘書をしていた大原麗子を水商売で働かせ、
しまいには身体を売らせようとまでする。
なぜなら商売で失敗をして200万の借金があるからである。
いくら情がうつった男の命令でも見知らぬ男に身体を売るのはいやだ。
大原麗子が自殺をしようと思った理由である。
元エリート商社マンの緒形拳は120万しか貯金がない。
タクシー会社の社長に80万円貸してくれと頼むが断られる。
緒形拳は自分は人命救助をしたいだけなんだと言い張る。
たたき上げっぽい老社長は、緒形拳に向かってあなたは世間を知らないと言い放つ。
緒形拳はサラ金で金を借りてまで200万をつくり大原麗子に渡す。
そのかわりあの悪い男とは別れろ。もっと自分をたいせつにしろ。
金を渡したあと緒形拳は大原麗子と一発やる。
緒形拳は仕事に身が入り、いい恋愛をしていると呑気(のんき)なものである。
だがしかしけれども、大原麗子は元プロ野球選手とよりを戻してしまう。
借金はいつか返すと住所を書かない手紙をタクシー会社に託して。
大原麗子はイケメンでしっかりとした元商社マンの緒形拳よりも、
ろくでなしと言ってもよいプロ野球くずれのインチキ野郎を愛していたのである。
金や安定、ツラではなく自分の気持に忠実になった。
それを恋愛と言っていいのかはわからない。

いったいどちらが本物の恋愛なのだろう?
計算打算で見合い結婚を恋愛だと思い込み結婚するのと、
人さまの厚意の200万円提供を裏切り悪い男についていくのと、いったいどちらが?
むかしこのドラマ脚本を読んだときにはどちらもうさんくさかったが、
いまではどちらも本当にありえるようなことではないかと思う。
結婚なんてしょせんは「金、顔、肩書」の吊り合いでしょう?
むかしは世話を焼く人がいたけれど、いまは個人情報なんたらで人間関係が希薄になり、
結婚相談所を儲けさせるしかない。
そうなると相手を年収、顔面偏差値、会社レベルという数字で判断するしかなくなる。
いまは本当に希少ケースだろうが、
共依存のような数字を無視した「愛のかたち」もなくはないことを、うーん。
いまはとっくに縁を切って詳細は知らないが、むかしニートをしていたバカ男がいて、
そいつが女とよろしくやっているのを聞いて心の底からむかついたが、
そういう現実もあるのかと世間を知ったような気になったものである。
しかし、やはりドラマの元プロ野球選手には好感を持てない。
本当に相手のことを考えたら、自分と交際するのは損なのだから、
格が上の緒形拳が現われた時点で200万をもらい身を引くべきだったのではないか?
それが本物の「愛のかたち」ではないか?
さてさて、最後に根性が悪いことを書いておくと緒形拳は笑える。
人命救助、人助けをしたいと思って200万を女に渡して逃げられるのだから。
一発200万なんて価値のある女がこの世に存在するのかよ。
美人局(つつもたせ)に遭ったようなもんじゃないか!
しかし、もしかしたらこれが本当の本物の「愛のかたち」かもしれないのである。
愛情は金に換算できる(慰謝料!)というのは世界の真実ではないかもしれないが、
世間の実相であることをおそらく知らない大人はいないだろう。

元エリートの緒形拳(朝田)がたたき上げの老社長(大島)に借金を乞うとシーンから。

大島「こりゃあ、尋常な額ではない」
朝田「はい」
大島「貸すと思ったかい?」
朝田「あ、いや、ただ、いまの営業収入なら、無理すりゃあ、五ヶ月で返せます。
 御迷惑は、出来るだけ、かけません(一礼)」
大島「外国で――」
朝田「はい」
大島「随分きつい仕事をして来たということだが」
朝田「―― いえ、(と小さく)」
大島「やっぱり一流商社だねえ」
朝田「は?」
大島「世間を、知らない」
朝田「そうでしょうか?」
大島「(普通はとても)貸しませんよ。八十万は」
朝田「はあ(と目を伏せる)」
大島「返すかどうか、なんの保証もない」
朝田「しかし、返さなきゃあ、タクシーの仕事は出来なくなります。
 ブラックリストにものって、逃げ回ることをになります。
 八十万で、世間をせまくするのは、割に合いません」
大島「そんな事はあなた、なんとも思わないのがいくらでもいる」
朝田「はあ」
大島「理由を……聞きましょう」


世間知らずの緒形拳は大原麗子と出逢ったいきさつを話す。
タクシーに乗せた女が自殺をしようとした。200万必要だという。
自分は120万ある。あと80万あればひとつの命を救える、といったようなことを。
世間を知った苦労人の老社長は貸せないという。

大島「早い話、私が死のうとして、あなたが二百万貸すかい?」
朝田「死のうとした所に出くわせば貸すと思います」
大島「いい女でしょう?」
朝田「いえ――」
大島「言葉の端々で、相当いい女だってェことが分る」
朝田「まだ二度逢ったきりです」
大島「二度逢えば充分。私なんか一度で惚れた女が、いくらでもいる。ハハ、ハハハハ」
朝田「そんな――」
大島「女狂いに、金は貸せません。運転に、気をつけて下さい」


緒形拳はサラ金で80万を借り女に200万渡して一発やらせてもらい逃げられる。
そういう世間を知らないところがまるで自分みたいでうっとりするぜ。
ちなみにわたしは若く美しい大原麗子にまったくこころ惹かれなかった。
比較したら榊原郁恵のほうがいいけれど、
当方にはタクシー運転手ほど高額を稼げる甲斐性はない。
元プロ野球選手のような過去の栄光も、
一旗あげたいという野心も(むかしはあったがいまは)ない。
そもそも女をだまして惚れさせるような魅力がさらさらない。
女を利用して金を得るという世間知、交際術も持ち合わせない。
なんにもない、わたしわたしわたし。
同性愛者ではなく、男よりは女が好きだが、
そもそも特定個人に執着するということがほとんどない。
このため、こんな人間嫌いのわたしを夢中にさせた作家・山田太一は偉いのである。
しかし、そこは執着がなく、山田太一さんと個人的に知り合いになりたいとは思わない。
ちょっとお話しできるようなチャンスをかつて、
一部で有名な例のあいどん先生がつくってくれたが、直前で逃げた。
さて次はあいどん先生の推す「ちょっと愛して」を見ようか、
それとも「この冬の恋」を見ようか。
どちらもシナリオで読んでいるので、
テーマ(のようなもの)は「恋愛は本当か嘘か」であることを記憶している。
既婚の人はバツイチでもすごい偉いと仰ぎ見たいところがございますですね♪

1981年にNHKで3回放送されたドラマを視聴する。
去年のいまごろジェイコムの日本映画放送チャンネルで放送されたものを録画。
それを1年経ってからようやく観るのだから遅い。
すでにシナリオで読んでいたので、ついつい優先順位が後回しになってしまう。
いい大学を出ていい会社に入って
仕事人間の敏腕商社マンとして生きてきた男(緒形拳)が、
妻子に去られ会社から仕事を評価されず切り捨てられ(つまり挫折を知り)、
一流からそうではないとされるタクシー業界に入り(ひとりでできる仕事だから)、
かえって一流のエリートだった時代には思いも寄らなかった庶民の人情を知る――
という山田太一ドラマには類似したものが複数ある、いわば定番の物語である。
テレビを見るのは多数派の庶民だから、
ドラマは「庶民>エリート」「庶民>インテリ」を描くものにならざるをえない。
インテリやエリートが格下の庶民の美しさに感動するといったら嫌味だが、
それを自然に書けるのが山田太一の才能だったのだろう。
氏は早稲田を出て映画会社の松竹に入ったインテリでありエリートだが、
出身は庶民階層でたしか血縁で大学に行ったものはひとりもいないとどこかで聞いた。
庶民だからインテリにあこがれ難しい本を読むが、
おのれの生まれである身分階層=庶民をどうしても捨て切ることができない。
「タクシー・サンバ」を書いたころの山田太一さんはもう名が売れたライターだったから
きっと収入もそれなりにあったはずで、しかし、
こんな原稿用紙を汚すだけで大金をもらっていいのかというためらいもあったはずである。

どうでもいいわたしの話をすると、
タクシーの運ちゃんになりなさいよと言われることがある。
人の話を聞くことが好きだし、世間を知りたいならタクシーがいいよと。
ところが、光り輝くゴールドの運転免許証(AT限定)はあるけれど、
20年のペーパードライバーでいまやどっちがアクセルかブレーキかも忘れた。
土地勘もないが、いまはカーナビがあるが、それでも自信がない。
いまはタクシーはカーナビ完備だからベテランもなにもないらしい。
タクシーは嫌いでタクシーに乗るくらいなら1時間でも2時間でも歩きたいが、
よんどころない事情でタクシーに乗ると
ドライバーから身の上話をされることがちょっと異様なほど多い。
それも大病や身内の死といったディープな話をされるのである。
タクシーに乗るタイミングは絶対的な偶然だから、
これはだれにも仕組めないはずなのに、そういうことがどうしてかよくある。
わたしは人の話(言葉)を聞くのが好きだからいい世間勉強になる。
そうそう、このまえ近所で道に迷ったというおばあさんから、
家族の物語を20分近く立ち話でうかがったこともある。

インテリで当時エリート花形ライターだった山田太一は、
がしかし庶民派階級出身ゆえかならずやタクシーに乗ることに抵抗があったはずである。
しかし、仕事の必要上、乗らざるをえない。
たしか山田さんは車を運転できないはず。かりに免許を取っても運転がうまそうではない。
どうしてたかが売文屋にすぎぬ自分が、
タクシー運転手より高額のギャラを稼いでいいのか?
自分は庶民をだますドラマを書いて食っているが、
本当の世界つまり世間というものを知っているのはこういう人たちではないか?
そのような屈折した自らのインテリ性と庶民性の葛藤が、
山田太一にこのドラマを書かせたのだと思う。
脚本家はドラマを書くまえタクシー会社の取材をしたという。
忘れられない体験だったという。エッセイ「いつもの雑踏 いつもの場所で」から――。

「で、取材をはじめた。その取材は、十六、七年になる私の
ドラマライター暮らしの中でも、特別忘れ難(がた)い取材であった。
とりわけある中堅クラスのタクシー会社の営業所で一夜をあかした時の楽しさは、
以後つい何度も誰彼となく話したくなってしまうほどであった。
営業所の隅(すみ)に腰かけさせて貰って、三時すぎあたりから
ぽつぽぽつと帰ってくる運転手さんたちの仮眠所へ行くまでの動き、
会話をそれとなく見させていただいたのだが、
第一にあんなに明るいとは思わなかった。
朝の八時から深夜まで働いて帰ってくるのである。
疲れて、不機嫌に入って来るとばかり思っていたのだが、
日誌と金を持って入って来る運転手さんたちの誰もが、実に陽気なのにおどろいた。
一人だけ追突されて、客を病院に連れて行った人がいて、
その人はさすがに営業課長にがっかりしたような顔で説明し相談していたが、
あとは大声で、笑い声が絶えない。
計算を終えて課長に金を渡した人も、なかなか仮眠所へ行かない。
いなくなったかと思うと、自動販売機からカップ酒や缶ビールを買ってきて、
のみながら現れる。そして、その日にあったことだの、
次の休みにゴルフに行く話だのを大声で話す。
その会話の面白さに、私はほとんど顔をあげる暇がないくらいであった。
メモをとっていたのである。
次々と面白い「台詞(せりふ)が」出てくるので、
勿体(もったい)なくて書き落とせないという気持であった。
こういう運転手さんの生活を、みんな知らないな、と思った。家族の人だって知らない。
それをなんとかドラマの中で再現したいと思った。
出来たら一回分営業所だけでも面白く見せられると思った」


これは参与行為、
つまりインテリで同時に庶民派の山田太一の耳があったからかもしれないのだ。
人間は他人の目、他人の耳を強烈に意識するところもなくはないだろう。
その場にひっそりといたインテリでありながら楽天的で陽気、古い言葉だがネアカ、
軽薄とさえ言われかねない山田太一の耳が、場を明るくしたのかもしないのである。
山田太一は耳の感度が強い作家ではなかったかと思う。
タクシーなんてお客を乗せて降ろしての繰り返しである。
タクシーのみならず、海外勤務の商社マン(緒形拳)なら話は別だろうが、
基本的にどの仕事もおなじことの繰り返しでつまらないものである。
しかし、そのマンネリズムにもよく見れば、よく聞けば喜びと悲しみがあるではないか?
ちっぽけな喜びでも大笑いして、ちょっとした悲しみなんて笑い飛ばしてしまおう。
それが庶民に持って備わったおおらかさであり、生きる知恵ではないか?
小さな喜びでもおおげさに笑おう。ささいな悲しみなんか笑い飛ばしてしまえ。
それがなにごとも深刻に考えがちなインテリやエリートとは異なる庶民のちからだ。
踊れ。サンバでもルンバでも盆踊りでもいい。踊れ。笑え。なんでも明るく笑え。
しんどいときでも笑いを忘れるな。泣いてもいいが、そのあとに笑え。微笑を忘れるな。
踊るように生きられたらどんなにいいことか。
山田太一は固有の耳で聞いた言葉を自分の言葉に翻訳して、
ドラマ「タクシー・サンバ」を書いた。
わたしがどんな低賃金仕事でもけっこうおもしろがれるのは、
山田太一ドラマを深く愛してきたからかもしれない。いまも愛しているからかもしれない。
おかげさまで目と耳の能力が少しだけ上昇したのかもしれない。
朝日賞作家と自分を同等に置くのは恐縮だが、
わたしは山田太一とおなじで、
インテリの言葉も庶民の言葉もメモしたくなるようなケチでゲスな貧乏人根性がある。
まだまだ録画して視聴していない山田太一ドラマがある。
山田太一ドラマには始まりの定番台詞がある。それはなにかというと――。

☆「余計なおせっかいかもしれないけれど(立ち入っていいのかという迷い)」

(関連記事)9年まえにシナリオを読んだときの感想↓
「タクシー・サンバ」(山田太一/「月刊ドラマ」1982年1月号/映人社)

ある人からある巨大宗教団体女子部で、
かつてこういう指導がなされていたと聞いたことがある。
新幹線はグリーン車に乗らなければダメ。
なぜなら、グリーン車に乗らなければグリーン車に乗るような男と一生出逢えない。
聞いたときはいかにもあそこっぽいなとゲラゲラ笑ったけれど、
日々老年や貧困に近づきながら人生経験を増していくと、
そういう指導は本当のことではないかと思えてくる。
一流は一流でつるむし、三流は三流同士で群れるようなところがあるのではないか?
絶対結婚して子孫を残しちゃダメという貧困男女が、
一流製作の恋愛幻想(まあテレビだ)にだまされ
結婚して子どもを生産して貧困を連鎖していく(それともアニマル遺伝子本能か)。
どうして貧困を自分で食いとめようと思わないのか?
それはそもそも一流のものを知らないからだろう。
貧困はいいとも悪いともいえる。
貧困の人たちは貧困ゆえ善知識を得る機会がないから、当然の権利も主張しない。
富裕層が大金をもらってもするのをいやがるようなきつい仕事を、
さしたる不満もいわずに、それどころかそういう仕事にこだわりをもって、
先輩ならば後輩をいじめながら、どこまでもまじめにまじめにまじめにやってくれる。
そして、これは当方41年の人生経験の主観だが、貧困状態の人ほど明るく親切だ。
中途半端に金や肩書を持ったやつほど意地悪で逸脱思考をしがち。
グリーン車に乗れという指導はバカバカしいが、ある面での真実だろう。
たとえロレックスの腕時計をしていても、わたしのような貧困者にはそうとわからない。
金持の村上龍が好きなアルマーニのスーツも、わたしには識別できない。
今日、ネットオフへ古本を12箱売るため14~16時に待機していた。
佐川急便が集荷に来たのは15:57。
待っているあいだ暇だったので近所の佐川の社員やバイトの給料を調べてみた。
あんな重い書籍満載の段ボールを運んで、このくらいなのか驚いた。
額面はそこそこあってもいろいろ引かれた手取りを考えるとぞっとする。
わたしは一時期、ある佐川女子のファンだったが、佐川急便は大家族主義らしい。
佐川男子も佐川女子もみんなおなじ雰囲気を持っている。
佐川男子と佐川女子が結婚して、さらなる佐川っ子をつくるのだろう。
佐川女子でさえ高嶺の花という自覚は持っている。
だから、貧困思想の連鎖はしない。グリーン車には乗らない。終わり。おれで終わり。
インターネットってほんとうは恐ろしい世界なんだ~よ。
うちのブログの読者さまがどのくらいいらっしゃるのかさっぱりわからない。
アクセス解析がおかしくて、ここ数年検索ワードで来たものはほぼゼロよ。
そんなことありえないっしょ?
たしかにむかしよりははるかに検索ワードで上位にのぼることがなくなったとはいえさ。
読者さまの男女比とか年齢層とか知りたいがわからない。
まあ、だれもうちのアマゾン広告経由でものを買ってくれないということだけはわかる。
予測では読者は男性の高齢層が多いような気がする。
なんでもいまの若者って読書離れどころかパソコン離れが進んでいて、
長い文章は好奇心を持って読めないような脳構造になっていると聞く。
しかし、インターネットは革命的である。
むかしだったらわたしの言葉は世界に伝えようがなかったのである。
せいぜい新聞の読者の声みたいのに、偽善めいたことを書くしか手段がなかった。
いまはわたくしごとき低収入非正規孤独バカ中年でも、
ネットを用いればいちおうは言葉を世界へ投げかけられる。
言葉というのはその機能性のひとつとして伝染性を持つのである。
影響力のある強い言葉を目にしたり耳にしたりすれば、
それがおのれのリアルでの発声やネットでのメッセージ発信に現われてしまう。
まるでウイルスのようにだ。
あるところで読んだ言葉、聞いた言葉を気に入ってしまい、
自分も使いたくなるという傾向性が人間にはある。
われわれの世代はネット勃興期からネット世界を形成してきたといってもよかろう。
まだあるのか知らないが、いわゆる2ちゃんねる匿名世代。
言葉の世界の、世界の言葉の変容をせしめたのがインターネットという化け物だ。
働く楽しみのひとつはなまのなまなましいいきいきとしたセリフの採取だろう。
今日なんかもこのセリフで3日笑えるというなまの言葉を採取したが、
聞き取ったことを書いたらどこかでばれそうで、そうしたら用心されるので書けない。
過疎ブログがなにを言ってんだか、というのはわかっている。
わたしなんか好きな本ばかり読んできたから、なまの世間を知らないところがある。
そこになまの現実役者のいきいきとしたセリフが耳に入ると活性化されることこの上ない。
むかし戯曲(芝居台本)が大好きだったからか、
現実世界での会話も演劇のセリフのように聞こえてならない。
たまに笑いが込み上げてこらえているが、ばれているのかしら。
活字もいいが、なまの言葉はいきいきとして、
言語収集家としてはたとえ無報酬でも貯蔵できることに喜びを覚える。
なまのなまなましいいきいきとした言葉を耳にできるのは働く楽しみであり、
活字マニアにとっては趣味の言葉コレクション活動にもなるだろう。
言葉が好きだ。言葉を集めたい。世界(世間)とは言葉である。
全国のニート諸君へ働く楽しみを伝えるために、
年内いっぱい毎日ブログ更新しようかなあ。
常識と非常識ってわけがわからないよね。
わたしはどっちもしたことがあるけれど、応募アルバイト先へは
直接電話よりもネットで先方へ意思を伝えるほうが常識的だと思っている。
いきなり直接電話をしても担当者がいないことがあるでしょう?
それにネット経由だと年齢や性別を事前に伝えられる。
年齢的、性別的に無理な仕事に応募して面接してもらうのは双方にとって不利益。
ダメならダメと最初に言ってほしい。
当方の常識では、現代ではみんなネット世界にいると思っていた。
しかし、いまの職場で電話対応を聞いていると、
フリーペーパーのタウンワークやハローワークからバイト応募をしている人も少なくない。
あんがい思ったよりもネットって普及していないのかもしれない。
バイト先の場所なんてネットで検索すればすぐにわかるでしょう。
だが、道順がわからないという応募者がかなりいるようだ。
みなさん意外とインターネットと接続していないのかしら。
わたしなんかネットがいまでは常識だけれど、それは非常識なのかもしれない。
いまのアルバイト先ってけっこう応募者が多いようだ。
たしかに派遣ばかりの奴隷作業所よりははるかに感じがいいし人間味がある。
派遣ばかりの無責任な職場にもそれなりのおもしろみはあるのだが、
それは珍味を愛する変人だけ味わえるものかもしれない。
会社ごとに空気はいろいろでこちらの常識がひっくり返される。経験値が高まる。
いまの会社は好きよ。仕出し弁当が好きなだけじゃないかって言われたらテヘペロ。
フライが多いという中年には向かないところもあるけれど、
昨日はビーフストロガノフ(ハヤシライスのハヤシ)が入っていて、
久しぶりの味だなあと満足した。
今日は焼き鮭が入っていて、どうせ嫌いな塩鮭だろうと思っていたら、うまい西京漬け。
毎日、なにが出て来るかわからないから晩酌が楽しい。
とはいえ、それが常識ではなく、毎日おなじものを食べるのが好きな人もいるわけだ。
常識とか非常識とかわけわっかんね。
ニートのみなさん、常識も非常識もないから、べつに働かなくてもいいからね。
そして、働く理由が仕出し弁当でも同僚の異性が好きでもノープロブレム。
ないものはないので困ってしまう。ああ、福運がねえのか。
昨日チャリのカギを失くしてしまったのである。
自転車置場から玄関までのわずかな距離と自宅をすみずみまで調べたが、どこにもない。
今朝はあせった。チャリ通勤を基本時間に考えていたからだ。
歩いても12、3分だが、チャリのカギがなくなることはまったく計算していなかった。
昼休みに仕出し弁当持参で帰宅、探索しても見つからない。
サイクリングショップに電話で聞いたら、ガギの取り換えは通常数千円だが、
チャリのフレームを見てみないと正確なことは言えないとのこと。
チャリのカギはいつ失くすかとつねに不安であったが、とうとう来たか。
わたしの時給を考えたら数千円の出費は痛い。
しかし、今日残業をさせていただく。本社から来た人いわく、時間外労働は25%割り増し。
1時間半残業させていただいたから、これでチャリのカギ交換代金は元が取れるのか。
Y主任がいう「そこのふたり」とは同日に短期バイトに入ったMさん(男性)とわたしのこと。
「そこのふたりは7時半で帰ってください」
同期のMさんはわたしの1歳年上で、パソコンも携帯も持っていない実家暮らし。
お話(人生来歴)をうかがうとかなりディープなのだが、
どうしてそこまで悲惨な感じがしないのだろう。
ああそう、断わっておくけれど、わたしは単純作業をしながらおしゃべりをできるから。
手を動かしながら口を動かすことができる。
Mさんはおしゃべりしているとき手がとまっちゃっていたけれど、
そんなことを注意できる身分ではない。
いまきついのは国保。国民健康保険。月1万7千円くらい。
Mさんは電話しただけで半額に負けてくれたという。だったら、わたしもそうしたい。
今年の医療費は半端ないので来年は確定申告するつもりだが、
生活能力がないためか先日大掃除をしたとき1~3月の病院領収書が消えていた。
チャリのカギも病院の領収書も、ないものはない。むりなものはむり。むりむりむり。
「そこのふたり(底の二人?)」は今日、わずかながら心を通じ合わせたのでした。
わかるということは、わけるということで、世界に名前を与えるのがわかるということ。
ものごと(問題)をパターンとして認識するのが受験的な理解するということ。
いまの職場はこれまでのところよりもちょっと高級なのかな。
派遣なんて取らないところだから、ネームプレートがない。
むろん、派遣ばかりの職場でネームプレートさえない監獄同然のところもある。
不安というのは、わからない、わけられない、区別できない、
パターン化できないというところから生じるのだと思う。
わたしが新しい職場に入ったときにまず見定めるのは名前とポジションだが、
どんな作業をするのかさっぱりわからないで入ったいまのご近所さんには
ネームプレートのようなものがない。
だれかがだれかに話しかけたとっさのセリフを記憶して名前を覚えるしかないのだ。
だれがだれだかわからない状態は非常に不安である。
だから、わたしは必死でまず名前から入り、だれが社員でパートか、
古参かどうかを全身を耳にして吸収しようとしている。
わからないのは不安だが、わかったら退屈のマンネリズムにおちいるというこの矛盾。
まだ入って1週間も経っていないが、いまがいちばん楽しいのかもしれない。
名前を知る(わかる)のが楽しいし、
まだまだ職場の全体像がわからないので好奇心が持続している。
わかったころに短期バイト終了になるのだろうが、それはそれでいいのかもしれない。
安定は退屈、不安は刺激的でエキサイティングとも言えるわけである。
希望は安定だとしたら、なかにはあえて絶望を求めるものもいるとは考えられないか?
働くと無限に社会勉強になるなあ。
今日、わたしが値札をつけたネックレスがひとつ8千円よ。
それはこちらが一日働いて得るゴニョゴニョ、ムニャムニャ。
わたしだったらこんなネックレスは百円でも買わないけれど、
8千円で買う人がいるから商売が成り立っているわけである。
商売の基本は安く買って高く売れ。
いまバイトしている会社がいくらでこれを仕入れて、いくらで卸しているかわからない。
高級腕時計の価値なんかブランド力(信頼)のようなもので、
原価はものすごく安いかもしれないわけ。
さすがにそういう裏事情はバイトには教えてくれないのだろうが、
ものの価値ってなんだろう。
けっこうな業界で生産者と販売者が直接やり取りできないわけでしょう?
たとえば魚を釣った漁師が血縁の居酒屋に直接送ったら安いけれど、
ふつうの料理屋はそういうことができないから、たとえば築地市場に行くのである。
とはいえ、いち商店がいち漁師と交渉できないわけだ。
身もふたもないことを言えば、相手を信用できない(支払い等)。
このため信頼のある仲買人が
必要となると思われる(慣習、業界の掟といった既得権益も)。
いいものを生産しても生産者はそのよさをアピールするプロではない。
このためよき営業マンを持つ仲買会社(商社)が利益を上げるのだろう。
ものすごい吸収率で世の中の仕組みを実地で勉強したいという思いがある。
だって、おもしろいんだもーん♪

安く買って高く売ればお金が入ってくるんだなあ。
お金が入ってきてもキャバクラに行って高いネックレスを、
おねえちゃんにプレゼントしたらすぐ金欠だ。
しかし、なんで交流コストが高いキャバクラ嬢なんか商売として成り立つのだろう。
人間って結局のところ見栄に行き着くのかもしれない。
人によく見られたいっていうか、人より優位に立ちたいっていうかさ。
ロレックスの時計はいらないが、あからさまなニセモノには興味がある。
ニセモノだって本人が本物と信じていたら、
相応の自己愛や自信が生まれるのではないか?
わたしは本物よりもニセモノを愛しているような屈折したところがある。
抹香臭い話をすれば仏教用語の「空(くう)」とは本物もニセモノもないということ。
朴念仁の釈迦の教えやその弟子を完全否定した大乗仏教がわたしは好きだ。
ニセモノだって人気が出て高く売れれば本物になるのである。
ロレックスだってGショックだってニセモノで、
多くの人があんなものをほしがるから(高値で売れるから)、
当面本物ということになっている。
埼玉の川口、それもバスでかなり時間をかけないと行けないというド田舎で、
日本語をろくろく話せない外国人や派遣たちが
アバウトな衛生環境でつくったスイーツも、
名称に銀座をつけたらそこそこ売れるのかもしれない。
しかし、どうして外国人がつくったケーキがまずいと言い切れるのか?
おいしいものはおいしいだろう。わたしは銀座コージーコーナーのファンである。
派遣で潜入して内情を知り、むかしから好きだったのがさらに好きになった。
けっこう影響を受けやすいところがあるのかもしれない。
いまのバイト先で2ヶ月働いたら高級腕時計がほしくなる可能性もないとは言えないだろう。
去年働いていたところの昼の仕出し弁当がうまそうで、
しかしわたしは過敏性腸症候群の傾向があり、昼に食欲はないのでランチは取らない。
今日行ったところも仕出し弁当を取っており350円だという。
去年のあそこは春になるころに勤務開始したから言えなかったことを、
冬間近のいま、あのときよりさらに厚顔無恥、図々しくなったわたしは言う。
昼の仕出し弁当を家に持ち帰って夕飯で食べてもいいですか?
ありがたいことにOK。うちとバイト先はチャリで5~10分。
なんでも今日仕出し弁当がひとつ余ったとのことで帰りにお土産にもらった。
ふつうそういうことは恥ずかしくてできないのかもしれないが、
わが節操のなさ、乞食根性は、どうだ見たか、おいこらええ!
職場の仕出し弁当っておいしそうだが一度も食べたことがないんだもん(そこはかわいく)。
いま昼の仕出し弁当をつまみにちびりちびりやっているが、これはうますぎるぞ。
おかずが7~8品も入っていて350円なんて酒好きは感涙するだろう。
どうしてスーパーやコンビニは500円取っても、こういううまい弁当を出せないのだろう。
おかずが少量でちょこちょこあるのがいちばん呑兵衛は嬉しいのである。
正直、食に飽きていた。
スーパーといってもどこも惣菜品は似たようなもので味に飽き飽きしている。
自炊といってもできる料理は限られている。
おかずたくさんの仕出し弁当350円はいいよなあ。しかもメニューは日替わり。
明日から毎日お願いして家に持ち帰って夜の酒肴にさせていただくことにする。
仕出し弁当屋さんって、どのようにして利益を上げているのだろう。
どうしてスーパー弁当やコンビニ弁当は仕出し弁当に勝てないのだろう。
しかし、現実的に大勝利しているのは巨大資本のスーパーやコンビニである。
生きる楽しみができた。