もうさ男でも女でも好きになりたいというか、現世への執着がほしいというか。
いったいあれはなんだったのだろうか。妄想? と思うことがある。
むかし時給850円の埼玉県の書籍倉庫でバイトしていたときユーミがいた、
年齢はわたしとおなじか、それより上か。
まだお子さんは小さいとうわさ話で聞いた。やにくさい喫煙者でありました。
なーんか、いいのよ。
ブログにユーミいいなあ、みたいなことを書いたら、偶然偶然、妄想妄想。
ユーミがツンとしたかわいい表情をしてくるわけ。
職場で半勃起するとはまさか思わなかった。
年末の寒い時期だったか、デートに誘おっかな、というより、
とにかく話しかけたいという思いで近づいていったら、向こうが逃げちゃった。
そっから先も、妄想妄想。ユーミがすげえかわいくなったのよ。
「ツチヤさん、あたしのことを好きなんでしょう?」
という挑発的視線を投げかけてくるわけ。
ああ、その目、いいよ、ぞくぞくすると思った。
そのうち古参バイトのユーミは消えたが、
わたしは職場で孤独だったので事情はなにもわからなかった。

当方が職場を去る直前に、あれは当方がよくなかったのだが、
軽いいじめのような事件に遭遇した。
その翌日か2日後くらいにわざわざユーミが来てくれて、
わたしに向かってではなくミッカ―相手に
「なんだかツチヤさんと逢いたくなっちゃって」と大声で言ってくれた。
いまは昼の仕事をしているらしいことも。
あれはいったいなんだったのだろう。
創価学会という妄想装置を利用すると解決するのだが、いまだによくわからない。
わたしがいちばん好きな女の顔は
「あんた、あたしのことが好きなんでしょう?」
という自信あふれた顔だ。

それにしてもあの時給850円書籍倉庫は人生大学でありました。
わたしは客観的な「かわいい」がよくわからない。
ユーミもふつうのおばさんだったろうし、
次に書くSさんも客観的には「かわいい」ほうではない。
というか、いつもおなじような黒い胸のあいた服を着ている女性だ。
ピッキングをしていると胸の谷間がくっきりとよく見える。
この人も好きだったなあ。
相当な古参バイトらしかったけれど、時給850円で長期間働ける人の魅力にひるんだ。
話しかけたら健気にも相手をしてくれるのである。
聞いたら独身らしく、おっぱい目当てにデートに誘ったら応じてくれたのだろうか?
でも、この人は知的障害者ではないか? プライベートには持ち込めなかった。
プライベートで逢ってもなにを話したらいいか当時はわからなかった。
あの退廃した無防備な時給850円の胸の谷間には底知れぬエロスを感じた。

ベトナム人女子の気高さにも感動した。
まえにも書いたがGさんに勤務中に(おいおい!)携帯番号を聞いたら、
即座にそのうわさ話がベトナム女子に広がったようでヒューヒューとからかわれた。
うわっ、これ、おれが失っていた青春じゃんと果てしなく感動したものである。
Gさんは電話番号を教えてくれなかったが、聞いても電話しなかったと思う。
笑顔がすてきで(ええはい、人生で彼女ほど笑顔のうまい人を知りません)
日本語がびっくりするくらいうまかった。日本アニメで学んだという。
ベトナム女子でいちばんかわいかったのはほとんど日本語ができないFさんで、
これまたまえにも書いたことだ。
おまえよくやるよと思われるかもしれないが、勤務中にFさんに無意識からだろう。
この職場であなたがいちばん美少女。美少女? わからない? かわいいってことだよ。
と働きながら伝えたら、なにこいつう、ふざけんなよ、みたいな顔をされて、
うわっ、かわいい、かわいい、今日のお給料いらないもう、と思ったものである。
「あんた、あたしのことを好きなの?」という女子の顔は万国問わずいいよねえ。
それから自分の魅力をおそらく知らないだろう黒服の胸の谷間も。
そこらへんに今後、生きていく可能性があるのかなと思う。
いや、ことさら生きていたくもないのだが。

ネパール女子のス○タは最後のころ、
毎回ピッキングのとなりに入れられ、いつもこっちがきつくあっちは楽勝。
ス○タはインド人顔だし愛想もよくないから、
ずっと「ふーん」だったのだが、
最後はあいつの笑顔かわいいじゃんとか思うようになっていた。
まあ、以上の勤務場所はNTSロジ戸田だが、
無給でけっこうなので1日でもいいのであの人たちに再会したいという思いがある。
それは法律上まかりとおらないのだが、なぜ法律が「正しい」のかわたしはわからない。
明日、死んでもいいので恥ずかしいことを書いた。
いや、死ぬまで本当のことを書かないのがある種の人間である。
今日、板橋区の税務課に電話したら、結局昨年のトラブルが後を引いている。
実名で書いてもいいが、あのO工場長がわたしに「退職勧奨」したにもかかわらず、
失業保険が出ない自主都合退職に捻じ曲げた。
日蓮大聖人を尊敬する副工場長のKもOにしたがった。
なぜこれが「正しい」のかというと、わたしよりもOやKの社会的身分が高いからである。
勤務時においてはO工場長とわたしは上司と底辺アルバイトという関係であった。
K副工場長ともおなじ関係にあった。
いまはどうか? いまやわたしを「退職勧奨」に追い込み、
とっくに還暦を越えているのに
仕事にしがみついているOとわたしは法律的に人間として平等(笑)ではないか?
かつての職場は歩いて10分もかからない。
いま暇だからわたしを「退職勧奨」しながら自己都合退職と内部調整して、
いまもいまのわたしを住民税で苦しませているO工場長に
お礼を申し上げてもいいのではないか?
O工場長は一流企業の役員にまでなり、大富豪のとてもお幸せなおかたでいらっしゃる。
ここまで近所に住んでいる苦役者としては、
O工場長に昨年のお礼を申し上げに行ったほうが常識というものではないか。
社会人としてはご恩を受けたらお礼を返すのが礼儀である。
お役所関係からは、わたしのO工場長への常識的態度(敬意)をかなり責められた。
そんなふうにしなかったらもっと労働者の権利を主張できたのに(失業保険、税金ほか)。
うまいこと生きてきたんだなあ、練馬区在住のO工場長。
いつかお礼をしなくてはいけないと思う。というか、いつでも明日でも可能。
うまいメシをうまうまと食いながら最後までうまく死ねるのかしら。
お医者さんもナースさんも薬剤師さんも医療関係者は大好きだ。
というか、本当に感謝している。
なぜなら抜苦与楽(苦しみを抜いて、楽を与える)してくれるからだ。
医者の存在理由は、健康指導でも社会保障費節減でもなく、ただただ抜苦与楽。
わたしがお医者さんに求めているのも、健康指導や生活改善命令ではなく抜苦与楽。
いまもいまこの苦しみがあるから、それを抜いて少しでも楽にしてほしい。
これは当方だけだろうが根本治療も病名診断も必要とはしておらず、
求めているのはただただ抜苦与楽。苦しいのはいやだ。楽になりたい。
しかし、ドラッグストアで買う薬は高いし効用も非常に低い。
だから、時間を空けてお医者のところへ行き抜苦与楽の薬をいただく(買う)のだ。
ドラッグストアでは抜苦与楽できないから医者を頼るのだ、
これはわたしだけだろうが医者に自分の長命長寿は託していない。
抜苦与楽の結果、寿命が縮んだところで、
そのぶん苦しみが消えるのだから担当医には死後もあの世から感謝するだろう。
またそういう医師こそ福徳がついて患者治療率が上がるのではないかとも思う。
なかにはお迷いのお医者さんもいらっしゃるようだが、
「正しい」治療をしようと懸命になるよりも患者の抜苦与楽を目指したほうが
本人のためにも患者のためにもなるのではないか?
医者の存在理由は(患者の長寿長命ではなく)抜苦与楽――だとわたしは思います。
みなさんお気づきになっていないかたもおられるでしょうが、
世界はもうとっくに終焉を迎えているのでございますよ。終わっている。
少なくとも、わたくしのなかではもう世界は終焉しております。
いつワールドがクローズしたかと申しますと、
それはさかのぼること2013年の10月のことでございます。どどーん。
みなさまお忘れのふりをなさっているでしょうが、三鷹ストーカー事件。
あれがわたくしめの信じる末法世界でさえ滅亡させたのでございます。どどーん。
あんなにかわいいふつうの女子高生が、
あろうことかおまんこをクパァした写真を偉人愛棒(異人相棒)に何枚も何枚も、
ええもう、この話はなみだ抜きにはできませぬ。おお、おお、どどーん。
われらが男子の高校時代など狂女売女(ばいた)の宝唇でさえ秘せられておりました。
それがそれが、ああ、神よ、全能の神アマテラスよ、だれもお裁きたもうな。
ふつうのかわいい女子高生が笑顔でおまんこクパァしている画像が、
47都道府県どころか全米を突き抜けワールドワイドに未来永劫永久に、どどーん。
ふつうの女子高生のおまんこ――これは最後まで隠さねばならぬもの南無南無本宝。
世界終焉の日まで公開してはならなかった桃色秘仏が満天下にさらされてしまったいま、
生きていることになんの意味がございましょうか、ご聴衆のみなさまがた。どどーん。
もはや、見るべきほどのことは見つ。どどーん。
黒き深海のそのまた底、奥深いところまで堕ちていくしかもうございませぬ。
まったく聞くもなみだ、語るはさらに尋常あらざる滂沱(ぼうだ)のなみだ、
なみだなみだ南無阿弥陀仏の事件がかつてありましたのでございました。
南無妙法蓮華経、忘(わす)るなよ、忘るな忘るなフクスマ東北、三鷹女子高生。
な~む、な~む、どどーん、どーどん、あと聞こえてくるのは波の音ばかりでございまする。
おれだってさあ、コメント欄で読者さまと馴れあいたいのよ。
どっからどう見てもそれは正解で、孤独でさみしい中年男性なのだから。
むかし(10~7年まえ)はこのブログのファンです♪ ファンになりました♪
とかいうお友だち申請コメントめいたものがけっこう来ていたわけ。
いまはいったいどうなってしまったの?
来るコメントといえば、「膣屋ケンジ」とか、こちらを嘲弄愚弄するものばかり。
それもおかしな話で、おなじHNでもホストIPがみんな別々なのよ。
ここで精神医学を知らない人は、創価学会の陰謀か?
とか思ってしまうのだろうけれど、わたしは精神科医の春日武彦仕込みの
屈折人間だから(先生の本はほとんど読んでいる)大丈夫。
おかしいよ。なんでこんなにバカにしたコメントしかつかないの?
むかしはもっとみんなでわいわきゃっきゃやっていたではないか?
いまの殺伐としたコメント欄って一見(いちげん)さんが、
気軽に書き込める雰囲気ではないでしょう?
おれはね、かわいいOLさんと知り合って国立で飲んだりしたいの(実体験)。

そうそう、むかしのブログのコメント欄で「承認していない」みたいのがけっこうあるじゃん。
あれはFC2ブログのミスで、あるときなんでかそういうふうになっちゃったの。
あれらはぜんぶ本当は公開していたけれど、なにかシステム上のミスがあったのだろう。
しょせん無料で使わせてもらっているものだし、まあ、そんくらいは許そうかと。
あとそうだ、コメント欄にメールアドレスを記入してくる人がおられますよね。
メールがほしいのかなあ、と思う。
でも、ごめんなさい。うちのパソコン仕様であのコメント欄のメールアドレスは開けません。
可能ならば鍵コメントにしてメールアドレスを直(じか)に書いてください。
手っ取り早いのはそちらからメールを送ってくださいよ。
どうしてコメント欄のメアドが開けないのかというと、gooメール問題よ。
パスワード設定をgooメールにしていたから、gooメール閉鎖後は利用できない。
gooメールのときはっこうな頻度で読者メールが来ていたのよ。
いまのアドレスに変えてからはぜんぜん。
ホットメールにしてもいいのだが、
あれは派遣仕事関係でも使っているから
紐づけされそうで(実名ブログがなにを恐れるか!)。

読者さまとわきあいあいとむかしのようにやりたいのに、どうしてこうなってしまったのか。
コメント欄すごいでしょう? 似たような嘲弄愚弄コメントがえんえんと続くという。
おれ、言っとくけれど、むかしよりはるかにいわゆる「いい人」に
(ネットならぬ)リアルではなっているよ。
怒る回数なんて高く見積もっても1/10程度までに変化している。
理由は、なーんかさ、どうでもよくなっちゃったっていうか。
いまは騒音(ご専門は中島義道先生)も、受動喫煙(ご専門は小谷野敦先生)も、
イヌのノーリードも、美男美女の街中における仲睦まじさ(いちゃいちゃ)も
まったくと言っていいほど気にならない。
リアルでおかしいときはネットにファンがついて、
リアルで多少(!)まともになったら薄気味悪いコメントしかつかない。
どうなってんじゃ、こりゃあ。答えは、わからない。
なにがどうなっているのか世の中の裏側はだれにもわからない。
それを踊り念仏の一遍上人は南無阿弥陀仏と言いましたとさ。
早く死にたい。しかし、周囲に迷惑がかかるから自殺はしたくない。
去年くらいからずっと吐き気が続いていて、
胃もたれというか胸やけというか、とにかく体調が悪い。非常に疲れやすい。
わたしが「お酒をあまりおいしく感じない」なんてもう末期だろう。
なんのために生きりゃあ、いいんだよ。希望は末期ガン。
胃ガンでも肝臓ガンでも、末期で発見されて余命を告知されたい。
初期で見つかっちゃうと闘病とかめんどうくさいからその手の検査は絶対しない。
ガン保険にも入っていないし、そういう闘病みたいのがいやなのよ。
あっさりこの世からおさらばしたいというか。
病気だったらば、みんなもかわいそうだと同情してくれるでしょう?
これは実体験から強調したいが、自殺をされると周囲が大迷惑する。
救えたんじゃないかとか。
あとこれは確率的にはもっとレアになるが、うまく事故で死ねないか。
世の中にはかわいそうにも(?)確率統計的な問題で死んでしまう人がいるのよ。
そういう枠があるのなら、ぼくを入れてよ神さまみたいな思いがある。
でも、事故で死ぬと責任者を世間は欲したがるから、その人に迷惑をかける。
だから、自然災害で死ぬのがいちばんよろしいという結論になるのか?
落雷で死ぬ人なんて1年でひとりふたりらしいけれど、あの枠に入れないか。
生きている希望とかとんとない。夢は「自殺ではない早死に」。

わたしが創価学会へ入りたいのは、
お題目を唱えるときに仏壇に願いの紙を置くんでしょう?
そこに「痛くない早死に」と書いて1日数時間お題目をあげたらどうなるか確かめたいから。
踊り念仏の一遍の悪影響だと思うが、本当にこの世への執着がなくなってきた。
むかしは賞を取りたいとか、山田太一さんに認められたいとか、
そういった世俗的願望があったけれど、
41歳にもなると、結局は才能がなかったということか。
まあ現世は無理だろうが、来世でなら少なくとも現世でよりは出世できるかもしれない。
ならば現世を早くおさらばしたいと思ってしまう。
というか、生きているのがめんどうくさい。
踊り念仏の一遍は死ねば浄土へ往けると言っているのだから、
その言葉に賭けたくなる。
とにかくわからないのは、どうして長生きしたがる人がああまで多いのか。
50歳を過ぎたらあとは余生みたいなもんでいつ死んでもいいじゃないか。
41歳のわたしだって、明日死んだって「べつに~♪」と思っているのである。
死ぬかもしれない危ない裏の仕事とかないかな。
鉄砲玉みたいに人を殺すのはいやだけれど、
一遍の他力思想からしたらわたしから殺される人も過去世の宿縁なのだから、
そこはもう仏さまのおはからいと言うほかないな。

もうなんにもないんだよ。
親鸞はスケベだったようでおのれの愛欲の強さを自慢(卑下)していたが、
わたしだってだれかをストーカーするくらい(しないけれど)
好きになりたいのに(片思いなら自由)、どのアイドルを見てもこころときめかない。
むしろおれは親鸞が恥じている愛欲(執着)がほしいのだ。
なんでみんなそんなに長生きしたいんだ? 生きていてなにがおもしろいんだ?
わたしはせめて酒くらいしかないと思っていたが、このところ酒がまずい。
とすべてを絶望しきったら、いまウイスキーのロックがうまいのだけれど。
これは当方の場合だけかもしれないが、
絶望状態のときほどアルコール度の高いウイスキー(40度)をぐいぐいいける。
ううん? もしかしたらいまなら中国の白酒(52度)もいけるのか。
言っとくけれど、自殺はしたくない。自殺をするとしたら、それは宿命だろう。
自分で死んだわけではなく、自殺は他力によって自然に寿命として死んでいる。
ああ、そうだ。東大卒美女の高橋まつりの自殺問題だが、原因は電通ではない。
それが宿命だったんだよ。おふくろさんよあまり目立って騒ぐなよと本音を言いたい。
早く終わりが来ないかなあ。
おれ、逢いたい芸能人(タレント)とか作家はひとりもいない。
精神科医の春日武彦氏と診察室以外でふたりきりで雑談OKならば興味はあるが、
白衣を着ないと(肩書なしでは)あの人は他人とおしゃべりもできないだろう。
危ない裏仕事とかないかなあ。
毎朝、早起きして妻のそそう健康しじみ味噌汁をズルズルすいながら、
テレビニュースの音声はものともせず朝日新聞のような大新聞を読んでいるふりをし、
死にそうな満員電車をいつものメンバーと乗り切り出社したら、
毎日ほとんど変わらぬルーティンの仕事をさも有意義であるかのごとくにこなし、
休憩時間はタバコを1本も吸わず、昼食は300円以内で野菜多めが望ましく、
いつものように上司に叱られ昨日とおなじように部下を叱り、
なにかに洗脳されたかのごとく、
いまは仕事があるだけでありがたいと残業を無報酬でものともせずやり過ごし、、
またもやおなじ電車で帰宅して酒も飲まず妻の配置した冷凍食品をチンして食う。
いったいこれが人生かよ? 
なんていう時代は古く、これさえあこがれる若者がいる生活形態である。
これだけ奉仕しているのにお国は税金を払えと言ってくる。
どうしてみんなストライキをしないんだろう? 好きなことを1日だけでもしないのだろう?
公務員だってストライキしちゃえ。政治家も大臣も首相も天皇もストライキしろ。
いったいどうしてみんな、そんなにやりたくないことをしているんだ?
働けば働くほど税金は増え、ちょっとの節税も見逃してもらえないのに、いったいどうして?
やめちゃおう。みんなやめちゃおう。好き放題しよう。いきいきしよう。

なーんちゃって♪
いままで困っているごとに純子さんから助けられたという記憶がある。
あの純子さん、あの純子さん、そしてあの純子さん。
今日ひとりの純子さんとお別れしたが、あの女医さんは調べたら30歳くらいだったのか。
J大学の助手だから栄転なのかな。
医学社会もなにもかもぶっちゃけ、
日本のみならずどこも男社会だから純子先生にはがんばってほしい。
しかし、講師、准教授、教授と出世してそれがいったいなんだ?
純子先生は最初関西弁がきついと思ったが、あれは鹿児島弁だったのか。
じつに耳障りのいい新鮮なお医者さんの新しいお言葉であった。
こういうことを書くと精神病を疑われそうだが、
純子先生とはじめて逢ったのは別の恩人の純子先生と逢う約束をしている日だった。
なにこれ? と思ったものである。
わたしには純子先生と呼びたい人が3人いる。
こういう偶然ってなんだろう? いったいなんだろう? 
それを知るためにも生きていかなくちゃと思うけれど、
異常に疲れやすい吐き気がする現世に執着がない。
はたして4人目の純子さんは現われるのか。
本当にいままで純子さんにはお世話になりました。ありがとうございます。
生意気にも有料放送ジェイコムに加入してるので、
新日本プロレス大阪城ホール大会をライブ視聴する。
まさかふたたびプロレスに感激するとは思わなかった。今日のあれはやべえ、事件だ。
30年以上まえからプロレスは見ているので、わかるものはわかる。
まず本当に痛がっているのか、演戯で痛がっているのか。
本当にやばい事態になっているのか、それとも演出なのか。
レフリーやセコンド、カメラマンの表情を瞬間的に見逃さないのがポイントだ。

プロレスはスポーツではなく、ヤクザ的エンターテイメントだからおもしろい面もある。
プロレス技なんか敵味方ふたりで協力しないとかからないものが多いし(いまはとくに)、
かけたほうが痛い技なんかたくさんある(リング外に飛ぶやつ)。
リング内は先輩後輩の日本的濃ゆい人間関係の修羅場である。
鈴木みのるなんて見るからにヨボヨボで
若い衆が本気になったらひとたまりもないだろうが、
日本的権威(おれは業界の先輩!)が後輩レスラーを委縮させる。
だれかモヤシみのるを場外へ向けてポイっと投げてやればおもしろいのだが、
それは業界の暗黙のルールに反する。
いまはヨボヨボでシワシワの鈴木みのるもかつては若くて強い時期が(きっとたぶん)あり、
しかしそういうときに先輩の顔を立ててきたからいまだに業界で生き残っているのである。

30年以上も見てきて、プロレスに似た下のほうの実社会経験も経ると、
あのいんちき格闘技商売のおもしろさも怖さも、そこらの新参ファンよりはわかる。
いま新日本プロレスがブームといわれて久しいが、
いやいや見てきた(ジェイコムを見ないと損)感想はどこがおもしろいの?
優等生みたいなあんちゃんがポンポン飛び跳ねているだけじゃないか。
劣等生キャラも茶髪ロン毛イケメン風ばかりでだれがだれだか区別がつかない。
わたしは馬場猪木世代には乗り遅れ、天龍革命世代だから、闘魂三銃士以降の、
ヒョードル.をまえに亀になったキリストの永田さんやチショー疑惑のある中西選手でも、
(ファンとしては新人時代から見てきているので)どこか後輩のような気がしている。
みんなあの永田や中西、テンコジよりも個性が弱くなって、
ここまでプロレスも(演者の人間味のようなものが)
薄まったかという感慨のようなものがあった。

今日、新日本プロレスの大阪城ホール大会をライブ視聴して、
たしかに新日本ブームは起こるべくして起こっているような気がした。
考えを改めた。要するに、めちゃくちゃおもしろかったのだ。
KUSHIDAとかいうちっこい若いジュニアのあんちゃんがいるじゃないですか(34歳か)。
あの優等生キャラというか、模範社員キャラがいかにもいまふうで嫌いで仕方がなかった。
今日、KUSHIDAを見て、生きのいい若い衆がいるとたいへん好ましく思った。
ライブ視聴のまえに急いで録画していてまだ見ていない、
スーパージュニアの決勝戦を見たが、KUSHIDAにはなにかが降りていた。
ふつう相手レスラーのことを考えて、あまりきつい技はかけられないのだ。
自分がされたらいやなことは他人にできないだろう?
だが、試合終盤、KUSHIDAは相手外人レスラーの腕を変なかたちで決めていた。
相手がタップ(ギブアップ)しているのに、技をとかないのである。
海野レフリーもあわてていたのがおもしろかった。

こうやってプロレスラーは格の差を相手に身体で教えるんだ。
あと相手を威嚇する方法は(男くさい話だが)、
相手の危ない技をあえて逃げないで正面から受けること。
プロレスの技なんて格闘技ではないから逃げようと思ったらいくらでも逃げられる。
しかし、そこで男を魅(み)せてあえて相手の見せ場のために危ない技を受けてやる。
これは当事者間の一瞬の呼吸がうまくハーモニーしないと大事故になる。
相手と自分を信頼していたら、驚くような危ない技も観客に披露できる。
これが抜群にうまいのが、いまは引退した天龍源一郎というレスラーだった。
あの人は相撲あがりで身体が頑丈だから相手の危ない技を正面から受けることができた。
プロレスの技は逃げ腰ではなく、堂々と正面から受けるとかえって怪我をしないもの。
自分が相手の技を正面から受けてやれば信頼関係が生まれ、
相手にも自分の危ない技を受けてもらえ観客は盛り上がってくれる。

いまの若きKUSHIDAに話を戻そう。
今日、KUSHIDAは場外へのリング内からのパワーボムみたいな技を受けていた。
一度は受けるのを拒否したが、二度目ではきちんと自分から受けていた。
あんな危ない技は日本国憲法で禁止してもいいくらいなのだ。
しかもあれは自分から飛ばなければ成立しないボランティア技である。
こぶたグリーンの故・三沢さんが一発でも受けたら何回でも死んでいたという技。
そのうえKUSHIDAは4月におなじ技を受け、脳異常を起こしていたというではないか。
ああいう技を受けるまえにKUSHIDAは相手に腕ひしぎ逆十字を完全に決めている。
ありえない角度に相手の腕が曲がっていた。社会人ならやってはいけないことだ。
そういうことをあえてやり、しかも自分も場外パワーボムを受けてやる。
KUSHIDAは今後カリスマ化するような気がしてならない。
むろん足のひっぱりあいがあり、どこで失速するかわからないが。
プロレスラーはどこまで観客を熱くさせる試合をしても、
一試合いくらのファイトマネーの金額は変わらないのである。
にもかかわらず、お客さまのためにどこまでやるかだ。

天龍の引退試合の相手、オカダ・カズチカも今日給料以上の仕事をしていた。
調べてみたらオカダ・カズチカは29歳か。
いまだからあんな無謀をやれるのだろうが、
あんなにあたまを打っていると将来どんな後遺症が出るか恐ろしい。
相手外人レスラーも、あの試合に見合うだけのギャラはもらっていないだろう。
激しい試合をして評価されると、観客もレスラーもさらなる進化を求めてしまうのである。
同料金でもっと危険な試合をするようにという暗黙のプレッシャーがかかる。
何度もあたまを打つって怖いことだぜ。
なんでもオカダは4月、先輩レスラーの柴田を硬膜下血腫に追い込んでいるとのこと。
開頭手術をしたらしいが、柴田は40歳近いだろう。
怪我をして欠場して、どこまでギャラをもらえるものか。
控え室のオカダを見たら真っ当な社会人っぽかった。
そこまで客の期待にこたえなくていいんだぞ。
オカダ青年、死ぬなよ、殺すなよ、と思った。
しかし、見ているサイドとしてはより危険度の高い試合のほうがおもしろいという矛盾。

いまのプロレスは2、30年まえと比べて段違いに危険度が増している。
だから、おもしろいと今日思ったが、
むかしのプロレスはそれほど実質的危険度が高くなくても、
危ない空気はあったし、いまよりおもしろいレスラーが何人もいた。
在日とか貧困とか吃音とか、そういう負の部分がレスラーを輝かせているところがあった。
前田が長州の顔面を後ろから思いっきりチョン蹴り(朝鮮キック)とか
やばすぎる世界なわけで。
プロレスのおもしろさは、グーパンチとかヤクザキックという命名にあるのだろう。
ヤクザキックをする蝶野さんがじつはとてもいい人で奥さんにあたまが上がらないとか。
そういえば今日、蝶野さんは新幹線の終電に間に合わないとか、
そういうとびきりセコイ経済的理由で試合途中解説席から抜け出していた。
あれだけ熱い大会はつぎいつあるかわからないんだから、
早朝新幹線でも飛行機でも自腹を切れば男が上がったのに、
まったくヤクザキックの蝶野は……。
オカダ・カズチカもKUSHIDAもヤクザキックの蝶野を見習えよ。
死ぬな、殺すな。以上、古参プロレスファンからのアドバイスでありエールである。
いや、いや、違う。そうではない。そんなことはない、そんなことはない。
もっと、やれ。もっと危ないことを。もっと過激に、もっと自由に疾走そして飛翔せよ!
いまひさびさに読書三昧生活をしている。
いまだむかしの感覚が取り戻せない。
たしか3つの読書があるのであった。1.主食、2.おやつ、3.酒肴
1は人生の読書というかいまでいえば一遍全集。老化したあたまにはきついきつい。
しかし、いまこれを損得勘定度外視でしておかないと、先に行けないような気がしている。
どうやらわたしの主軸は踊り念仏の一遍のようだ。
この思想(信心)をきちんとものにしたら、
あとは一生旗振り(警備員)でも生きていけるような気がする。
2のおやつの読書は、サイコーに楽しい。
小谷野敦とか中島義道とか春日武彦とか植島啓司とか河合隼雄とかひろさちやとか。
あまり栄養にはならないおやつをぱくぱく食べるのは楽しいよねえ。
3の酒肴は夜に酒を飲みながら読む本。
旅行記とか酒場放浪記とか、井上靖の大衆小説とか。
むかしはこれで読書数を稼いでいたが、いまはネットにこの時間を奪われてしまっている。

いちおう遊んでいるわけではなく、
踊り念仏の一遍の勉強を血まなこになってしているんだよ。
ただそれが将来、金になるかどうかわからないから、
遊んでいるとみなされるのでしょうけれど。
念仏とか学校教科書的には易行とか言われているけれど、
いざ勉強したら難しいのよこれが。
一銭にもなんねえのに、おれはなにをしているんだと思うけれど、
いま自身の一遍思想を確立しておかないと今後立ち行かなくなるような気がしてさ。
決して楽をしているわけではないのだが、人によっては怠け者に見られてしまう。
大学者の河合隼雄が明恵を発見したように、末端庶民の当方が一遍を発見した。

一遍はおもしろいよ。
いまでいう自死遺族や犯罪者遺族(加害被害ともに)が救われる道を、
鎌倉時代の一遍は提示しているように思えなくもない。
余命告知をされても一遍仏法があれば、ヨンダンスできるわさ♪
でも、こういう勉強は遊んでいるって言われちゃうんだよなあ……ぐすん。