眉月じゅんの「恋は雨上がりのように」はわたしも大好きで、
月刊スピリッツの時代から愛読している。
ありゃ、男の夢だわな。作者は女性だったのか。
先日、あるど田舎の会社に遠路はるばるスポット派遣で行ったのである。
最初に誓約書に印鑑を押せと言われた。
この会社で見知った情報は決してネット上で公開いたしません。
そこまでいわれたら、しませんからご安心を。
会社HPでは熟練のベテラン作業員ばかりと書いてあったが、
実際は派遣ばかりであったことも、まあそんなものだろう。会社名は書かない。
夏休みのど田舎だからか、派遣先には女子高生がたくさんいたのである。
きみたちこんなところでこんな単純作業をして時間を無駄に使っていいの?
とお説教をえんえんとしたいくらい女子高生はかわいい。
わたしのまえで作業している女子高生は見惚れるほど完全なかわいい十代女子だった。

田舎のマイナー会社だからおしゃべりなんてできる余裕なんかない。
一定の感覚で指導者が上段から「速くしろ、サボるな」と怒鳴るような会社である。
その大声で怒鳴る現場監督が上役が現われたら、
急にニコニコ笑顔でおべんちゃらを使い始めたのは生活者のリアルを感じた。
問題は女子高生である。あこがれの女子高生。
数時間そばで働いているとわかることがないともいえない。
このかわいい女子高生は、ああ、なんにもないんだなと思った。
顔はかわいいしウェストも細いけれど、中身はなんにもない。
そのなにもないところがかわいいのかもしれない。
埼玉のど田舎にもかわいい女子高生っているんだなあ。
もっと自分をうまく使って金を稼げばいいのに、と思ってしまった。
ちなみにその女子高生が楽々とこなす作業をわたしはできなかったので
(小さい袋に小さいお菓子を入れテープ止めする作業)、
派遣会社はご厚意で明日も来てもいいとおっしゃってくれたが、
辞退させていただいた。
埼玉の女子高生ってあたまがポカンとしているためか、そのぶんかわいい。
ビニール袋に菓子を入れる作業はコージーコーナーでも苦手だった。
ひとつまえの記事で、
女医から血圧を家ではかれといわれその健康指導に従わなかった話をした。
女医がとうとうあきらめて指導をしなくなったら、家で血圧をはかりはじめたことも。
わたしだけかもしれないが、
人間ってこうしろと指導されると逆をしたくなるんじゃないかなあ。
他人は「あなたのことを心配している」という美名のもとにいろいろ指導(助言)をしてくる。
しかし、その指導は逆効果になっているのではないだろうか?
アル中にいちばんいってはいけないのは酒を飲むな。
希死念慮(自殺願望)のある人にいわないほうがいいのは死ぬな、命は重くて尊い。
ニートに最大の禁句は働け、働け、24時間働け。
知り合いに天文学的なニート経験をしたその筋のプロがいるが、
周囲は彼にほとんど「働け!」といわなかったらしい。
そうしたら彼は自然に働き始めたという。
その元ニートがさあ、けっこう海外で遊んでいたり女ともいろいろあったりでむかつく。
彼には「死ね!」といいたいが、そういったら指導(助言)に彼は逆らってくれるだろう。
わたしがブログに近所の医者のことをぼかして書いたら、
二度も匿名で「その医師は特定した」といったようなことをコメント欄に書かれ、
実際それが当たっていたのだから、どうしてそんなにきみは当方に関心があるんだい?
また特定されるとご迷惑をかけるためいやなのだが、
近所の病院に高血圧で通院している。
若くておきれいな女医さんで、
最初は教えられた通り教科書通りに健康指導をしてくださった。
いわく、できるだけ毎日、家で血圧をはかれ。
あまのじゃくだから、指導されたら従わない。
いつしか美人女医は家で血圧をはかれといわなくなった。
そうしたら、ふと家で血圧をはかり記録したくなったのである。
かなり几帳面に血圧を家ではかり記録して病院に持って行った日が、
その女医との唐突な別れとなった。
家ではかってみたら低血圧で勝手に薬をやめたことを報告した。

次のお医者もまた女性で善人なのである。善意コントロール(支配)が激しい。
朝晩2回血圧をはかれとかいってくるわけ。
そんなことをいわれたら、当方は絶対に……。
血圧が上がったら勝手に(余った)薬の再服用をしてもいいか聞いたらダメ。
えええ、1回診察を受けたらいくら取られるか先生は知っているの?
原因はわからないが、おそらく原因はわからないのだろうが、
最近はかってみたらまた血圧が高くなっている。
いろいろ本を読んで高血圧を病気としていいのかわからないことも知っている。

医者は健康指導とかやめろよ。

わたしは健康指導が大嫌いだが、そういうオーラが出ているためか、
健康指導はされない。
でっぷり太った医者から健康指導をされても、
まずおまえが生活習慣を整えろといいたくなる。
おまえさあ、毎日運動なんてしているかい? 
酒も煙草もやらず、野菜ばかり食っているかい?

他人に「正しい」指導はだれでもできるが、おまえさんは実行できるのかい?
最近、血圧が高いので薬を再服用している。
医者を怒らせたら薬を出してくれないので(たぶん)明日おうかがいを立てに行く。
板橋区健康診断の結果を聞くついでである。
わたしは相性が合わないと思ったらすぐに医者を代える。
長生きなど死んでもしたくない(?)わたしにとって名医とは、
ある意味ルーズで融通が利く責任感が低いふまじめといわれかねない医者である。
絆(きずな)に反対する言葉として世間さまから忌み嫌われているのは孤独だろう。
孤独のなにがいけないか熟考を重ねたあげく行き着いた結論は損だからである。
ひとりでお酒の飲み放題を注文できる料理店がいかに少ないか。
海外ツアーでもふたりが前提で、おひとりさまとなると値段がががーっと上がる。
家賃もひとりで住むよりもふたりで居住するほうが割安である。
税制上も扶養家族やらなんたら、
よく知らないがひとりは損になるようになっているのではないか。
むかしは男が外で稼ぎ、女は家で家事をすると決まっていたが、いまはややこしい。
いまは女性の社会進出がはなはだしいし、のみならず――。
ぶっちゃけ低時給バイトになると、女のほうが採用率が高いのではないか?
売り子はおばさんでもできるが、おじさんはなかなか雇ってもらえない。
ある年齢を過ぎると男には力仕事や警備員しか残っていないような気がする。
客観的に(見かけ上)どうしようもないカップルというのが存在してまこと不思議だが、
あれらは損だから経済の都合上カネの面だけで、、
くっついているだけと考えたら納得しやすいのではないか。
以上、最底辺レベルの女性からも相手にされない男の強がりと思ってください。
アマゾン派と楽天派にわかれるとしたら、わたしは圧倒的に楽天びいきである。
具体的には購入回数がアマゾンよりも楽天のほうが多い。
なぜならという理由はいろいろあるが、
楽天にはある事情で深い恩義のようなものを感じている。

なんだかなァ、アマゾン。
むかしのアマゾンって書籍を購入したら郵便ポストに入れてくれませんでした?
今日、アマゾンで「南無阿弥陀仏」を注文した。
それはアマゾンのギフト券があったから。
こんな過疎ブログでも数ヶ月で5百円程度の広告収入はある。
しっかし、なんだかなァ、アマゾン。
そのギフト券は特別な操作をしないと使えないのだが、
それがおっさんのわたしにはわかりにくい。
今日はじめて、ううむ? と思い今年に入ってからの広告収入約2千円をゲットした。

アマゾンのプレミアム会員なんたらって詐欺くさくない?
あれってうっかりクリックしてしまったら、
30日無料であとは自動更新で課金なわけでしょう?
今日ぼんやりしていたため、意図ぜずプレミアム会員クリックをしてしまった。
あれはご老人なら気づかずにそのままにしておいて、お金を取られるのではないか?
アマゾンなんだかなァ。
むかしのアマゾン購入新刊書籍って郵便ポストにじかに入れてくれていたでしょう?
今朝注文したのが今日届くのはいいのだが、
ヤマトではなく札幌運通とかいうところで郵便ポストに入れてくれず不在票が。
基本的にわたし、在宅中は耳栓をしているから
ドアピンポンや携帯着信に気づかないことが多い。
再配達注文とかめんどうすぎるじゃありませんか?
アマゾンのよさって注文したら素早く郵便ポストに入れてくれるところではなかった?

同時にアマゾンギフト券の使い方を知ったので、
奈良のお医者さんからすすめられていた
柳沢きみおのエッセイ「なんだかなァ人生」を購入。古本1250円、送料別。
当方の感覚からいえば、この絶版本は5百円が相当なのだが、
お医者さんから受けたご厚誼を考えるとこれでも安いくらいか。
奈良、京都から帰ってきた直後に買おうとしたら、
アマゾンのマーケットプレイスで8千円近くしたから。
「なんだかなァ人生」も今朝注文して今晩発送してくれた模様。
やっぱりドアピンポンなのかなあ。
郵便ポストにぶち込んでおいてくれたら当方はそれでいいのに。

楽天はいいよね。楽天マートはいい。
楽天は在宅していなくても、ドア付近に置いといてくれるじゃない。
正直、郵送物のために在宅しているのとかめんどうくさい。
そのあいだおちおちトイレにも入れないから困る。
よほどの低所得地域以外、
人は他人の部屋のドアまえにあるものなんて盗まない。
再配達依頼のめんどうくささを考えたら、ドアのまえに投げておいてくれって。
ニートひきこもり体質だから、知らない人と顔を合わすのだけでもめんどう。
そのくせ、これは知っている人は知っているけれど、
わたしはアクティブでだれとでも逢うしどこにでも行く。

楽天はいいよ。
うっかり登録したのだろうが、なんか楽天からたくさんメールが来る。
ひまだからそれを見ているとほしいものが出てくるっていうかさ。
楽天の買うクーポンがとくにいい。
わたしは何度もあれでお買い物をしたし、郵便ポストに入れてくれるのがいい。
1杯20円だか30円という、健康カレースープがとくによくてね。
あれをスーパーで売っているほうれん草ポタージュとミックスさせると元気もりもり。
錯覚だけれど、そういう妄想しかもう人生の楽しみはない。
楽天の買うクーポンでルイボスティーも買ったよ。
ルイボスティーは南アフリカの健康茶らしく、
楽天で教えられるまで存在を知らず買ったが、そういう「だまし」はいいじゃないですか?
おそらく効かないけれど、効くかもしれず、
そういうところは西洋医薬品も漢方薬も鍼灸(しんきゅう/ハリやオキュウ)も
アーユルヴェーダ(インド医学)もおなじ。
なーんかさ、南アメリカの元気の出るお茶といわれたら楽しいじゃない?
夢を持とうじゃないか、ドリーム♪

楽天にも欠点はあって、これは登録したわたしが悪いのだろうが、
楽天アンケートというものがある。
このアンケートに答えたら、
新橋に呼び出されてわずか2時間で8千ポイントもらえるとか。
いろいろ注意書きがあったのだろうが、それらすべてを見落としたせいだろう。
楽天から連絡はなく、
わざわざアンケートに答えてやったのに8千ポイントはなしかとがっかり。
こっそり書くと楽天ポイントは脱税に使えそうだよね。

いまはアマゾンよりも楽天が好きである。
でもでも、アマゾンもまたいい。
ブログ読者さまから教わったが、アマゾンでは乞食活動ができるらしい。
アマゾンの「ほしいものリスト」というものらしい。
わたしにはもう「ほしいもの」はないと思っていたが、けっこうあるなあ。
以下はアマゾンの「ほしいものリスト」。気が向いたら恵んでくだせえ。
「ほしいものリスト」に「おんな」を
加えようと丸一日アマゾンを分け入ったが見つからなかった。

↓土屋顕史のいま「ほしいものリスト」↓
https://www.amazon.co.jp/gp/registry/wishlist/RE55Q6D8VGZJ/ref=cm_wl_list_o_0?
先月のはじめのほうは絶望していたね。
もうおれさ、おかゆとヨーグルトと野菜ジュースくらいしか口にできないの?
だったら、生きている意味なんかないじゃん。
胃腸や食道に悪い刺激物とかぜんぶダメって(ネット情報)、それは死ねって意味?
おれおれおれは極端に辛いものや甘いもの、あぶらっこいもの、
すなわち刺激物が大好きなのである。
つねに新しい刺激を求めているところがある。
人間の身体ってよくできているなあ、と思ったのはお酒。
先月はほとんど一滴も口にしなかったのではないか(正確には23日連続)。
そもそもお酒を飲みたくならないし、身体が受けつけていないのだ。
それでもカレーは「悪いこと」になっていたが、生きるために食べたよ。
好きなことを少しでもしないと死んじゃう大熊猫的生物属性ゆえ。
2週間も3週間も、レトルトのおかゆをゆっくり噛みしめながら、
ああ、お米はこんなにうまかったのかと気持の悪い感動をしたものである。
いまではおかゆやヨーグルトをしみじみありがたがって口にする気分にはなれない。
なにが功を奏したのか、いまではカップラーメンも炭酸類も大丈夫。
しかし、むかしほどがんがん行けるわけではむろんない。
わけわかんないよね。
体調悪化も完全断酒も食制限も体調復活もなにが働いているのかわからない。
悪くなったのもおれのせいじゃないし(?)、よくなったのもおれの努力ではない。

自分はそれほどおのれの健康や行動――つまり人生をコントロールしているのだろうか?
人生をコントロールしている主(ぬし)は自分なのでありましょうか?
知的活力も復活してきていて、
今日は「一遍上人語録」「播州法語集」を岩波全集版で精読(複読)した。
人によってはこんな行為は日給7千円をもらってもいやだろうが、
おれの場合はむしろ7千円を損しても読みたいくらい一遍に興味がある。
明日(もう今日か)は一遍ゆかりの無量光寺に行こうと思っている。
施餓鬼会の日で、電話で聞いたら踊り念仏は13時からだそうだ。
どうしてここに行くのか、それとも朝に目覚めたら行くのをやめるのかはわからない。
一遍のものとされている和歌を紹介する。
おれってさ、仏教紹介者なのに聖人ぶっておらず、
反対に俗悪めいたところがいいでしょう?
みなさんもくだらぬ自我に縛られずに、
関わってみたいと思ったら本能のまま自然のままご連絡をよろしくお願いします。

「仏こそ命と身とのぬしなれや わがわれならぬこゝろふるまひ」
いましたいのは、なんやかんやでたまっていたことをすっきりしたい。
読んだのに感想を書いていない本がけっこうある。
そんなことをしても一銭にもならないじゃないですか、とN本部長から言われたけれど、
もはや習慣というか、なにがなんでもしたいの! 
本は読んだだけではダメで感想を書くことで理解が深まる。
そのときの「わかった!」という快感は、
金銭レベルで代替できないところがあるような気がする。
ジェイコムで録画しておいた未見の山田太一ドラマもたまっている。
もう録画領域が限界なので、少しでも消化していかないと。
そうして視聴した証拠の感想を書くことで、山田太一ドラマへの理解を深めたい。
言い換えたら、山田太一を鏡として、もっともっと自分というものを理解したい。
購読している雑誌「週刊スピリッツ」「月刊スピリッツ」もたまっている。
いま消化しておかないと、時代に取り残されてしまうではないか、あはっ。
それから、大掃除をしたい。読後のスピリッツ等いろいろ捨てなければ。
いつ死ぬかなんかだれにもわからないから、なるべくいましたいことをしたい。
わたしは経験上そう思っているが、みなさまが違うお考えをお持ちでもいい。

もういい年だしどこにも行きたい目的地はない。
しいて言うならば、だれも行ったことのない場所に行きたい。
そこはだれも行ったことがないから、目的地のガイド情報はない。
しかし、そこへ行きたい。
前人未踏の地はガイドブックにも人生指南書にも掲載されていない。
繰り返しになるが、しかし、そこへ行きたいならどうしたらいいか?
夕方、ある派遣会社から電話が来た(Nさんとさんざん話のネタにしたあそこ)。
明日の早朝にある場所(会社)へ行ってくれませんか、とのこと。
そこがまあ、電車に乗ってバスに乗ってという川口の僻地(へきち)っぽい。
会社HPを見たら、いかにもスポット派遣はいじめられそうなところ。
でも、いいじゃないかと思った。これって冒険じゃないですか?
なにもかも知らないところに無防備にひとりで飛び込んでいく。
そのときわたしはなにを思うのだろう。
そして、その経験がのちにどのように発酵するのだろう。
すべてわからないが、そのわからないところがおもしろい。
海外放浪と派遣放浪には似た味わいがもしかしたらあるのかもしれない。
わたしは明日どんな屈辱や無力感、あるいは感動を味わうのだろう。
おもしれえ。どこにでも行ってやる。

……と強気を装ったが、いまガクガクブルブルよ。
とりあえず早寝して早起きして遅刻だけはしまい。
界隈が年に一度だけにぎわうのが「いたばし花火大会」の日である。
昨日、わたしは短期の賃仕事が終わってから
ある男と荒川土手に並んで腰かけて花火を見た。
彼とはN本部長のことで、GW以来ひさびさの再会を果たす。
本を読んでばかりで現実を知らないと自己卑下しているので、
派遣仕事でいろんな人に逢って話すとこんなおもしろいことはないと思う。
不謹慎なことを書くと、働くのは世界や人を知りたいがためで、
いまは職種や給金よりもそちらのほうを優先している。
むろん、こんなことを言っていられるのはいまだけで、いつどう変わるかはわからない。
GWの短期仕事(日給8千円、交通費なし)で知り合ったN本部長の正体(本職)は、
一流医療機器会社の若き本部長。わたしと同世代。
派遣というのがどういうものか知りたくて、
社会見学のために生まれて初めて(いわゆる)底辺派遣世界に飛び込んできたという。
馬が合うというのか、うん、馬が合ったとしか言いようがない。
話していておもしろいのである。
わたしは時給千円付近をさまよってきた人間だから(いわゆる)上の世界を知らない。
上の世界、それも医療品、医薬品世界の内幕はおもしろすぎるのだ。
さんざんバカっぱなしをして、そのノリで17年まえの母の眼前投身自殺の話もした。
いまや旧友からは持ちネタ、持ち芸になっているんじゃない? 
と言われているくらいだが、なかなかリアルで知り合った人に話せるものではない。

母のことを冗談めかして話せたことで自分はあれから17年経って、
少しずつ自然治癒しているのだという自覚と安心を持つことができた。
短期仕事で出会った人とは一期一会でたいがいは再会することはない。
だからいいのだし、だからおもしろい。
GWは働いたという感覚はまったくなく、気の合う仲間と遊んだという感じであった。
冗談も過ぎるという話だが、
そのとき知り合ったN本部長に自分は不人気ブログを実名で書いていると話した。
どうせ読まないだろうと世間を知っているつもりだった。
どのみち他人は自分なんかに興味を持たない。
リアル世界でわたしと知り合った人は、
ネット世界のわたしに恐れをなしてなかなか声をかけてくれないのである。
みなさまもそうでしょうが、当方も世間に向けた顔とネットの顔がふたつある。
いちおう低賃金向けのペルソナ(仮面)もそれなりにできているつもりだ。
ふざけた言い方をすれば、いんちき作業員めいた未完成まじめ顔とでも言おうか。
Nさんがリアルとネットの壁をぶち壊してくれた。
わざわざ「本の山」にコメントをくれたのである。

なんでもありだと思っている。おもしろいことが起きないかなあ、と日々思っている。
まあ,リアル社会で知り合った人がネットのわたしに関わってくれるのはおもしろい。
先月、ブログを更新しない時期があったでしょう。
あれは身体を壊していてブログどころではなかったというか。
だれかからお給金をもらって書いているわけではないのだから更新する義理はねえ。
がんではないかという恐怖におびえ、ちょっと言葉が出なかったこともある。
後ろめたい事情は書けないがいろいろあるのだ。
Nさんから心配している旨のメールが来た。
わたしは人格がゆがんているのだろう。こういう他人からの厚意に戸惑ってしまう。
1.どうして赤の他人がわたしなんかに興味を持ってくれるのだ(心配してくれるのだ)。
2.人交わり、うざったい、めんどうくさい、ひとりが好き。
しかし、Nさんはネットの見えざる他者ではない。
以前、楽しく雑談した間柄である。顔を知っている。
人間嫌いなところのあるわたしだが、人並み以下だろうが社交を果たした。
おなじ早稲田卒であったことはまったく関係ない。
わたしは早稲田大学を好きでもないし、かといって嫌いでもない。

いろいろ込み入った事情があって、
そんなことはみなさまにはどうでもいいので書かないが、
昨日までGW以来の短期賃仕事をさせていただいた。
これはNさんからのメールのおかげだろう。
やってみないとわからないことがある。
自分が立ち仕事をできるまで体力が復活しているかはやってみないとわからない。
働けた理由のひとつは5日にNさんと再会したいという思いがあったからだ。
GWの短期仕事は合宿のような甘酸っぱい想い出になっている。
またNさんと逢えるのなら働きたい。むしろ働かせてください。
先月は体調不良(吐き気)のため直前キャンセルをした
わたしを再派遣してくれた会社には感謝している。
で、昨日N本部長と再会を果たしたのだが、生きているのっておもしろいなあ。
生きていたらこんなことがあるんだ。
まさか2017年にN本部長と「いたばし花火大会」を見るとは、
2000年に早稲田大学を卒業して
直後に母から目のまえで飛び降り自殺されたころには思いも寄らなかった。

Nさんは早稲田の同期だったのである。
彼は現役で政経(学部)、わたしは一浪で一文(第一文学部)。
おそらく本キャン(パス)ですれ違ったことも何度となくあったことだろう。
そのふたりがこうして再会を果たすとは!
まずわたしの問題である。
以前のわたしなら政経を出て一流街道まっしぐらで、
いまは本部長まで出世して部下も大勢いる妻子持ちの同世代に嫉妬していた。
だが、Nさんの人徳か、めぐりあわせの妙か、機縁が熟したのか、
不思議と本部長にそういう黒々とした感情をいだかないのである。
あれから17年経って、いろいろ当方も達観したのかもしれない(と思いたい)。
好奇心がうずきまくりなのだ。
ええ、一流会社の本部長と知り合う機会なんてめったにないだろう?
いったいなにを考えているのか、どう世界を見ているのか、知りたい、熱く知りたい。
本部長いわく、「いまは部下を成長させることを考えている。
がんばりを見せるのではなく、結果を見せろ」とかナマで聞くとチョー新鮮。
わたしなんか全体の結果を見るポストまで社会で上がったことがない底辺作業員だから。
しかし、相手の人徳のためか当方の成熟のためか、コンプレックスのようなものはない。
人徳も成熟もなく、ただただ馬が合ったのかもしれない。
幸福そうなファミリーやカップルにあふれた人込みのなかで思ったのは――。
おなじく2000年に早稲田を卒業したふたりがこうも分かれているのだという感銘。
そして、こうしてふたりでおなじ花火を見ている。これっておもしろすぎるじゃん!

花火大会は30分で切り上げてバーミヤンに寄った。
いまあの時代の早稲田の人はどうしているのだろう。
N本部長はいまでも大学の同期と交流があるらしい。
大学に行く目的は、いい仲間をつくることだと言っていた。
わたしは大学どころか高校中学との縁もみなみな切っている。
そもそも学生時代から友人がほとんどいなかった。
そのうえ母親の目のまえでの自殺である。
その後、大学時代の知り合いから連絡があったこともあるが、
おまえらにおれの苦しみがわかるか!
どうしておれだけ苦しまなければならないのか!
そういう心境から関係を絶った。
あっちだって母親から目のまえで自殺された男にかける言葉はなかったと、
いまならばそう思う。しかし、当時はそう思えなかった。
本部長の早稲田の仲間でいま年収1千5百万の人もいるらしい。
「土屋さんはお金の話ばかりする」と出逢ったときNさんから言われたくらいだから、
わたしは金のにおいに敏感なところがあるのかもしれない。
おそらくN本部長の年収も1千万近くかオーバーしているだろう。
そういう人が冗談半分で派遣で遊びに来て、当方と知り合う。
最高じゃないか、神よ仏よ!

N本部長とバーミヤンで対面しながら、とにかくおもしろいのである。
こっちは人生奈落の底に落ちた身で(大げさだな)、あっちは世間体としては一流。
話を聞いてみると、一流も(当人は一流を否定)一流でたいへんっぽくてさ。
人生ってこんなことがあるんだなあ。
生きているのはすばらしいとまで大声でシャウトできないけれど。
けれど、いままで早稲田はどちらかといえば嫌いだったけれど(とくに校歌!)、
最近変わりつつある。
これも早稲田大学が結びつけてくれたご縁なのかしら。
「おなじ早稲田の人、原稿依頼をください」とブログに書いたらどうなるか?
とN本部長に言ったら、おやりなさいのことだが、まだそこまでは、そこまでは。
早稲田への恩といえば6月のことである。
山田太一ファンの、
奈良のお医者さんからご厚意で呼ばれてお駄賃のようなものをいただいた。
それをなにに使ったかというと早稲田大学演劇博物館である。
エンパクには山田太一の未公刊戯曲(芝居の台本)が7冊あった。
山田太一関連でいただいたお金は山田太一で使おう。
出版されていない山田太一の芝居台本をすべて全文エンパクでコピーした。
とっくのとうにぜんぶ読んでいるので、感想はちかぢか書く。
全文コピーは違法という注意をしてきたおばさんもいたが、
入手不可能な書物の全文複写は違法ではない。
たとえ違法でもやったが、なぜ法律にたがうことが悪いのかわからない。
法律はなぜ正しいのか?

早稲田大学の同期とひょんなことで再会して、いまの世間的身分の差はどうあれ、
そのような隔たりはなく、ともに単純労働をして、その後に花火を見た。
花火はつまらないから30分で引き上げバーミヤンで90分話した。
支払いは彼がすると言ったが、
そういうところで自己を偏屈に主張するわたしではもうない。
収入が多いほうが払ってください。引け目もない。
こういうところがシナリオ・センターの小林幸恵社長から厚顔と面罵されたゆえんか。
シナセン記事は反響がいまだに多いんだ。
Nさんもシナセンの2ちゃんねるスレッドを見て、ぶったまげたと言っていた。
ちなみにあれから8年経ったいまでも、
シナセンスレッドではわたしの悪口が実名で書かれている。
それに「本の山」のシナセン記事もおもしろいっしょ?
シナリオ世界とは縁のないN本部長も、
シナセン記事には泡を食ったようなことを言っていた。
携帯番号を公開してかかってきた電話はふたつだけ。
ひとつは奈良のお医者さんで、もうひとつは鹿児島県の男性。
鹿児島は「シナセンの記事がすげえ、おもしれえ、ファンです」とおっしゃっていた。
あの電話がかかってきたのはCT検査を受けたあとだった。
「いたばし花火大会」のため、
浮間舟渡駅は混雑していたので北赤羽駅までNさんと歩いた。
わたしがNさんともう少し話したかったからである。
またの再会を誓って別れた。
北赤羽駅から埼京線に乗ったのは、ホームの別れのほうが劇的かなあ。
そんな茶目っ気ゆえ。
なんだか、なんだか、これからいいことがいっぱい起こるような気がしたのでした。
心理療法のひとつに認知行動療法というものがある。
これはなんとなく具合が悪いという(あいまいな)心の
病(やまい)を徹底的に具象化しようという実践的でおそらくもっとも効果のある試み。
具合が悪いといっても、それは抽象的で客観的にはなにもわからないじゃないですか?
だったら、ほんとうにクライアント(相談者)の悩みに寄り添う心理療法家なら、
認知行動療法を選ぶことも多々あるように思う。
具合が悪い、生きづらいは主観的な抽象言語である。
具体的、具象的にたとえば不安神経症や強迫性障害ならば、
毎日どのくらいの頻度で症状が起きているかまず認知することから始めよう。
治癒のようなものは、客観的行動で証明されるしかありません。
以前は毎朝、百回手洗いしていた患者が十回で気が済めば、それは改善。
病んだ心を治すとは、病的精神を正確に認知して、
行動のうえでデータ(数値)改善があらわれるのを待つしかないのかもしれない。
心的異常の治癒とは、
病者の行動がいわゆる世間的善により近づいたと数値的に証明されること。
いったい主観と客観はどちらのほうがより真実に近いのでありましょうか?
「調子が悪い」や「体調が悪い」は数値化できない主観的要素がたぶんにございます。
本人はひどく体調が悪いと言っているが、
医学データ(数値)上は正常なんてことはいくらでもあるでしょう。
うつ病なんてその最たるものではありませんか?
うつ病は血圧や体重、血液検査結果のように外側から数字としては見えません。
でも、いくら数値化されなくても、死にたくて身体が動かない人はうつ病。
うつがなにかの(客観)検査で数値化されたらいいのでしょうが、
あれはたしかに脳科学的な面もありますが、
しかし現実的には(主観)心理学の領域と思ったほうがわかりやすい。
心がけが悪いとむかしなら一刀両断されかねない症状です。
どうでもいいわたくしめの話をいたしますと、
去年の顔面神経麻痺騒動以降、
左目がそれ以前と比べて絶望的に見えにくくなっています。
帝京大学病院の眼科でこれでもかと検査をしましたが、結果は異常なし。
でもでも、当方の主観としては左目の視力がガタリと落ちている。

これはいったいどう説明すればいいのでしょうか?
まだしもうつ病ならば、
自殺未遂の回数やリストカットのためらい傷が客観的証拠になりましょう。
しかし、左目が見えにくいというこちらの不具合は、
眼科で有名らしい帝京大学病院の医師陣をもってしてもよくわからない。
吐き気とか尋常ならざる疲れやすさといった体調の悪さは、
いくら西洋(客観的=数字重視=統計基底の)医学で調べても、
詳細が不明であることが少なからずございますのでしょう。
高血圧は一般的に主観的には気にならないのに、
(客観の)数値のうえでの病気とされている異常の象徴だと思います。
ぼくは高血圧と診断されており、長らく薬をのんでいましたが、
最近家でこまめに血圧をはかったらやたら低血圧なのですね。
薬大好き人間のぼくでも薬をのまなかったらどうなるんだろうと好奇心をいだくくらい。
で、長いこと服用していた降圧剤をやめてもいっこうに血圧は上がりません。
実験、実験♪ 人生は実験、冒険、トライ、チャレンジ、ゴーゴーぼくぼくぼく♪
わざと塩分の高いものを(好きなので)集中的に食してみました(カレーとか味噌汁とか)。
それでもぜんぜん血圧は上がる気配を見せません。

万事わかりませんなあ。
希死念慮(自殺願望)といえば、17年まえから歴然としてわが心身にございます。
精神医学では「死にたい(死んでもいい)」と思っている人は、ほぼうつ病決定のはず。
ぼくはうつ病なのかどうか。
とりあえず精神科や心療内科を受診していないから、うつ病にはなりません。
でもまあ、明日でも受診したらうつ病の診断がくだる自信がございます。
去年ハローワークの人から教えていただいたのは、
うつ病の診断書があったらば、
たとえ荒っぽい退職勧奨をされて自分で退職届を出したとしても、
まあ八割がた失業保険はおりる。
そんな裏事情をお役人さんがどうして一般人のぼくに教えてくれるのか不思議でした。
いまは(いまでも)精神科や心療内科には行きたくない。
結局、心因性とか神経的なものとされる主観的体調不良は、
客観的西洋医学で診断したら精神科(心療内科)にまわすしか手はないでのでしょう。
客観的(数字)にはあらわれない主観的異常は心で説明するしかない。
だからといって心がけが悪いとぶん殴ったらよくなるかと言うと、
そうとも限らないのでしょう(よくなることもたぶんにございましょうが)。
収入、資産、年齢身長体重は数字化(数値化)できます。
しかし、容貌、印象、幸福感、不遇感は客観的な数字にはならない主観の問題です。
顔面偏差値という言葉がありますが、ツラのよしあしは断じて数値化できません。
数字にならない、客観化できないとはどういうことか?
要は心の問題ということであります。