さんまのシーズンでしょう? 
刺身が好きだからいろいろなところでさんまの刺身を買う(半額多し)。
これはもう確実といっていいほど、うまいまずいの差があるんだなあ。
いちばん「いのちの味」のようなものがわかるのは刺身ではないか?
個人的には日本料理の代表は牛丼でもてんぷらでもなく魚介類の刺身。
いきいきとしたうまい刺身を食うと翌日の元気が違う。
おなじスーパーで買っても、うまいときとまずいときがある。
先日カズンで買った半額だか30パーセント引きだかの、いわしの刺身は迫力があった。
「いのちの味」がした。
いま生意気にも酒肴としているさんまの刺身(半額)は「いのちの味」がまったくしない。
おいしいレトルトや冷凍食品、中食はいろいろあるけれど、
本当に「いのちの味」を味わえるのは魚介類の刺身だと思う。
日本の代表料理は刺身だと思う。まあ、インドカレーも麻婆丼も大好きなのだが。
うまい刺身が食いたいとなったら板橋本町のあそこかなあ。
きっと仕入れ先が目利きなのだろう。
「ポケベルが鳴らなくて」というヒット曲がむかしあったけれど、
もろにポケベル完全ひゃくぱー世代ね。
大学時代はマスやクリとよくポケベルをやったなあ。
ポケベルってほんの一瞬で消えちゃったけれど、短文ゆえ俳句のような妙味があった。
女の子からポケベルに返信があると嬉しかったなあ。
PHSとか携帯電話は味気ないよね。
まあ、公衆電話世代からしたら、いまは異世界なんだろうけれど。
このまえ携帯が壊れてひさびさに公衆電話を使用して昭和のよき香りを満喫した。
男女でも同性でも逢うのはハードルが高いほうがおもしろいよねえ。
最初はハンドルネームで、メールでお互いのことを探り合って、
恐るおそるハンドルネームのままで逢って、
携帯電話番号を知るのは最後だが、知ってもかけられないみたいなロマンス。
もどかしいが、そこが楽しく、生きがいがある。

「本の山」なんて情緒がないでしょう?
携帯番号も本名も最初に公開しているわけだから。
しかし、本名が戸籍上の実名かはわからないわけじゃないですか?
携帯番号だってかけてみるまで本当に通じるかわからない。
そのへんでロマンスは残しているつもりなんだけれどなあ。
いまはみんな個人情報を守ることに汲々としているようだが、
個人情報の最たるものの携帯番号を公開しても意外となんにもないもんだよ。
山田太一氏の名言「他人は自分に関心を持たない」を再確認して、
ふうむ、そうか、なるほどとうなったくらい。
電話をかけられたらふつうに「はい、土屋です」って出るけれどね。
そして、たぶんふつうに話してふつうに「では失礼します」で電話を終える。
途中、少しどもるかもしれないけれど、それほど気になるレベルではないと思う。

つまらないよねえ。なんにもない。味気ない。うるおいのようなものがほしい。
けれど、実社会でちょっとでも本音に近いことを言ったら人権がうるさい。
パワハラとかセクハラとか。知的障害者が神さまのような顔をして威張っている。
むかしからサブカル世界は嫌いではなかった。
わたしなんて旧2ちゃんねる文学板の自称女王美香QNWだし、
サブカル的に見たらチョーおいしいって思うんだけれどガラケーは鳴らない。
いまはサブカルってどこにいっちゃったんだろう?
というか、メインカルチャーがないもんね。
老人がなかなか死なない老人ばかりのかび臭い国で、
相当な老人でさえさらなる長老にはあたまが上がらない。
東京大地震は起きないし、北朝鮮のミサイルは東京まで届かないし、ガラケーも鳴らない。
女のなかにはさ、ぼくみたいにインテリぶった、あたまでっかちのバカ男を、
持って生まれた天然の女子力でめちゃくちゃに振り回して、
食べちゃいたいっていう猛者(もさ)はいないのかなあ。
日本にはこれだけ女性がいるんだし、日本語をできる外国人女性もいようし、ひとりくらい。
ぼく、免疫なんかゼロに近いから、いい餌食(えじき)になると思うけれどなあ。
色仕掛けとかコロッと引っかかる危なさを自覚している。
ぼくで貴女のエゴを好き勝手に解放してマグロ漁船にでも乗せてほしいなあ。
ロマンチストだからヤマギシ会のようなところにも、誘われたらほいほいついていくと思う。
もう禁治産者かみひとえだから、ぼくは貴女のもの。
ああ、餌になって女からもぐもぐ食べられたい。
精神の統合が不適合者ゴーカク、ゴーカクよ。
みんなゴーカクだからゴーカク! 
ぼくは気違いではありません。ゴーカク。だからゴーカク。
みなさん勉強をするっていうと偉い人の話を聞きに行ったり、
新聞を読んだり資格を取ったりすることだって思っていませんか?
そういうのも役に立つのだろうが、
わたしは自分の使える言葉を増やすのが勉強だと思っている。
たとえば創価学会は四字熟語が好きで、
一般の人は聞きなれない日蓮用語がたくさんある。
だから、むかしは「ひょっとしたらこの宗教はすごいんじゃないの?」とだませたし、
いまでも難しい四字熟語を知っている自分は偉いと、
生きていくうえで必要な自信や自己愛、自己肯定感を得られる仕組みになっている。
そこまで悪い宗教団体ではないと思う。
むしろ、さみしい人にはなくてはならない存在になっていることだろう。

勉強するとは、言葉を増やすことだ。なぜなら世界は言葉で分節化されているからだ。
世界は言葉にほかならない。
新しい世界を知るとは、新しい言葉を知ることと言ってもよかろう。
新しい概念(言葉)を知ったら、世界の見方が少し変わり、
「さみしい、つまらない、むなしい」人生を生きているわれわれにとって救いになる。
南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経は最強の言葉に近いと思う。
なぜなら言葉の意味は正確にはよくわからないが(そこに意味がある)、
たしかに真理そのものであり、真理とはそういうものだからである。
真理はわからないけれど、それでは人は不安になるので、
南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経が効くのである。

神仏の世界や運命、宿命の「わからない」ことは言葉にできないでしょう? 
けれど、それを南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経というふうに可視化(言語化)したら、
言語化できない孤独感、不安感、不全感、絶望感、無力感に
少なくとも言葉のレベルのうえでアクセスすることが可能になるじゃないですか?
わかっていただけるかなあ? ただインテリぶっているだけのように思われるのかなあ?
今朝も変な夢を見たが(寝床でババアに迫られる)、
そのとき有効だったのは南無阿弥陀仏よりも南無妙法蓮華経であった。
だから、どうしたって、わたしの雑記なんて毎回、こんな感じでしょう?
本当の「答え」はわからないのだが、言葉の羅列のなかに、
南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経を入れて文脈を創ったら、
少しは楽になるのではないかというささやかな提案でございました。
きっとこんなことは女性誌に山ほど書かれているのだろうが、
そういうのを読まない(ほうが好きね)女郎(めろう)のためにもてる技術を教えよう。
もっともおれみたいな底辺からもててもしようがないって話だろうけれど。
男は(と自分を全男性の代表のように書くのは気が引けるが)
女に完全性を求めていない。
完全なお化粧をした女性誌に出て来るモデルのようなファッションをした女は怖い。
わざとか偶然かわからないレベルで隙をつくると、そこに男は参るもの。
細かいことは書けないけれど、むかし真冬のある職場での同年代女性の話。
休憩室で女は真冬なのに半袖の薄着になって(まあ暖房は効いていたが)、
前かがみになって話しかけてくるのである。
ついつい胸の谷間とブラジャーに目が行ってしまう。やべえ、惚れそうって思ったもん。
単なる偶然だったのか、誘惑していたのか、からかっていたのか、わからない。
しかし、そのわからないところがいいんだなあ。
胸チラ女性の旦那は病気で寝たきりとか聞いた。
けっこう色っぽくて、あれは文学的堕落、
文学的下降(上昇?)をするチャンスだったのかもしれない。
たぶん色恋みたいなものは、まず女からアクションする。
ちょっと下世話な話をし過ぎたのでインテリぶったことを書くと、
近松門左衛門の「曽根崎心中」でも、女が男の手を取って自分の胸をさわらせるでしょう?
もてたかったら隙をつくればいいというのはたぶん女はみんな知っていると思うが、
おなじ女性の目が怖くてなかなかできないのだと思う。
たぶんリアルな素っ裸よりも、
自分のあたまのなかで妄想したフィクションの女の裸のほうを男は美しく感じている。
女性は同性の目なんて気にしないで、隙をつくれ! 
間違った。お願いします。隙をつくってくださいませんか?
友人の友人に男はだれでも落とせるという、
すごい手腕(剛腕かな)の持ち主がいるみたいなんだ。
なんか他人の亭主を寝取るのがうまいらしく、かつては裁判沙汰になったこともあるとか。
逢わせてくれって何度かお願いしているんだけれど逢わせてくれないなあ。
落ちて、みたいんだ。
交際するのは相手の合意が必要だけれど、落ちるのはこちらの自由でしょう。
ある女のことを思って悶々とするとか、高校生みたいな感情を久々に味わってみたい。

話は変わるけれど、恋愛って自然の部分もあるけれど、人工的に作れるんだよね。
むかしのお見合いのやり手ババアとかうまかったわけでしょう。
太郎と花子がお見合いをした。お互い家柄も年齢も吊り合っている。
そこでババアは太郎のところに行き、花子があなたを気に入っているという。
同様、花子のところに行き、太郎は花子のことがあたまを離れなくて夜も眠れないという。
こういうふうにさんざん空気を入れて(ふくらませて)ふたりを再会させたらどうなるか?

おれもこれやったことあるよ。だって、おもしろいじゃん。
M下さんがSさんのことを好きでたまらないって言っていましたよ、とか。
むかし友人がしてくれたこともある。
若い声優のたまごの女の子と引き合わせてくれて、
あの子ヨンダくんのこと気にしていたよ、とか。
当時は無職コンプレックスがあったから冒険には出られなかった。
記憶はあやふやだけれど、
シェイクスピアの「空騒ぎ」「じゃじゃ馬慣らし」もたしかこのパターンだった気が。
ちなみにプロレスは反対をするのね。
相手が言ってもいない悪口を言っていたと告げ口して対戦を盛り上げる。
プロレスは喧嘩のニセモノだけれど、
どこかになまの感情が入っていたほうがおもしろいわけだから。

そのどんな男も落とすという女に逢ってみたいんだけれどなあ。
秋は王子の日本語学校イベントに行きましょうって話だったけれど、連絡が来ないし。
でもまあ、忙しいんだろうなあと。もう8年とかそのレベルの長期関係だから。
それでも、その男を落とす天才で、
実際チョー資産家も落としたという女と逢わせてくれない。
それはファミレスでというわけには行かないのはわかるけれど、くうう。
落とされたいの。堕ちていきたいの。
アントニオ猪木のチョークスリーパーですっと落ちた(実は演戯)天龍源一郎のように。
どうでもいい話だけど、天龍と夫人の結婚はお見合いね。
仲人がそうとううまく空気を入れた(ふくらませた)と本で読んだ。
ちょっと人生を活性化させなきゃな。
むかしはメンヘラっぽい女からけっこうメールが来ていたが、
いまは自己紹介欄に「心を患った人は専門機関へお願いします」
とか書いちゃったからか、ご新規さんがぜんぜん来ない。
携帯番号を公開したら、九州の50過ぎだという暗い声の男性から重たい電話が来て、
「さみしいときはいつでも電話していいですか?」って聞かれたけれども、
「こちらの都合もありますので」とお断りした。
しかし、いまメンヘラ率ってそうとう高いのではないか?
精神科や心療内科クリニックに一度でもかかった人をメンヘラと定義したら、
国民の3、4割がメンヘラになってしまう。「うつは心の風邪」が本当ならば。
で、本来行くべきわたしのような人間が未治療で野放しになっているという(笑)。
けれど、わたし、外面(そとづら)はいいし、むかしと違って常識人ポーズは取れるよ。
そういえば一時期無料カウンセラー状態だったなあ。
カウンセラーなんて難しくてわたしには絶対にできないのだが。そんな器じゃない。
カウンセラーは占い師みたいな適当なことを言って励まして終わりじゃないんだから。
カウンセラーは「この信心は本物よ」「きっと現証が出るわ」
と言って励まして自分がいい気分になっても意味がない。
昨日、稚拙な感想文を書いたカウンセラーの親分の本から抜粋する。
河合隼雄いわく――。

「死にたいと言っている人に温かく接したり励ましたり、
「肩をたたいて励ましたら、ハラハラと涙を流して」立ち直るなどという美談の類は、
われわれの世界にはほとんど縁がない。
美談で立ち直れるような簡単な人は、
われわれのところまでわざわざ来られることはない。
別にそれが悪いというのではない。それはそれでありがたいことだが、
そんなことで喜んでいるような暇はない、と言うべきか。
心理療法家が何かクライアントに役立つことをして
喜ばれるという形になることは少ない。
クライエントに対して治療者が何かをするよりは、
クライエントが自分で動きはじめるのを待って、それに従っていくことになる。
そのためには、何といってもクライエントの言うことに耳を傾けて聴くことが大切である。
そして、その言われた内容に対して、外から判断したり評価したりするのではなく、
内側から共に感じながら聴く」(閉ざされた心との対話/講談社)


こんな難しいこと、だれができるっていうんだよ。
カウンセラーは出した占い結果を使えないわけだから。
カウンセラーは精神病薬を出して、とりあえずのしのぎをできないわけだから。
しかし、お金をもらうわけでしょう。
なにも出していないのにお金をもらうのは勇気が入りそうだよなあ。
生まれ変わっても絶対にやりたくないのはカウンセラー。
すっげえ恥ずかしい妄想を実名で書くぞ。
おれは何度も言っているように来世は絶対美少女に生まれるの。
で、わざと露出の多い格好をして男の子の目を集めるんだ。
パンチラだってブラチラだって見せて減るもんじゃないんだからサービスする。
男から告白されても遠回しに断って、しかし気を持たせるようなことを言ってからかう。
告白してきた男の目のまえで、別のボーイフレンドとわざと腕を組んだりする。
家はビンボーは絶対いや。たまにいる、いくら食べても太らない体質。
きょうだいは困ったときは、いつも助けてくれる優秀なお兄さんがひとり。ふたりでも可。
お兄さんと遊ぶ過程で男を翻弄する技術を身につける。
学校の制服はチョーミニにして階段でも隠さない。
死にそうな顔をしたサラリーマンへの無償サービス。
はじめては賞をいくつも取っている中年カメラマンに捧げる。
で、モデルをしつつもカメラマンもやり(技術と仕事のコネは中年からいただき)、
映画も撮って女性芸術家になる。
もちろん映画の処女作は根回しをきちんとしているから大ヒット。
二回目の映画でこけて、挫折を知るのもいいなあ。
でも美人だからお金持の愛人をしながら美食、美容はパーフェクトじゃなきゃいや。
たまたま愛人と旅行に行った先で気に入った雑貨を輸入する。
資本はもちろん男から出してもらい、
知り合いのモデルに使ってもらい(宣伝してもらい)販売は好調。女性実業家。
加齢劣化は美容整形でごまかし40歳になっても20代の美貌。
突如、占い師の才能に目覚め、政治家や社長といった大物がひっきりなしに。
かげで日本の政治を動かしているのは自分。
このあたりで自分より10くらい年下の青年実業家と結婚して健康な子どもをふたり生む。
子どもが成人したころ、末期がんが発見され苦しまずに死ぬ。
最期はみんなから惜しまれ、しかし生き抜くアピールをして国民に勇気を与える。
死後はニュースで波乱万丈の人生を各局で特集される。
よおし、来世は決まったぜ。もう現世はどうでもいい。
コージーコーナーで働いていたときミッキーという女の子がいた。
たぶん30過ぎで、人妻っていう話だったから、女の子っていうわけでもないのだが。
ミッキーはとにかく、こんなおれなんかに優しくしてくれたのである。
ああ、もうミッキーさまさま、すがりたいってくらい。
だって、小さいお菓子を箱に入れるのなんて男は通常苦手でしょう?
働き始めたころはミッキーとの視線合戦だったな。
ああいうところでは変な白衣を強制着用だから、
だれがだれだか最初のころはわからない。
ミッキーの正体はどんな顔なんだろうとハイエナのような目をしていた。
またさあ、あっちゃんというかわいい子がいて、これとも区別がつきにくくて。
アッキーはちょっと生育歴が複雑そうだったけれど、かわいい子だった。
なんの話をしていたんだっけ? そうだ、ミッキーの話。
こちらの妄想だろうが、わたしが職場に入ると場が遊技場に近くなることがある。
たぶん意図的にお若い男性社員さんが、あれはなんというのだっけな。
最後のほうにやる仕事にミッキーとおれをセットで入れてくれた。
おれ、こんなことを書いているけれど、正体は図々しいし、
シナセンのクソババア小林からは厚顔とか言われるふてえ男よ。ず太い。
もう契約終了も見えていて、
明らかにミッキーとのおしゃべりタイムをプレゼントしてくれたって感じ。
いちばんお世話になったのは橋本さんかミッキーかって話。
でも、どうしてもミッキーと話せなかったんだなあ。
ミッキーと社員の好青年はドラえもんの話をしていた。話に入るように誘ってくれていた。
おれってご承知でしょうが、小心者よ。
職場に入ったらまずだれが自分の味方か探す。
ミッキーとは最初からすごく目が合ったし、おねえさまキャラで大好きだった。
最後のほうはほかの派遣さんもKさんをミッキーと呼んでいたが気のせいだろう。
結局、一語も言葉を交わせなかった。
亭主から奪いたいとか独占したいとかそんな気持はぜんぜんなく、
どうしてミッキーはこんなに優しくしてくれるんだろうと。
北戸田には万が一にもクリスマスとか正月とか呼ばれたら行くし、
しかし再会しないほうがいいのかもしれない。
政治に希望することといったら、安楽死の合法化、施設の迅速な設計だなあ。
わたしは痛そうな自殺よりも安楽死をしたい。
自殺でまずって障害者とか最悪じゃん。安らかに今生を終えたい。
政治に望むことは、税金を払いたくない。払ってもいいが最小限にしてくれ。
人生に希望というものが加齢とともになくなってきた。
若い女の子にちやほやされたいとかもうないなあ。
だって、若い子って基本的にバカだから話してもつまらないじゃん。
メンヘラな女子なら少しはおもしろそうだが、依存されるとめんどうくさい。
いまわたしが望んでいることってあるのかなあ。
とりあえず感想をまだ書いていない本の感想を書く時間がほしい。
それからもう少し本を読みたい。あとは楽に死にたい。
女に夢中になってガツガツできたらどんなにいいことかと思うが、そういうのは運だから。
あれから17年経っても結論は死にたいかあ。師匠の原一男教授に申し訳が立たない。