「観客席から・芸術エッセイ」「黄金の国」

04/03/26 12:12

「観客席から・芸術エッセイ」(遠藤周作/番町書房)絶版

→こんな本があったとは! 遠藤周作の演劇論・映画論。
……論というほどでもないかな。
驚いたのは、ぜんぶ福田恆存の受け売りだということ。
まったく同じことを言っている。
実際、福田恆存の名前が何度もでてくる。へー、このふたりに交際があったなんて。
映画は観客の精神を麻痺させるだの、演劇は観客が作るものだの、福田恆存とおんなじ。
たださすがカトリック作家だなと思ったことは、悲劇と聖書を比較しているところ。
福田恆存は悲劇を「葬儀」のようなものだと言っている、
そのときハムレットは生贄となることで観客はカタルシスを感じると。
遠藤周作は聖書のなかのイエスもおなじ構造のもとにあると指摘する。
なるほどなと感心した。
「小説作法と戯曲作法」という章が興味深かった。「黄金の国」という戯曲を
書いたときの苦労を書いたもの(ちなみにこれは福田恆存の劇団「雲」で上演された)。
引用。

「もともと私には劇とは何らかの形で、人間と人間を越えた超絶的なものとの
関係から生まれねばならぬという考えが心の底にあった」


ふーん。さて、その「黄金の国」はどんなものだろうと読んでみる。



「黄金の国」(「遠藤周作集」大光社)絶版

→遠藤周作の戯曲といったらこれ。代表作。
第二稿を福田恆存に見てもらったら笑いながら言われたという。
「カンシンですな」と。続けて「カンシンは感心ではなく寒心ですが」。
遠藤周作は悔しがってまた書き直したとのこと。
そんな遠藤さんの苦労の結晶をいざ読んでみると、ぜんぜんだめ。
セリフはどれも説明的過ぎるし、人物の造型もありきたり。
何より良くないのはセリフが観念的・思想的すぎること。
なんで九州の百姓が神学論を述べちゃうのよ……。小説だったらなんとか我慢できるけど。
テーマは遠藤周作の代表作「沈黙」とおなじ。キリスト教迫害時代の長崎。
踏絵のうえに足を乗せることをイエスは許すのかと悩みつづける宣教師の物語。
むかしは「沈黙」で感動したけど、いまはまったく。
ああいう世界が気持ち悪くて身震いするようになってしまったのはどうしてだろう。
資料館にある踏絵を足蹴にしたい、教会につばを吐きかけたい、そんな読後感です。
ごめんなさい。

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