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「また二人になる日」

「また二人になる日」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和49年放送作品。
家族は、家族の再生産を目的とする。先ほど書いたことである。
では、家族の目的を果たしてしまった家族はどうすればいいのか。
このドラマのテーマである。

ロードムービー。短大卒業をひかえた沢野加恵ははじめての一人旅へ。
この旅行が終わったら、プロポーズへの返答をするつもりである。
九州である老夫婦と出会う。
ことさら加恵に親切にしてくれるこの老夫婦は、実は離婚寸前であった。
旦那はいう。

「いや、こんなことに今頃気づくのはおかしいのだが、
子供がいて、学校だ、就職だ、縁談だと次々厄介なことを持ちこんで来てる間は、
夫婦というものは向き合わないですんでるんですね。
お互いが、どれほどはなれてしまっているかに気がつかないでいられたんです。
気がついても深刻になる暇がなかった。
披露宴の席順をどうするか、引出物はなんにするか、
もっと前なら、就職してすぐシンガポールの出張所へ行くという息子の心配で、
話すことも相談することもいくらでもあった。
しかし、二人きりになり、さあ面倒をかけるものがいなくなったと思ったら、
(薄く笑い)しゃべることがないんですよ」(P75)


この老夫婦と出会ったことで加恵は、プロポーズを断わる決心をする。
最初からあつい恋愛感情はなかった。ただ、条件はそう悪くなかった。
どうせすごい恋愛なんてないんだから、このくらいで手を打とうかというあきらめ。
加恵を結婚へと迷わせたものである。
これではいけない。こんなことじゃいけない。
加恵は1年後の再会を老夫婦と約束して東京へ戻る。
老夫婦の問題は解決したわけではないことに注意したい。

山田ドラマの力学というのは「あきらめる/あきらめない」ではないか。
断念するか、断念しないかである。
人間が生きているとどうしようもない宿命めいたものとぶつかる。
断念しなければならないものは歴然として存在する。
しかし、と思うのだ。だが、しかし。
百回断念したら、一回くらいは、そう一回くらいは断念をやめるべきではないか。
かくありたいというじぶんをめざして行動してもいいのではないか。
これが山田太一の描く「人間・この劇的なるもの」である。
「あきらめる/あきらめない」のバランスこそ、山田太一ドラマを色づけるものだ。

青年の結婚観については、山田太一には秀逸のエッセイが別にある。
「路上のボールペン」に収録されている「決心」である。注記する。

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