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「春日原まで一枚」

「春日原まで一枚」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和49年放送作品。
家族ドラマ。山田太一が描くのはいつだって、一見すると、ありふれた家族である。
お茶の間である家族が山田ドラマを見るとき、ブラウン管は鏡となった。
ありきたりな家族というのは、そうとう各人が努力をしないと成り立たない。
家族がそれぞれ自由にふるまったら家族などすぐに崩壊してしまう。
家族というのは、そもそもあるものではなく、社会があっての家族である。
実社会へ対置するものとして家族がはじめて容貌をあらわす。
カネと契約で成立している(と一般的に思われている)社会というものの存在を条件に、
カネと契約ならぬ「愛」で結びついている(のがよいとされる)家族が誕生する。

家族の維持のために構成員は社会へ出て行かなければならぬ。
父親は労働をして収入を得る。
子どもは、たとえ行きたくなくても学校へ通わなければならない。
なにを目的に学業にいそしむかといえば、父親のようなよき労働者へなるため(男子)。
母親のようなよき主婦をめざす女子もいよう。
あるいは、母親のようになりたくないがために(社会進出!)学業をする女児もいる。
どちらにせよなぜ学校へ行くかという問いの答えは、家族の再生産というほかない。
家族を維持する目的(終着点)は、家族の再生産である。

本作品は、父と息子の成長がテーマ。
父親はよき社会人たるために、会社で上司のミスを背負わせれる。
息子は時計屋で働く。吃音で引っ込み思案。
生きていくというのは甘いことじゃない。
父親と息子へ共通する生きかたである。
かれらを叱咤するのが家族のかなめである専業主婦の母親。

「でも、いまお父さんに我慢して欲しくないの。
お父さん、部長の失敗の責任をかぶせられたのよ。
お父さんに、ちっとも罪のないことをよ、
それでも、お父さん、生きて行くっていうのはそういうもんだって、
抗議もしないで、罪を背負っちゃったのよ。
いま、懲罰ということで、平に格下げになってるの」(P56)

「邦男(息子)も、我慢しすぎないで頂戴、
我慢しすぎてるお父さんの傍で、あなたもなにか我慢してるの見るとお母さん、
たまらなくなるのよ」(P56)


父親は妻に励まされ、社長へ直訴をする。息子は、そんな父親を見て励まされる。
あきらめてばかりいちゃいけないんだと思う。
もう別の人間と婚約が決まっている恋人のもとへ愛を伝えに行く。
かくあるじぶんがいる。ダメだと思う。かくありたいと行動する。
山田ドラマが一貫して描く庶民のすがたである。
息子の求愛は成功する。家族の再生産に成功したのである。
すぐさま息子は公衆電話から母親へ報告する。

「もう、僕、吃らないよ」(P62)

さすがにこの結末は甘すぎるとしらけたことをわたしは報告して感想を終える。

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