「白い炎」(井上靖/文春文庫)絶版
→例によってお酒をのみながら井上靖の中間小説を読む。
氏の大衆向け小説は絶版が多いとはいえ、数限りなく出版されているので頼もしい。
昭和31年に「週刊新潮」へ連載されたものである。
簡単な筋を書くが、なんとも時代を感じさせる。
主人公の那津子にはいいなずけともいうべき男性、木津俊太郎がいる。
だが、親友も木津に恋をしてしまう。三角関係である。
那津子は親友から接吻をしたことを聞かされる。
たかが口づけなのだが、そこは時代。那津子は木津に幻滅する。
そのすきに親友が強引に木津と結婚してしまう。
悲恋というやつである。
那津子と木津は愛しあっているのに、ちょっとしたボタンのかけちがいから人生が狂う。
そのうち那津子も請われるがまま結婚するが夫に愛情を感じることができない。
木津の結婚は失敗だった。夫婦関係はうまくいかず、事業も失敗。大きな借金を背負う。
いっぽうで那津子の夫の商売は大成功。対照的である。物語である。
文学のテーマを問われて「人間の幸福とは何か」と答えたのは宮本輝である。
井上靖ならなんと答えたか。
きっと自分を尊敬する後輩作家と似たような応答をしたはずである。
あるいは本文から引用するならばこんなところか。
「何か知らんが、人間一生のうちにはいろいろなことがあるさ。
死のうと思うこともあるだろうし、恋愛することだってあるだろう。
なにしろ人間というのは生身(いきみ)だから始末が悪いよ」(P285)
井上靖の中間小説を読んでいて思うのは、幸福がはっきりと定まっていることである。
これを井上靖の鈍感と見るむきもあろうが、氏が活躍したのはそういう時代なのである。
恋愛をして結ばれるのが幸福。お金持になるのが幸福。その反対が不幸。
幸福と不幸のあいだを、あっちこっちと動きまわるのが井上文学の登場人物である。
現代には、明確な幸福と不幸の定点がない。平成の井上靖が現われぬゆえんである。
「白い炎」の終わりで、那津子のかつてのいいなずけである木津は自殺をする。
それを那津子が知るときの描写に注意したい。新興事業家の夫から新聞を渡される。
「的場は夕刊を那津子の手に渡した。
記事はほんの十行ほどの短いものであった。
見出しは『事業に失敗して自殺』となっている。
那津子は短い記事の初めの方に、木津俊太郎という活字を見出したとき、
その新聞を伏せて的場の顔を見詰めた。
予想はしていたことだったが、いざそのことが現実の事件となってみると、
そうした行動をとらねばならなかった木津という人間の悲しみが
やはり心にしみてくる気持だった」(P309)
ぞっとするほど宮本輝の小説に似ている。
いうまでもなく、井上靖のほうが先輩である。どちらも一流の物語作家。
宮本輝は創価学会への信仰から物語をつづっている。
だが、井上靖は――。なんの信仰も持たずにどうしてこのようなことが書けるのか。
「そうした行動をとらねばならなかった木津という人間の悲しみ」。
この一文である。しかし、この一文はよほどの覚悟がないと書けないものだ。
井上靖にこの達観をもたらしたものはなんだろうか。
あたかも天空から地上の人間を見下ろしているかのような視線である。
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