「文学入門」

「文学入門」(桑原武夫/岩波新書)品切れ

→初版は昭和25年。敗戦から5年後。教養人への縄梯子である岩波新書。
どんな本かといえば目次を見ればわかる。ふきだすなかれ。

「第一章 なぜ文学は人生に必要か
 第二章 すぐれた文学とはどういうものか
 第三章 大衆文学について
 第四章 文学は何を、どう読めばいいか
 第五章 『アンナ・カレーニナ』読書会」


突っ込みどころが満載でしょう。
文学など人生には必要ない。すぐれた文学は人それぞれ。
大衆文学と純文学の区別はもうなくなりました。
文学は何を、どう読んでも、読まなくてもいい。
「アンナ・カレーニナ」を読めるのはよほどのひまじん(わたしのような)。

なんともほほえましい記述がある。ぜひ読んでいただきたいので引用する。

「私はまたある紡績工場の図書室の貸出簿を一見したとき、
大衆文学と同時に、日本や外国のすぐれた文学作品が
盛んに読まれていることを発見したのだった」(P92)


むかしの工員は工場で働いたあと、トルストイやモーパッサンを読んだのか。
いまでは大学生でさえ読むものはめずらしいと思われるが。
いい時代があったのだとうらやましくなる。
敗戦で日本はいちから出直し。それは無限の未来をも意味していた。
成長の神話を盲目的に信じることができた時代。
日本経済が欧米諸国を見習い成長するように、
日本人も世界の名作文学を読むことで人間的に成長しなければ。
そんな使命感が国民全体の同意としてあったのであろう。
経済成長と人間成長が同列に語られた時代である。

岩波新書の「文学入門」は文学ブームのきっかけともなったが、
まさしくこの薄い新書が現代の文学衰退の原因にもなっていることに気づく。
桑原武夫はいう。

「学校教育におけるすぐれた近代文学の読み方の教育こそ、こんにちの急務である」(P96)

長年にわたる学校文学教育の結果がこのざまである。
発生の由来からして、近代文学(小説)はこっそり読むもの。
演劇ならまだしも、みんなで読む文学などあるわけがない。
文学とは秘密の愉しみなのだ。
教育者から読めといわれるようになったら文学は終わりである。
文学教育をしきりに推奨したから、文学が先細りになっていったと思われる。
やれといわれたことは決してやらないのが文学者本来のすがたではないか。
かれらが生み出した文学作品を学童に強制して読ませた教育者の罪は重い。

(メモ)物語と小説の相違。
物語は宿命によって支配される人間を描写。
小説は運命と闘う人間を活写する。人間中心の近代小説(P111)。

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桑原武夫「文学入門」〜現代において、「文学とは何か」  コトバスケッチ。  2008/03/08 04:54
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