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「女巡拝記」

「女巡拝記」(梶山季之/徳間文庫)

→梶山季之は「男性自身」の山口瞳とマブダチだったことで知られる(?)
昭和の大衆作家だが、いま読み返すものはいないと思われる。
梶山は仕事中毒で酒と女が好きで45歳で死んでいる。
ものすごい金を稼いだそうだが、納税額をまず考え、かわいそうだなあと思う。
「女巡拝記」は短編小説集で、日本男児が
世界各国で女とやりまくるという会話だらけの娯楽小説で悪くはない。
が、女のパターンが昭和だが、しかし、そこがいいとも悪いとも言える。
女は男に尽くせ、みたいな規範を大衆小説はなんの疑いもなくなぞっている。
女って食いものみたいな商品であることが
ちょっとまえまであからさまに社会通念としてあって、
女サイドもそれを了承していたのが、こういうのを読むとよくわかる。
女は男によって金で買われる食べもので、別名は子を産む機械。
新品は高いが、中古品や旬を過ぎると時に買い手がつかなくなるもの。
「女巡拝記」から――。
宣伝会社の中年社員が、タイで妻の年の離れた妹の処女を食う話。
若い女は京子といい男が縁故採用してやったモデル。

「京子は、その点、若いだけに、すべてに溌剌(はつらつ)としていた。
乳房は、姉と違って小さいが、お椀型に盛り上げっている。
採用テストの時に、審査員として視(み)たのであるが、
乳首は桜ん坊のように大きく、しかもピンク色であった。
あの乳房は、将来、楽しみのある乳房である。
腹の筋肉はぐッと締まっているし、腰のあたりも、くびれている。
ふくろはぎの筋肉は、ほどよく盛り上がり、
足首は仔鹿(こじか)のように引き締まって、
見るからに若々しく躍動的だった。
それに、モデルになる位だから、面(めん)がいいのである」(P98)


梶山季之は女性を自分とおなじ人格を持った「人間」としてまったく見ていない。
こういう男がかつてもてたのである。
おそらくいまも建前ではなく本音では、そうだろうと思われる。
そうそうなにか劇的に変化するものではない。
「女のくせに」「男のくせに」は変わらない。

COMMENT

面影橋 URL @
01/19 10:58
. 梶山季之はまだ読まれている部類だろう。2018年にも光文社文庫から『地面師』が出ている。

昭和の大衆作家で本当に読まれなくなったのは痴漢小説の泉大八だ。一時期は梶山季之や宇能鴻一郎や川上宗薫や富島健夫などと並び称される存在だったが、最後の著書が出たのは1988年。もう死んでいるかもしれないが、亡くなっても訃報は出まい。








 

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