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「文豪エロティカル」

「文豪エロティカル」(芥川龍之介・谷崎潤一郎ほか/末國善己編/実業之日本社文庫)

→「10人の文豪が「性と生」を描く!! 永遠のエロス」という惹句。
谷崎潤一郎というのは本当に変な人なのだと「青塚氏の話」を読んで思う。
女性の精神のみならずパーツにも偏愛をみせた人である。
美人女優を妻にする映画監督が、
ある老人からあなたの妻は自分の家にいると声をかけられる。
不思議に思い男の話を聞いていると、
なるほど老人は自分同等か自分よりも妻に詳しい。
正しくは、妻のパーツに詳しい。
なぜなら監督の撮影した映画に出てくる女優を何度も見て、
さらにはフィルムの断片さえ集めさえして、
脳内に完全に女のすがたを再現することができるからである。
いまなら等身大フィギアとでもいうべきものを家で制作している。
胸のかたちがどうしてもうまく再現できなかったが、
ある映画で女優が一瞬だけものを拾うシーンのとき谷間を見せたので、
「代数の方式」によって(!)胸の形状も把握しえた。
老人が言うには、自分はあなたの妻の映画女優を完全に所有した。
あなたの細君は年々老いていくだろうが、
自分の女は永遠の美を有している。
だとしたら、自分のほうが彼女をわがものとしているのではあるまいか。

いったい本物の女性とはなんなのかを考えさせられる佳作である。
沢尻エリカだって絶対に素顔はいい子なのである。
しかし、われわれ大衆は、
テレビや映画の沢尻エリカを沢尻エリカと思ってしまう。
あえて虚像の女優や男性アイドル、
俳優を所有するのはとても楽しい行為なのだろう。
そのことを谷崎潤一郎はあの時代から書いていた。
ある女優のすべての写真集、出演作品をコンプリートするのって快楽。
韓流スター好きのおばさんも(いまでも大勢いるらしいぞ!)、
本物は違うと知りながら虚像をわがものとして所有したいのである。
わたしはあなたのすべてを知っている、みたいなさ。
不幸なケツ毛バーガーさんに、
そういう思いを抱いた男性は少なくなかったのではないか。
もしかしたらそれが究極の愛かもしれないわけだから。
谷崎潤一郎の「青塚氏の話」はアイドルの原型を見事に描いている。
パイオニアこそ完全に隈なく書いてしまうものなのかもしれない。
耽美派、快楽主義の谷崎潤一郎は、
虚像のほうが実像よりも美しいことを知っていたのだろう。
実在する女性よりも、
映画や小説、漫画、アニメのなかの女性のほうが美しい。
現実は幻滅の危機に脆くもさらされているが、虚像は虚像のままである。
イエスや釈迦、阿弥陀仏、観音菩薩は永遠にわれわれをお救いくださる。

わたしも天龍源一郎や山田太一に偶像として救われたことがある。
天龍源一郎の名勝負をリアルで見た数で
わたしに勝てる人はそう多くないだろうし(それでもかなりいる!)、
山田太一にかぎっては、
氏が書いたものをいちばん目にしたことの多いのはわたしである。
わざわざ早稲田の図書館まで行って、未刊行戯曲をぜんぶ読んだ。
これは活字(言葉)にかぎっての話である。
現実としては、わたしは一度も山田太一さんと逢ったことがない。
おそらく逢うことはもうないのだろう。
虚像を愛していると言われても仕方がない。

虚像を愛するという生き方は宗教的だが、それほど悪いものか。
フィクションのAKBならAKBを愛せるのなら、それだけで生きがいはある。
わたしもせめて好きな女優やアイドルのひとりでもつくりたいのだが難しい。
唐突に読書感想文。
本書に収録されている坂口安吾「戦争と一人の女」から。
安吾のなかのアニマ(理想女性像)は言う。女は言い放つ。

「私はだいたい男というもの四十ぐらいから
女に接する態度がまるで違うことを知っている。
その年頃になると、男はもう女に対して
精神的な憧れだの慰めなど持てなくなって、
精神的なものつまり家庭のヌカミソ[=母性という意味]だけで
たくさんだと考えるようになっている」(P209)


だから、坂口安吾は女性理想像を書くのである。
現実だけでは、つまらない。嘘がほしい。嘘にすがりつきたい。
近年、わたしは自分と坂口安吾の類似性をとみに感じている。
まさかいまさらこの年齢になって全集を買って読む余裕はないけれど。
ヒロポン中毒だった坂口安吾のアニマは言う。

「私は淫奔(いんぽん)だから、浮気をせずにはいられない女であった。
私みたいな女は肉体の貞操を考えていない。
私の身体は私のオモチャで、
私は私のオモチャで生涯遊ばずにはいられない女であった」(P211)


思えば、むかし2ちゃんねるでネカマをやらかしたとき、
坂口安吾が大好きだという男性が食いついてきたものである。
現実にあんな女はいない。現実はそうではない。現実は――。
坂口安吾「戦争と一人の女」の女は、戦争が終わったことを嘆く。

「これからは又、夜と昼とわかれ、ねる時間と、食べる時間と、
それぞれきまった退屈な日々がくるのだと思うと、私はむしろ
戦争のさなかなぜ死ななかったのだろうと呪わずにはいられなかった。
私は退屈に堪えられない女であった。
私はバクチをやり、ダンスをし、浮気をしたが、いつも退屈であった。
私は私のからだをオモチャにし、そしてそうすることによって
金に困らない生活をする術も自信も持っていた。
私は人並の後悔も感傷も知らず、
人にほめられたいなどと考えたこともなく、
男に愛されたいとも思わなかった。
私は男をだますために愛されたいと思ったが、
愛すために愛されたいと思わなかった。
私は永遠の愛情などはてんで信じていなかった。
私はどうして人間が戦争をにくみ、
平和を愛さねばならないのだか、疑った」(P230)


織田作之助の「妖婦」もちょっと目を見張るほどいい。
織田作は太宰や安吾とともに無頼派と呼ばれた作家。
まあ、ヒロポン沢尻エリカ系統だったのである。
織田作之助の「妖婦」はいちおう「阿部定事件」をモデルにしたそうだが、
事実とは異なるところが多く、彼のアニマが描かれていると言ってよい。
胸もふくらんだ小学生女子が銭湯で男子にからかわれて、
堂々となにも隠さずひとりで男湯に乗り込んでいくところな本当にいい。
文学的なものは、退屈な日常のせめてものうるおい。
沢尻エリカは文学をした。
むかしから嫌いではなかったが、今回の薬物騒動でさらに気に入った。
しかし、底の浅さが見える夢のないおじさんになってしまった。
だれかに夢中になりたいものである。

COMMENT

万事順調超順調 URL @
11/19 17:57
. 安吾は太宰と違って駄作が多いね。あと、太宰と違って女を描くのが下手。ネカマをやったら、美杳と違ってすぐばれるレベル。








 

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