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「耳瓔珞」

「耳瓔珞 女心についての十篇」」(安野モヨコ選・画/中公文庫)

→心が乾ききっていると、川端康成の純な短編に安らぎをおぼえる。
むかし少年と少女はふたりきりで歩いていた。
手もつないでいなかった。放課後だった。川端康成「むすめごころ」。

「もう皆が帰ってしまって、静かな校庭の藤棚の下を、
あなたと私は歩いていた。
曇り日の湿った土の上に、二人の小さな靴音だけだった。
小石を見つけて、私がちょっと蹴ると、
あなたはまたその先でちょっと蹴る。私が蹴る。あなたが蹴る。
そんなことが二人の気の合ったしるしのようで、私は云いやすかった」(P71)


たわいもないことを、それなのに勇気を出して、
少年はおずおずと少女に問いかける。
だれにもあったであろう、あの時代がしあわせというものではないか。
女の子がとてもまぶしいものに思えた少年時代。
ロマンチストだったわたしの心もいまは枯れ果てている。

少女は女になり、妻になる。妻に言い寄るのはもうかつての少年ではない。
円地文子の「耳瓔珞(みみようらく)」から。
病気で子どもを産めなくなった滝子に遊び人の高梨が無遠慮に近づく。
「僕と遊んでみないか」と言って、
さっと脇から手を差し込み乳房をぎゅうっとつかむ。
あなたはまだまだどころが、いまがもっともいい女なんだよ。
耳元でささやかれると滝子は小娘のように顔を赤くして逃げる。
高梨は滝子に「あなたは淫蕩(いんとう)だ」とささやきかける。

「あの術(て)この術と、面白ずくに滝子の肉体を求めて来た高梨も、
いつか滝子の靡(なび)きそうで靡かない守勢のねばり強さにあぐねると、
突然ぱっとふり向いた感じの素早さで逃げ足になった。
滝子の方から電話をかけても出て来ない。
訪ねて行っても留守を使う。
滝子はそうなって後、
それまで極力逃げ退いていた高梨のあらっぽい肉体への接触感や
常識を麻痺(まひ)させる甘い言葉の数々が
旱魃(かんばつ)田のように罅(ひび)割れた自分の心身に、
どんなに時ならぬ美雨を恵んでくれていたかをひしひしと感じた。
自分はやっぱり女なのだ。
男の胸の骨の一片をとってつくられた女なのだ。
滝子はひとり床の中にのたうってうめいた。
やむを得ない孤独の中で、
滝子は暴風雨の荒れ狂ったあとのカンナの花のように大きく破れ、
猶(なお)真紅に咲きのこっている自分をまざまざ見た。
自分の体内の敵を庇(かば)いながら女であることを確かめたい、
不自然に淫蕩な季節が。その後滝子をおとずれた」(P169)


やたら難解な漢字を使い文学っぽくしているが内容はポルノに近い。
が、わたしはこういうことを書く女流が好きだから引用している。
話を石女(うまずめ)だが、いまや花咲き誇る女の滝子に戻す。
女の花が開いたのである。
滝子は女っ気のないやもめの飾り細工の職人を誘惑するようなことをする。
冷たくからかうわけである。

「その時以来、滝子は次郎さんに細工を注文に行く時、
次郎さんの鼻さきでばっと立上り
靴下なしのぬっぺり白いふくら脛(はぎ)から
華奢(きゃしゃ)な踝(くるぶし)をあらわにみせたり、
背中にピンが落ちこんだといって、
次郎さんのごつごつした手の指さきをこごんだ背骨の奥深く
さし込んでまさぐらせたり、次郎さんが喘(あえ)いだり、
慄(ふる)えたりするのを異様なたのしさで眺めるようになった」(P178)


その後、次郎は作業中の事故で死んだが、
あれは自殺ではなかったのかと考えると、
滝子は自身の虚栄心が満たされるのを感じる。
尺八に抵抗がないあばずれもいいが、
あんなものは決してせぬ気位が高く、
むろん身体を許さないがしかし、男の心を意地悪にもてあそぶ女はいい。

有吉佐和子の「地唄」から気になったところをふたつばかり抜く。
尺八ではなく三味線の話である。

「あの三味線の方が、あの、難しくて、
ピアノは譜の通り弾けば、一応の音が出て音楽らしくなりますのに、
三味線は譜ではてんで曲になりません。
それが私には魅力なんです」(P138)

「生意気なようですけど、ああ、洋楽は音の表を拾って行き、
地唄は音の裏を拾うような、そんな気がするんです」(P139)


瞽女(ごぜ)とか虚無僧(こむそう)とか見たこともない世代なのに、
あのような物悲しくもどこか甘い世界に年齢のせいか心をひかれる。

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