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「円頓章」

「円頓章」(章安灌頂・湛然/「お経がわかる本」/双葉社)

→世間は甘くないという決まり文句は現実や事実というよりも、
心理学でいうところの「べき思考」ではないか。
「べき思考」は人から教えてもらった耳学問なので、
もしかしたら誤用しているかもしれない。
現実はそのままその通りに、
そのもの然として存在する(哲学的には存在していないかもしれない)。
その現実を我われは「世間」と名づけ慣用句のように「甘くない」をくっつける。
これは「世間は甘くない」という事実の提示ではなく、
実相は「世間は甘くてはならぬべきもの」という「べき思考」ではないか。
世間は甘くあってはならぬ「べき」ものと多くの人が考えている。
世間は甘くないから(そうあるべきだから)、
指導教授は教え子の論文を何度も書き直させる。
学生はその理不尽な「べき」にしがたって苦しまなければならない。
苦しんだ教え子は教授を師匠と純粋には尊敬できないだろう。
とても世間を教えてもらったとは思えないだろう。
しかし、世間における「師弟の絆」といった美談風ストーリーは強い。
学生が思いつきで書いたものがいい出来のこともあるのだが、
そういうときは学生自身が自分はもっと苦しむ「べき」ではないかと悩む。
教授があっさりOKを出したら、
指導者はもっと親切に指導す「べき」だろう逆恨みする学生もいよう。

世間は甘くない。苦しむべきだ。
そういう「べき思考」が他人をも自分をも苦しませる。
他人の「こうあるべきだ」という怒りに接した人はなかなか周囲に微笑めない。
もっと世間を甘く考えてもいいんじゃないか、
なんて口にしようものなら「世間は甘くない」という怒声で周囲を囲まれる。
しかし、それは世間は甘くない」ものである「べき」だ、
という偏った見方とも言える。
「べき」の根源にあるのは世間的善悪の価値基準である。
世間的善悪は相対的で普遍性を持ち合わせぬ。
むかしはセクハラや受動喫煙の迷惑を訴えたら世間から鼻で笑われた。
世間を知らないんだな。世間は甘くないよ。
おれがサービス残業をどのくらいしているか知っているか。
「しなきゃいいじゃない」だと? 
そんなに世間は甘くないぞ。世間を知らないやつだ。

繰り返すが、「べき思考」の根源は相対的な世間的善悪である。
仏教は出世間(しゅっせけん)の教えである。
世間を知らないから彼は仏教者なのである。
世間(的善悪や価値観)から出なさいと説いたのが釈迦や小乗仏教。
しかし、出世間の教えでは、
かえって世間的善悪や価値観にこだわってしまう。
このため、「無世間、無出世間」を説くにいたったのが大乗仏教である。
換言すれば「無善悪、無出善悪」となる。
「善悪もないし、善悪を出た世界もない」。
そのままの状態はプラスもマイナスもない。
これを天台宗のお経「円頓章(えんどんしょう)」ではこう表記している、

「無苦無集 故無世間 (苦しみも原因もないのは、世間がないからである)
無道無滅 故無出世間 (正しい道も悟りもないのは、出世間がないからである)
純一実相 (そのまんま)
実相外 更無別法 (それ以外に、なにか別の真実があるわけではない)」


言っておくが、こんな仏教的真実を知ってもなにも解決しない。
現実的に人を救うのは正しい真理とやらではなく金銭である。
女性は現実的だから、仏教の空理空論をあっという間に見破る。
お金をくれた人には救われたと思うし感謝している。
だれかを救うのは真理ではなく金銭である。
しかし、金銭をいただいたら提供者のコントロールからは逃れられない。
そうす「べき」であるという世間的な規範が強くあるようだからである。
あまり強い「べき思考」は自他を苛むだけだと思うが、
それが(仏教の出世間ならぬ)娑婆(しゃば)世間というものか。

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COMMENT

葉蔵 URL @
11/06 14:07
. >だれかを救うのは真理ではなく金銭である

だれかじゃない。金銭で救われるのは、あなたでしょう?
Yonda? URL @
11/10 23:03
葉蔵さんへ. 

うんうんうん。








 

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