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「猫と偶然」

「猫と偶然」(春日武彦/作品社)

→作家で精神科医の最新エッセイで、
最初の感想は「8月4日の記事」に書いています。
春日さんとの共通点は運勢を異常に気にしているところだろう。
運というものはどこか神秘的で、
それは「猫と偶然」に結晶しているのではないか。
というのが、作者がタイトルに込めた意味かと思われる。
精神病というのはかなり不可思議な病気だが、
春日医師は長年狂人と向き合ううちに、
運というものにしみじみ思いをはせるようになったのではないか。
20歳とかで統合失調症になってしまったら不幸の極地だが、
原因はよくわからず、しいて言うなら「ついていなかった」しかない。
敷衍すると、これは春日医師にも言えて、
医師がいつ不幸のどん底に落ち込むかはわからない。
みんな自分は大丈夫だと思っているが難病にかかる人はかかるし、
交通事故に遭う人は何秒かの差でどうしようもなく車に轢かれる。
不幸と親和性が高い精神科医は、
持って生まれた不安感や猜疑心に苛まれる。

わたしなど春日武彦さんの1/10の幸運にでもありつけたら、
ケーキにロウソクを立ててひとり祝うが、
それは春日先生の外面(地位・収入・家族)を考えたときのケースで、
内面まで考えてしまうとわからなくなる。
本書で知ったが、あれほどの渾身の大作、
「私家版・精神医学事典」はアマゾンで★ひとつをつけられたのを皮切りに、
書評にも取り上げられず重版もかからなかったらしい。
似たような話をすれば今年、奇特な出資者から依頼され小説を書いたが、
その作品は感情的にボロクソに批判され、
あげくの果ては自作を98万でぜんぶ買い取れという詐欺師めいた指示。
3回契約だったが、1回分のギャラは払わないという。
人生こんなものだが、あんまりだよなあ。
こういうとき春日武彦さんはどうするのかというと、
「買物依存症予備軍」のようになるらしい。
つい無駄なモノやガラクタの類を買ってしまう。その心は――。

「少なくとも当方においては、迷信ないしは魔術的な心性が絡んでいる。
どうでもよさそうな品物を(ボディが限定色のペンとか、
サルの文鎮とか、電子煙草の新型とか)であっても、
それを自分の家に迎え入れることによって運勢がたちまち好転したり、
今まで自分でも気付かないままであった何らかの才能や能力に
目覚める契機になるのではないか
――そんな夢のようなことを考えてしまう。
人生における(好ましい意味での不連続点)が
もたらされているのではないか、と。
考えようによっては、怠惰かつ物悲しい話である。
いじらしい、とでも形容すべきか。
だが当人としては、情けないと思いつつ多少の「ときめき」もあるのだ」(P114)


それは仏教信心のメカニズムと似ていなくもないのだろう。
春日先生の立派なところは、
たとえばカスガ先生オリジナルグッズをつくって(もちろんベースは猫)、
患者に配らないだろうところである。
本当はそのくらいで軽い神経症なら治ることもあることを知りながら。
冗談だが、わたしがつくっちゃおうかな。
猫の春日先生が白衣を着ている置物(ぬいぐるみ)で、
占い師めいたいかがわしきトーンも身に備えている。
用途はいろいろ。夜抱いて寝てもいいし、
ムカムカするとき床に叩きつけてもいい。
サッカーボールの代わりや罰ゲームのパーティー用品としても使えるだろう。

いま落ち込んでいるが、春日先生に相談しても、
「そりゃあ、いまのところどうしようもないだろうねえ」だろう。
おすすめの占い師を教えてくれて、行けとは患者に指導しないだろう。
気持を明るくして笑顔でいないと幸運が舞い込まないのはわかるけれど、
この1年以上、八王子の59歳の事業家に振り回され、妙な夢を抱かされ、
結局はポイ捨てされて、さらに怒鳴られ、
金もあと1回分払わないつもりだろう。
かといって、人生そんなもんだし、いい方面を見たら、
この歳までなんとか生きられていることに
満足しなかったらいけない気もする。
下を見たらきりがないのはわかるが、しかし、なんだかなあ。
努力は報われないのに対し、
若い子がさして努力もしていないのにキラキラしている。
それは運だからどうしようもないのはわかるのだが、いまいち腑に落ちない。
やさしい奥様がいる著書多数の院長先生の春日武彦さんでさえ
そうなのである。

「猫は元気に遊んだり眠ったりしているものの、
わたしのほうはいまひとつ生活に生彩がない。
ことさらトラブルを抱えているとか心配事があるわけではないのだが、
何か輝きに欠ける。カタルシスがない。
この世に生まれて良かった! なんて気分にちっとも遭遇しない。
平穏無事であるのを感謝して、
それ以上を望むなんてバチ当たりだとは思うが、
どうも「つまらない」。冴えない日々を送っているようで気が沈んでくる。
猫の溌剌さに引きずられて気分が高揚してくれればいいのに、
逆にしょぼくれた人生が対比によって炙り出されてくるように思えてしまう。
電車に乗って中野まで出掛けた。占い師に見てもらうためだ」(P154)


春日さんは占い師から開運のかぎは寅(とら)だと教わり、
それにまつわるパワースートーンを購入して、
「やるだけのことはやったのである」
「あとは臆することなく幸運を受け止めるだけだ」と思う。

わたしは占い師に行く金はないが、パワーストーンくらいならなんとかなるか。
一時期、創価学会の数珠を手に法華経を毎朝読誦していたのも、
基本構造は春日先生の占い師やパワーストーンと変わらない。
今回は今度こそはと思っていたのだが、
またもや全身の努力は灰燼に帰した。
慣れないゴマをすったり、相手を立てたり、いろいろ尽力したのだが。
そうすると逆に舐められてしまうのだろうか?
暗く考え込んではいけない。明るく、明るく!

本書は春日さんの本のなかでは、めずらしいくらい明るい色調である。
おそらく外科のナースをしている(現在は手術室師長)奥様を
ひんぱんに登場させているからだろう。
夫婦二人で日光江戸村に行き、
春日さんがマスコットキャラクターの「にゃんまげ」を見つけ、
走って駆け寄り夫婦で交互に記念撮影するシーンでは、
「春日さん、裏切り者、醜形恐怖症ではなかったのか!」という気も失せ、
ただもう微笑ましかった。
スマホを持った春日先生は裏切り者ではなく、
老化とともにいい感じに世界と仲直りをした感じがして、
長年の読者のわたしも安らかな気分になった。
生活力たっぷりの常識感覚をお持ちの奥様と、
世界への違和感で苦しみ続けた離人症気味の春日さんは、
ベストカップルと呼ぶにふさわしい男女でしょう。おふたりに幸あれ。

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