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「<神>の証明 なぜ宗教は成り立つか」

「<神>の証明 なぜ宗教は成り立つか」(落合仁司/講談社現代新書)

→同志社大学の経済学部教授の書いたキリスト教寄りの宗教論。
経済学にもキリスト教にも(著者が仏教に詳しくないよう)
縁がないのでわからない部分が多かった。

わたしの言葉でわかりやすく説明すると、基本的に宗教は3パターンなんですよ。
1.「人間←神仏」(救済)
2.「人間→神仏」(修業)
3.「人間=神仏」(覚醒)
・神仏のほうから人間を救ってくれたり、見守ってくれる(=1)。
・人間が努力して神仏に近づいていく(=2)。
・人間がそのまま神仏であることに気づく(=3)。

仏教とは縁がない著者はこう定義している気がする(違うかもしれない)。
1.「人間←神仏」=(西方)キリスト教
2.「人間→神仏」=仏教
3.「人間=神仏」=ギリシア正教(東方キリスト教)

しかし、仏教だっていろいろあって、
そんな簡単にひとくくりにできるかという批判はあってもいいはずである。
1.「人間←神仏」=浄土宗、浄土真宗
2.「人間→神仏」=禅宗、日蓮宗
3.「人間=神仏」=密教、真言宗
わたしが経済学やキリスト教に無知なように、
著者は仏教をあまり勉強していないのだろう。

以下は、著者が宗教を1と2であると学者言葉で説明しているところだ。

「一つは、この世界の他者の方からこの世界に関わって来る。
たとえば神が人間と成ってこの世界に現れたり、
神が自らの言葉を人間に預けたりする類型、
この世界の他者がこの世界に内在して来る類型である。
二つは、この世界に生きる人間の方からこの世界の他者に関わろうとする。
たとえば人間が仏と成ってこの世界の他者と合一したり、
人間が自らも光と化して神の光と一致したりする類型、
この世界に生きる自己がこの世界を超越する類型である」(P24)


書き写してみると著者は2と3を一緒くたにしている気配もある。
これに対して経済学者の著者は文学的とも詩的とも言える疑問を提出する。

「神が人に成り、人が神に成らずして何の宗教か。
宗教はこの明らかな論理的な矛盾をどのように背負い込むのか」(P26)


無宗教だが仏教ファンで日本人のわたしはこれがわからない。
どこに論理的な矛盾があるのだろうか?
人が神になんてなれるはずがないだろう? 矛盾していません。
こういう態度を著者は世俗的であると指摘(批判?)する。
信仰の世俗化とは――。

「……人間が神や仏と関わる可能性を完全に否定することである。
神は存在するかも知れない、しかし神は活動せずこの世界に関わらない。
神は在る、しかし生きていないのである」(P148)


経済学者の著者はロマンティストのようで以下のような理想郷があるようだ。

「神は光であり、人間もまた光と成ることによって神と一つに成る」(P67)

この光というのが無限数であり、人間が「1」であり(「他者」がn+1?)、
なにやら数式が書かれているが、数学が苦手だったわたしにはわからない。
おそらく「1」が無限数であることをいろいろと証明しているのだろう。

ネットでちらほら感想を見ると、経済学者が神学に首を突っ込むな。
文系が理系にものを言うな。数式が間違っているぞ。
などと批判を受けている。仏教ファンのわたしも著者の仏教理解には首をかしげる。
だがしかし、著者の境界を飛び越えようというパイオニア精神は評価したい。
ひとつ庶民的指摘を最後にしておけば、
日本人の多くは仏教に興味がないし、
さらにその百分の一ほどにもキリスト教に関心はないし、
ましてやギリシア正教(東方キリスト教)などどうでもいいと思っていることである。

(関連記事)
「日本人・いのちの風光 梅原猛vs.ひろさちや対談集」(主婦の友社)

COMMENT

アンドレアス・グルスキー URL @
07/24 17:26
. 著者は「三位一体」の観念に取り憑かれており、それだけが宗教だと思い込んでいるのだろう。が、いずれにせよどうでもいい空理空論だ。神も仏もいないんだから。「サンタクロースの実在を証明する」というのと同じぐらいバカバカしい議論。








 

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