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「仏像でわかる仏教入門」

「仏像でわかる仏教入門」(ひろさちや/講談社+α新書)

→いまでさえ、ひろさちや先生の入門書を読むくらい仏教がわからない。
仏教学者の説はイミフだし僧侶の説教はひたすら退屈だし、いまもって救われない。
いままでなんのために仏教を勉強してきたんだろうなあ。
10年以上仏教を学んでも、ひろさちやの入門書っていう、そのね。
本書でも法身仏、応身仏、報身仏の違いがわかりやすく書かれていたが、
どうせすぐ忘れるような気がするし、
そんなことを覚えても一文にもならないし救われない。
観音菩薩みたいな存在が現われて、パーッと救われちゃうようなこともありそうだが、
いまの自分を考えるとありえないとも思う。
インドやアジア各地で無数の仏像や仏画は見たが、どれひとつとして感動したことがない。
ラオスのビエンチャンの、あれはなんだったか、いちばん有名な寺の仏画に、
エロそうな裸の女をイヒヒと笑いながら男たちがむさぼっているものがあり、
それはいまでも覚えているが、あれはなんだったのだろう。
高僧が来て説教をしはじめ、みんな神妙に聞いていたので、
僕も最後尾で真似をして聞いた。説教は終わるのが早くそこがよかった。
最後に高僧は聴衆のなかに分け入り金を集め始めた。
むろんのこと、このタイミングに感謝して僕も少額だがお布施をした。

終わったあとがすごいのである。ラオスは仏教徒の若者のパワーがある。
寺の敷地内でものすごい大音量でラオス歌謡曲を鳴らし、
トラックの荷台に若い女が立って踊り狂っている。
若い男たちもみんな大盛り上がり。そのときそれを見て僕はなぜか感動して涙した。
結局、仏像や仏画よりも人間が好きなのだと改めて思った。
あのラオスでの感動は忘れられない。

ひろさちや先生のご意見を誤解すると、仏像のいいところは物言わぬところか。
がために、人はそれぞれの機根にしたがって、仏から教えを受けることができる。
万民に共通の絶対的説教なんてないわけだ。
若いか老いぼれか、男か女かでも変わるだろうし、貴賤賢愚でも教えは変わろう。
仏像は物言わぬ。このゆえ、人はそれぞれ自身の仏と向き合うことができる。
いやさ、あはっ、僕はそんな経験はありませんよ。
仏像よりもなまの人間のほうがどこでもおもしろかった。
しかし、宗教指導者よりは物言わぬ仏像のほうがいいというのはわからなくもない。

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