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「無量寿経釈」

「無量寿経釈」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→宗教で嫌いなのは信者へ他宗批判の攻撃心と堕地獄の恐怖心を植樹するところ。
法然もこの「無量寿経釈」でそれをやっているんだなあ。
「正しい」を求める心ってなんなのだろう。
言葉は二分法を離れられないから(善悪、損得、正誤、美醜、高低)、
「正しい」を追求すると必然的に「誤まり」を生み出し、それが他を邪悪のように思わせる。
わたしの解釈では、踊り念仏の一遍は南無阿弥陀仏と一体化することで、
二分法(相対)を超えた「歓喜踊躍(かんきゆやく)」(大無量寿経)の
絶対的なラリラリ・ワールドに入った人だから、
法然もそれに近いところがあるのかと思ったら、法然も他宗批判と堕地獄を説いており、
踊り念仏の土台までしか造れなかったように思われる。

先日、ある人に地獄ってあるんですか? と聞かれたが、
地獄は浄土の対立概念で、言葉は二分法だから、
浄土と言っちゃうと地獄も創らざるをえなくなるという話で、それだけで。
浄土を証明するためには地獄を強調するしかない。
念仏を正行だと信じれば信じるほど余行が邪や魔に見えてくるという言語構造。
法然は言語達人だったが、
その世界から抜け出られず年々言葉の蟻地獄に沈んでいったのかもしれない。
しかし、結局最後の遺言めいた「一枚起請文」では、
南無阿弥陀仏だけでいいと言っているから言葉の秘密に気づいていたのかもしれない。
本書で法然が言っている念仏が「正しい」理由は――。
禅は禅をやった人しか往生できないし、
法華経の人も華厳宗も三輪宗も法相宗もそうだし、
真言も唯識も勉強や修業をした人しか救わないが、
念仏はそれらの人をも含めてあまねく万民を往生させるから「正しい」――。
ここまではいいのだが、このために他宗は邪宗とやっちゃうところが法然の限界かなあ。
「正しい」念仏を誹謗するものは地獄に堕ちると宣言するところも独善的でいやだ。
どうして宗教的指導者は「正しい」ことを熱望し天国(浄土)と地獄を創るのだろう?

「仏一音をもつて説法を演(の)ぶ。
衆生類に随つておのおの解(げ)することを得云々。
仏意は多含なり」(P76)


ここでストップできないで優劣、正誤、善悪を決めたがるのが人間であり言葉である。
念仏は――。

「誰人かこれを聴いて踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)せざる。
しかるにある人これを聴いて誹謗をなす。
まさに知るべし、この人は五劫の中に大地獄に堕つべし」(P78)


踊躍歓喜していればいいのに人は地獄を創作してしまう。
天台の一念三千思想めいたことを言うと、地獄のなかに浄土があるのかもしれない。
浄土はあたかも地獄のようなのかもしれない。

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