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「野の春」

「野の春 流転の海 第九部」(宮本輝/新潮社)

→宮本輝の父親は女癖が悪い大物ぶった口だけのゴロツキで、
母親はことさら料理がうまいわけでもないアル中の陰気なババアだったと思うが、
宮本輝はさんざん迷惑をかけられた両親をさも偉人であるかのように描いた。
これが創価学会の宿命転換であり、「野の春」は宮本輝の自己救済になったと思う。
宮本輝自身も学校の勉強こそできないが、
なにかを知っている大物の神童として描かれているが、
あなたのご両親もあなた自身も吹けば飛ぶような社会の塵芥。
いちばんましなのは資産家の娘で伸仁の恋人、大谷冴子(大山妙子)だろう。
育ちが悪いというのは宮本輝のためにあるような言葉で、お育ちが悪いと
ここまで嫌味な説教くさい善人ぶった
傲慢な野郎ができるのかと空いた口がふさがらない。
庶民――いわゆる学がない人間たちの
大物ぶりっ子をここまでうまく描いた小説はなかろう。
女に騙され部下に裏切られ、
みじめにもあわれにも犬死する松坂熊吾は最期まで大物ぶっている。
夫に殴られ蹴とばされ、
それは字もろくに書けない水商売あがりゆえの無教養の妻の房江は、
夫の愛人を怒鳴ることもできない下卑た根性の女で、
表面上は夫の愛人と気を合わせながら内心では軽蔑するが、
それを表面に出すこともできない陰にこもった精神が貧しい女としか思えない。
こういう両親をモデルにして、
さも男女が市井の聖人であったかのように宿命転換小説を描いた宮本輝は天才である。

すべては宿命として現証として現われる。
松坂熊吾は心根のいやしさを最後の最後で露顕している(正体を見せている)。
なんでも20年くらいまえに数年世話してやった年下の男が、
いまは東京で有名企業の社長になっている。
受験で東京に行った息子に、熊吾は大物ぶって会いに行かせるが無視された。
それはしようがないだろう。相手だって忙しいし、めんどうくさい人の子とは会いたくない。
松坂熊吾は自分が見えていないというほかなく、
いまのおまえは借金まみれで、事業に失敗して
妻子も養うことができなくなった田舎もん丸出しの「色きちがい」の暴力好き、
そのうえ糖尿病で喧嘩しても息がつづかない性格破綻者なのにもかかわらず、
老齢で金欠の熊吾は自分を関西の大将だと見誤り、
20年以上もまえの部下に恩を返せと出来の悪い息子を派遣する。
こんなのは無視するのが常識だと思うが、熊吾はそうは思わないで根に持つ。
そして、仕返しをするのが「流転の海」のクライマックスだが、それがせこいので悲しくなる。
女に溺れ零落したよれよれのスーツを着た田舎もんのおじいさんに成り下がった熊吾が、
かつておおむかし数年世話してやっただけの部下で、
いまは世間的評価も高い東京の光り輝く社長に再会したときどうするか。
相手の身になれよ。どうしてそういういやがらせを関西のやつはするのか。
そういうことをするおまえの宿命はなんなんだ?
いまをときめく東京の社長さんに、完全に落ちぶれた負け犬の犬死寸前の熊吾はいう。
負け惜しみ。

「こんなところでお逢いするとは。お久しぶりです。
大変なご英達、おめでとうございます」
「先日、息子を東京に挨拶に行かせました。
成人した息子を辻堂社長に見てもらいたいと思いまして」(P329)


70歳を超えているのにこの品性のなさ、常識のなさ、心根のいやしさはなんだろう。
辻堂社長はかつての上司、松坂熊吾をどれほど瞬座にあわれんだことか。
成功した辻堂社長は長年の2号さん(愛人)を連れていた。
零落してボロボロの松坂熊吾は、
自分にも顔に火傷をおった愛人がいるのにもかかわらず、
ゴロツキの本性を発揮して、女性に卑猥な言葉を投げかけ意気揚々と大勝利宣言する。

「お元気そうでなによりです。お若いころとかわらずお美しい」
「白粉(おしろい)つけて紅(べに)つけて股ぐらの周りに垢(あか)つけて」(P330)


70になる老いぼれが女性に対して、おまえのおまんこは垢ばかりだと、
子どものような悪口を公道路面で大声で非常識にも叫ぶのである。
相手が怒るのは当たり前だと思うが、非礼にもほどがあるのだが、
追い打ちをかけるように「化け猫顔になっちょりますぞ」と愚弄する。
宮本輝は「流転の海」最終部「野の春」で松坂熊吾の芯、正体、宿命をついに書いた。
かの作家は自分を見て、血筋家柄を見て、
宿命を観じて「流転の海」の松坂熊吾を書き上げた。
これはたいへんな仕事であった。しかとした文学であった。
よくやりました。
よく書き上げましたと、いま日本に生きる最高の文学者である宮本輝に敬礼したい。
本当によかった。何度も泣きました。

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