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「狂と遊に生きる 一休・良寛」

「狂と遊に生きる 一休・良寛 仏教を生きる12」(久保田展弘/中央公論社) *再読

→ある人から良寛に似ていると言われ、たしかに落ちこぼれだし、
不眠症、親の自殺、酒好き、実務能力に乏しい、徒党を組めないところ、
人に説教がどうしようもなくできないところ、
そのうえこの坊さんは吃音だったという説があるらしい。似ていなくもない。
江戸時代のニート俳人、ニート歌人、プロ書家の良寛さんは、
言ってしまえば日蓮大聖人の正反対なのである。
自分は日本の柱になってやるの自信たっぷりな日蓮大聖人と良寛さんが逢ったら、
目を合わせようとせず、自信なさげにずっとうつむいていることだろう。

日蓮と禅寺で修行した良寛の共通点は法華経を好きだったところ。
違いは日蓮は法華経唯一絶対主義だったが、
良寛は禅僧のくせに浄土の教えにも興味があり、床屋の主人から、
「あんたの宗派は雑炊宗(ぞうすいしゅう)だね」と言われたそうだが、
ごった煮の雑炊宗とはよく言ったものである。
わたしは南無妙法蓮華経とみんなで一斉に叫ぶのもいいと思うが、
雑炊宗もまた悪くないと思うのである。
良寛の雑炊宗がことさらいいわけではなく、
みんながそれぞれの雑炊宗を創るのもまた味があるのではないか。
わたしの雑炊宗は禅はダメだが、念仏、題目、密教、老荘、神々ぜんぶ入っている。
道元はこちらのあたまが悪いので理解できないが、
法然、親鸞、日蓮、空海、一休をすべて踊り念仏の一遍でまとめたようなもの。
著者は良寛の雑炊宗仏教を以下のようにまとめている。

「禅者といっても、良寛は浄土教の理解に救われているところが多分にあります。
それがどんな職域、老若男女をも惹きつける温かさになっているのではないでしょうか。

  良寛に 辞世あるかと 人問はば 南無阿弥陀仏 いふと答へよ

という歌は、率直にそれを示しています。
いや良寛にとって、禅も浄土教も、『法華経』鑚仰も、さらに老荘思想も、
彼が終生身近に置いた手毬(てまり)
という宇宙のうちに抱合されていたのかもしれません。
良寛にとって手毬は「全宇宙は一個の光り輝く珠玉(一顆明珠/いっかみょうじゅ)」
と道元が説いた、その珠玉にも等しかったのではないでしょうか」(P213)


坊さんが嫌いなのは毛坊主のようなやつまで澄ました顔で説教をするじゃないですか?
それも当たり障りのない、
いのちは大切とか、人を思いやろうとか、生かされているありがたさとか。
創価学会員も説教は好きだけれども、
彼らは説教よりもお金や噂話のほうが好きだから、人間味があっていい。
良寛さんは説教どころか「なにもしない人」だった気配があり、
好き嫌いが分かれるところだろう。

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「狂と遊に生きる 一休・良寛」(久保田展弘/中央公論新社)

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