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「百年小説」パート1

「百年小説 全1冊で読む日本の名短編」(ポプラ社)

→「森鴎外から太宰治まで、51人の名短編をこの1冊に」――。
むかしから人と文学論議を交わしたことがないが、
なぜなら読む本がいっぱいありすぎて読んでいる本が異なり、話が合わないのである。
もう日本近代文学なんて穴だらけで、がためにこういう本は助かる。
筋トレになるくらいの重い本で、しかし総ルビのため音で読めるのは嬉しい。
この本を買ったものはいようが、ぜんぶ読んだのは日本で百人もいないのではないか。
以下、自分の文学勉強のために思ったことを記す。

森鴎外の「杯」、夏目漱石の「夢十夜」どちらもよくわからない。
これが近代文学の夜明けなんですか、プゲラッチョって感じ。
幸田露伴の「一口剣」はいける。これは味がある。
剣を作る刀師のところに最高の名剣をとのお殿様からご注文が入り、
前金でかなりの報酬をもらうが、口だけのやつで完成する見込みがない。
このため気落ちしている亭主を励ます妻がいい。

「なんのなんの、女房に亭主が云ひ訳には及ばず、
ホホ気を大きくして最少しお飲みなされ、あとの話しは酒にあたたまって寝てからと、
胆の太い女かな、立上って戸締りをして来て座について、
又一盃仰ぎ、ええお星様の落ちたを見て薄ら寒くなった、
チョッ、何が何様(どう)したって何様(どう)なるものぞ、
ホホホ、惚れたが弱身で負けて遣る」(P81)


ほいで結局、世話女房の期待に応え、
ダメ亭主が一念発起して天下の名刀を作ることに成功するのだが、これはいい。
ポプラ社もいい仕事をしている。
引用はネットから取ってきたのだが、原文はいまの日本人には読みにくい。
小さい「っ」が「つ」になっているし、当時の文法記号とかあるから。
「ゑ」とかいまの子は読めないでしょう。
それをぜんぶ現代日本語にして、すべてルビを振ったわけだ。音で読めちゃうわけ。
子どものいる家はこの1冊を家に置いておいたら天才文学者ができるかもしれないぞ。

尾崎紅葉「拈華微笑」は当時の恋愛小説かと思われる。
当時の文学青年はこういうのを読んで、
ああ、こういう自由恋愛感情があると知ったのだろう。そして、真似してみたいと。
徳冨蘆花「吾家の富」はわけがわからずイッテヨシ。
国木田独歩「武蔵野」は(わたしが大嫌いな)風景描写が延々と続く作品で、
半年まえに読んだときは「死ね死ね」と脳内シャウトしたが、
いま最後の部分を読み返してみると、なんだかいいのである。
音とリズムで読むとなかなか悪くない。
文章を音とリズムで読むというのは、ごく最近に開眼したことだ。
山本周五郎青年の習作原稿を読まずに捨てた徳田秋声の「風呂桶」。
なんてことはない身辺雑記だが、笑えることも書いてある。

「男は年を取るに従って、洗練されて来る。しかし女はその反対だと思われた」(P160)

これは先日の花見で独身男性のAさんと大笑いしながら盛り上がったテーマのひとつ。
おおむかしから言われていたことだったのか。
短編ひとつで判断するのは酷だが、徳田秋声は山本周五郎の足元にも及ばないだろう。
島崎藤村「伸び支度」は初潮が来た少女の心の揺れを描いた小説で味があると思ったが、
これはおそらく男の妄想で、女が読んだらまったくリアリティーがないのではないか?
むしろこういうふうに振る舞ったほうが男性社会では受けるという押しつけに感じる。

樋口一葉の「わかれ道」はいま読み返したのだが、これは大傑作ですよ。
孤児の男の子がお姉ちゃんと慕う針子のさみしげな女が妾(めかけ)になるまで。
ここまで淡い情緒を、きれいな言葉で書かれちゃうとね、泣くしかないよ。
樋口一葉は短命だったから作品数なんて少ないはずで、
ぜんぶ読んでみたいが時間がない。
「小指」の堤千代(直木賞)とおなじで、儚(はかな)さがたまらない。

岡本綺堂の「修禅寺物語」もうまい。
日本人らしい情緒があるのに、しっかりとした西洋ドラマ形式も守っている。
日本的情緒とはなにかといえば、あきらめてさめざめと泣く美しさなのだと思う。
この世のことは断念して、その哀しさを哀しさのまま味わい涙という水に流す。
岩野泡鳴の「猫八」は、うーん、おまえはそれでいいや。
泉鏡花の「外科室」は何度読んでも鏡花が嫌い。
近松秋江の「青草」はバンカラ小説なわけ?

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