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「ほんとうの親鸞」

「ほんとうの親鸞」(島田裕巳/講談社現代新書)

→創価ウォッチャー島田裕巳ライターの本はまったく勉強になる。
やはり大学から在野のライターに落ちると才能の化学変化がいい意味で起きるのだろう。
著者は創価学会をよく知っているから本物と偽物の相違に敏感である。
本物なんか金と人脈でいくらでも創価創造できることを、
創価ウォッチャーの島田裕巳ライターはよく知っている。
明治時代まで親鸞不在説(本当はいなかった)があったらしく、
それをくつがえしたのは本願寺から発見された
たくさんいた妻のひとりだったとされる恵信尼の書状らしいが、
それが偽造ではないかとわたしはまず疑うし、
おそらく本書には書いていないが島田ライターもおなじようなことを思ったことだろう。
浄土真宗といえば天皇家とも婚姻関係があるし、経済界とも通じている。
手紙を偽造するなんて鼻くそをほじるほど楽な行為だっただろう。

わたしは著者の言うように親鸞は3代目の覚如が自分を権威化するために
創価創造した虚像だったと思うし、親鸞は法然の末弟でもなく、
法然の顔をごくたまに拝謁できる下も下の小坊主だったと思う。
親鸞の主著とされる「教行信証」も後世の捏造(創価創造)で、
その証拠は、あの本は経典の引用だらけで、親鸞の考えのようなものはなく、
後世の複数の仏教学者が創価創造したという疑惑があるからである。
優秀な島田ライターの調査によると「教行信証」には師匠とされる法然の
「選択本願念仏集」からの引用は、
あれだけ大量の引用のなかで、わずか一箇所しかないないらしい。
絶対他力を説く親鸞が自力でくそ長い「教行信証」を書くのがそもそもおかしい。
親鸞が法然の「選択本願念仏集」を軽視したのは、
そんなことをしたら浄土真宗は浄土宗の子分になってしまうからで、
そう考えると「教行信証」が後世の捏造(創価創造)という説への信憑性も高まる。
親鸞が流罪になったのも嘘ではないかと島田ライターは書いており、
たしかにそうで、
流罪にされたというといかにも法然の高弟だったように思わせることができる。
親鸞が流罪にされたという越後に流罪されたものはいなかったという。
つまり、流罪にするにも値しないほどの毛坊主ではなかったか。
流罪にも値しない毛坊主だったから京都にすぐに戻る必要もない。
親鸞の家が貴族だったというのも
後世の捏造(創価創造)ではなかったかと島田ライターは指摘している。
皇室と血縁関係にある大谷家がどん百姓出身ではしまりが悪いのである。
息子の善鸞への義絶状(絶縁状)も偽造(創価創造)だろうとライターは言い放っている。

わたしはむかしは親鸞を好きだったが、
三代目の覚如の本を読んで彼らの血の汚さにうんざりして、
「歎異抄」を読み返すたびに本当の天才は唯円だったような気がしてならず、
浄土真宗なんて「悪いことをしてもいいよ」「女をいくらでも抱け「肉でも魚でも食え」
の死ぬほどイージーな教義のため、
坊さんも信徒も増えたのではないかといまでは思っている。
いま大活躍している創価ウォッチャー島田裕巳ライターの言葉を聞け。

「要するに、親鸞にかんしては、その人物も、その生涯も、
そしてその思想もひどく曖昧なのである。
逆に、曖昧であるがゆえに、後世の人間は、それぞれが勝手に
独自の親鸞像を作り上げることがことができたとも言える。
実像が明らかでない分、虚像を作り上げることが容易なのである。
『伝絵』を作った覚如は、そうした状況を利用し、
自分にとって好ましい親鸞像を作り上げていった。
覚如は、親鸞の血を引いており、親鸞を偉大な人物として描き出すことで、
自らの立場を権威づけようとしたのだ。
親鸞は公然と妻帯し、その信仰は、
親鸞の血を受け継いだ者たちによって継承されていった。
それは、日本の仏教宗派のなかでも、浄土真宗だけに起こったことで、
他の宗派では見られない事態だった。
本願寺は現在二つに分かれているが、
その頂点に位置する法主には、どちらも親鸞の血を受け継ぐ人間が就任している」(P19)


(関連記事)
「執持鈔」(覚如/石田瑞麿訳/平凡社東洋文庫)
「口伝鈔」(覚如/石田瑞麿訳/平凡社東洋文庫)
「改邪鈔」(覚如/石田瑞麿訳/平凡社東洋文庫)
「歎異抄」(唯円)←長文です

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