「流星に捧げる」

*ネタバレがあります。ご注意ください。

舞台「流星に捧げる」
3月14日。紀伊国屋サザンシアターにて観劇。山田太一作。風間杜夫主演。

山田太一はもう70歳を超えている。旺盛な創作意欲には驚くばかりである。
日本随一のドラマ作家が今回、俎上にあげたのは「インターネット」「認知症(ボケ)」。
山田太一の目にインターネットの世界はどう映ったのだろうか。それがまず気になった。

舞台は動かない風見鶏のある旧邸。登場するのは車椅子の老人(山本学)。
かれは有名女子大創立者の四代目。人間嫌いである。
それがどうしたことかインターネットに書き込みを。
この老人がインターネット掲示板「世田谷区」に書き込んだ内容は――。
「動かない風見鶏」「車椅子の老人」「ひとり」。
翌日にはそれを見た、たくさんの人間がこの高級住宅地にある屋敷を訪れる。
ボランティアを装った女性。保険の勧誘。詐欺めいた出資の懇願(風間杜夫)。
ニート。ダメリーマン。アダルトチルドレン。年齢も性別もさまざまである。
よく来てくれたと人間嫌いのはずの老人が歓迎する。
ひととひとが出会う。ドラマのスタートである。

舞台のうえの抱擁がやたら目についた。
集まった人間のだれもが、それぞれの事情を抱えて孤独でたまらないのである。
ボケが進行していくこの車椅子の老人がきっかけとなり、
めいめいがじぶんの辛さを語りだす。どれも現代日本がはらむ闇である。
あなたはそんなことを悩んでいたのか。おまえにもそんな辛いことがあったのか。
はっとする。打たれる。かといって、どうしようもない。
いちばん救いのないのが、この車椅子の老人である。
痴呆が進んでいる。28年勤めた家政婦の顔もわからないくらいである。
どこにも明るい未来はない。あたかも現代日本のようである。
登場人物はそれぞれこのボケ老人を抱きしめる。そのくらいしかできないのである。
孤独に苦しんでいる人間がいる。おのおの何もしてやることができない。
ただ抱きしめる以外は――。

ある体験を思いだした。インターネットのブログを閲覧したときのことである。
だれもがみな不幸を嘆いていた。孤独に苦しんでいた。うちもそうである。
このブログ「本の山」もおなじである。しかし、どうにもならない。
出会うことができない。理解しあうことが不可能なのである。
抱きしめてやることができない。だから、山田太一はこの芝居を書いた。
人間はみんな孤独である。だれもが苦しんでいる。
それでもいつか出会うことくらいはできる。たとえ流星に逢うような確率だとしても。

休憩あけのシーンでなみだがとまらなかった。
まんまと700万円を騙しとることに成功した風間杜夫の提案でパーティが開かれる。
集まった人間たちが、たった一夜だけ孤独を忘れ、酒をのみ、陽気に笑う。合唱する。
現実にこんなことがあるわけがない。だからこそ山田太一はそれを描く。
風間杜夫が「いとしのエリー」を歌いはじめたときには号泣した。
山田太一の代表作「ふぞろいの林檎たち」の主題歌である。
あのころから山田太一は現実にはないことを描き続けてきた。
それが現実にないがゆえに。
今までどれだけのひとが山田ドラマに励まされたことだろう。

終盤、このボケ老人がどうして車椅子に、そして人間嫌いになったのか明らかになる。
12年前のこと。老人は浮気をした。それがばれ、女房に逃げられた。愛人も実家に帰った。
くさくさしていた。車を運転していた。息子と一緒だった。
息子は売り出し中の新鋭画家。海を描くのが好きだった。
その日も海へふたりで行く途中、老人は事故を起こした。
同乗していた息子が死んだ。老人は車椅子に。
この老人が人間嫌いになるのも無理はない。
しかし、その老人がボケはじめたことで、かつてない人恋しさに衝き動かされた。
似合わぬパソコンを開き、書き込まずにはいられなかった。孤独な人間が集まった。
完全にボケた老人は、集まった見ず知らずの人間を知人と混同する。
遠いむかしに死んだ知人と。息子、妻、愛人、母親である。
偶然、集まったに過ぎない赤の他人がみなこの老人の痴呆につきあう。
それどころか――。
これがこの芝居のクライマックスである。
動かないはずの風見鶏が回転をはじめる。
だれに頼まれてもいないのに詐欺師然とした風間杜夫が車椅子のまえにひざまずく。
ボケた老人に向かって叫ぶ。
僕です、死んだあなたの息子です。お会いできて嬉しいです。
事故を起こしたお父さんをうらんだことは一度もありませんでした。
お父さんのことは大好きです。ただそれだけを言いたくて――。
死んだ息子がよみがえるわけがない。風間杜夫はウソをついたのである。
そのウソのなんと崇高なことか。現実よりはるかにとうといことか。
これこそ山田太一が終生追い求めたテーマである。
フィクションを生きる。現実をフィクションでのりこえる。

舞台の幕は閉じた。なんともやさしいじぶんになっていることに気づく。
ありていにいえば感動したわけである。
芝居のなんとすばらしいことか。観客は老人ばかりである。テーマは痴呆。
老人にとっては切実な問題である。老人は笑った。笑うしかないのであろう。
おかげで30歳にもならない若輩のわたしも、あ、ここは笑うところなのかと知る。
連帯が生まれる。孤独を忘れる。ひとにやさしくなる。
山田太一さん、こんなすてきなお芝居をありがとうございました。
あなたのドラマにはいつも笑わされる、泣かされる、考えさせられる。

出会おうと思った。人間嫌いをやめようと思った。ひとを動かす。
山田太一は真の表現者である。

COMMENT

Yonda? URL @
03/15 22:51
ちなみに. 

この舞台は公開されてまだ5日。
この記事はネット上で公開された最初の劇評です。
どうか関係者が読んでくださいますよう。
感動ならびに感謝が伝わるといいです。
「流星に捧げる」に打たれたひとへ。
メールをください。出会いましょう。あのお芝居のように――。
おもてなし URL @
03/18 01:37
私は入演料を、だましとった気分. 太一節が、びんびん伝わってきました。
風間さんの叫ぶ声と、その姿が目にうかぶ。
この役どころに風間さんをあてるところなど、もう太一さんしかありえない!と感じました。
万年金欠な私には、まるでほんとに観に行けた気分で、おトク、満足。
Yonda? さんの文章も、やさしくなってるのが伝わってくる。
すごいね、太一さんも
そして、Yonda?さんも。
Yonda? URL @
03/18 12:36
おもてなしさんへ. 

山田太一さんはすごいです。
いまでも頭からあのシーンが離れません。
風間杜夫が現実を突き抜けた瞬間です。
どうしようもない現実をまえに、虚構を選択するあのシーン。
不幸な過去を背負った、なんの救いもない車椅子のボケ老人。
風間杜夫はかけよる。ボクです、死んだ息子ですという。
いまでも思い返すとなみだがでます。








 

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『流星に捧げる』(紀伊国屋サザンシアターHP) 人はみな何処から来て 何処へ行