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「モレルの発明」

「モレルの発明」 (アドルフォ ビオイ=カサーレス/清水徹+牛島信明訳/書肆風の薔薇)

→ボルヘスやブランショが大絶賛した小説をわたしに送ってくれた人に感謝する。
じつはあのへんダメなんすよ~と思いながら、もう40を超えた男である。
わたしは絶対批評なんて存在しないと思っている。
ブログでしか発信できないような当方のごときダメ書評家でも、
小説の感想くらいどうでも書くことができる。
称賛しようとすれば天井まで持ち上げられるし、
批判しようと思ったら作者のプライドの中心を射抜けると尊大な自意識を有している。
「モレルの発明」は難解な芸術小説である。有閑人にはこれほどの傑作はなかろう。
テーマは自由意志や著述の可能性、他者性の発見である。
わかりやすーく説明しちゃうよ。

小説の原点は「モレルの発明」同様に日記なわけ。
無人島漂着者の主人公にとって、
昨日が存在しえたことを証明するのは昨日の日記しかない。
書くことは世界を創造することと言えよう。
もし日記にウソを書いたら、それが事実として通用する。
未来の日記を今日あらかじめ書いておいてもいい。
将来この日記を発見したものは、書かれたことを事実と思うだろう。
ならば、事実は書かれたこと(著述性、著述の主体)にしか存在しない。
書かれたことがすべて本当になるのである。
「私」とはなにか? 「自分」とはなにか?
「私」も「自分」も日記に書いたことでしかない。
では「他者」とはなにか? これも日記に書いたことでしかない。
無人島にもかかわらず十数人の遊覧客めいた人たちがいる。
主人公はそのひとりの女性に恋をするが、彼女は存在するのか?
というのも、どうアプローチしても反応がないからである。
もしかしたらすべてはホノグラム(映画の最新版3D化)ではないのか?
おなじ映像が繰り返されているだけではないのか?
その証拠は自分の日記である。
映画登場人物らしき人たちはみな決まっておなじセリフを口にし、おなじ動きをする。
すべてはモレルの決めた配役、セリフ、演技ではないか?
ならば、書き手のわたしも映画のなかに入れないか?
愛する女性と映画のなかで親しくなれないか?
書いたらばいい。彼女との関係を日記に書けばそれは事実となる。
事実とはモレルの最新映画ではなく、自分の著述した日記にこそあるのではないか?
むむむ? わたしの日記は本当にわたしが書いているのか?
わたしはだれかに、たとえばモレルによって書かされているだけではないか?
わたしはモレルに逆らえないのではないか?
わたしはモレルに決められたセリフと演技をしているだけではないか?
モレルを殺したい、破壊したいが、そのときわたしもいなくなってしまう。
わたしはモレルの無人島に生きている。モレルが書けと命じたことを書いている。
わたしは「モレルの発明」をした。

わかる人はいますかって話だよな~。
でも、こういう小説のおもしろさを評価することができる。
こういう小説があってもいいし、新しいと評価されてもいいだろう。
「おもしろい小説」とはなにか、自分にはわかるときが来ないのではないかと思う。

COMMENT

(っ'-')╮ =͟͟͞͞💩ブォン URL @
08/21 15:37
(っ'-')╮ =͟͟͞͞💩ブォン. (っ'-')╮ =͟͟͞͞💩ブォン
Yonda? URL @
08/22 23:44
(っ'-')╮ =͟͟͞͞💩ブォン. 

あいどん師匠とどっかで再会するチャンスはないかなあ?








 

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