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「井上靖展――文学の奇跡と美の世界」

「井上靖展――文学の奇跡と美の世界」(毎日新聞社)

→1992~1993年に各地で開催された井上靖展覧会の図録(ちなみに没後ね)。
少年時代、どこから文学世界へ分け入ったかといえば「しろばんば」や「あすなろ物語」。
あれらが文学かと問われたらどうかわからない。
「敦煌」や「天平の甍」は明らかに娯楽小説としても読めるのだから。
井上靖は凛としているというか文豪のなかでも格好いいよねえ。
アメリカナイズされていないというか、
東洋世界にしっかりと根を張っているようなところがある。
海外西洋文学の物真似をしているやつらとはものが違い、
どっしりと地に足がついている。
安倍公房なんか結局、和製西洋作家みたいなものだったのでしょう。小声で言うが大江もそう。
個人的にはデビューが42、3歳と遅く、スロースターターなところもいい。
ゴリラみたいな顔なのにデビューまえから愛人がいたところも
(この女性が最初に井上を文学者とみなした)、酒豪なところもよろしい。
詩人の大岡信が弔辞で井上靖を以下のように述べている。
一部抜粋する。井上靖は――。

「不逞でしかもたくましい夢想の徒である詩人・小説家の魂が、
謙虚でしかも貪欲な学問研究者の勤勉とみごとに結びついて、
井上靖という文人の厖大な業績を産み出しましたが、
その仕事の根本には、世間的な栄達とはまったく無縁な心、
すなわちわが好むところを好むがままに追求して飽くことを知らない、
無頼で自由でわがままで孤独な夢想家の心がありました」(P13)


「不逞」「貪欲」「無頼」「わがまま」とかおよそ弔辞には不似合な言葉を使用しながら、
きちんとした弔辞にまとめているのはさすが詩人だと思う。
井上靖はわが道を行く人であったし、
「あすなろ」はいくら題目を唱えても「ひのき」にはなれないことを知っている人だった。
「あすなろ」は「ひのき」にはなれないが「ひのき」を目指して「あすなろ」のまま輝け。
ひっくり返せば「あすなろ」は「ひのき」への人間革命などできぬことを深く認めよ。
宮本輝は池田大作と井上靖のふたりを師匠と目しているようで、
先輩作家の作風と非常に似たものを書いているが、
両作家の相違は重量感にあるような気がする。
宮本輝作品はよくも悪くも新興宗教的な、安っぽいキラキラした感じがある。
宮本はおのれの教養がないのをひどく恥じているようで、
むかしネットだったか「教養がないがや」と他人を非難しているのを見たが、
いうまでもなくコンプレックスの裏返しだろう。

30そこそこで世に華々しく出てしまうと勉強する暇がないというのはわからなくもない。
宮本輝もそこは自覚しているようで、
娯楽長編小説に源氏物語といった古典をアクセサリーとして挿入するが、
本人がろくろく読んでもいないのにそういうことをするから小説にチープ感が出てしまう。
井上靖の岳父は大学教授だが、宮本輝さんの奥さまの実家は庶民だろう。
宮本輝には(大岡信のいう)「学問研究者」的態度が
まるで見られないのが両者の相違だろう。
英文科出身だがまったく英語は話せなく、しかし関西弁だけはめっぽう達者な
成り上がりもののイメージから宮本輝は逃れられない。
しかし、宮本輝は井上靖を真似たような文体で人生の深遠を知ったかぶるから、
そこがプチ文学的とも滑稽とも浅ましいとも共感できるとも言えるだろう。
わたしの父は学問となんの縁もない焼鳥屋のおやじだったから、
井上靖よりも金ぴかな宮本輝に共感するときもなくはない。
「3千枚の金貨」や「山盛りのキャビアでシャンパン一気呑み」の幸福を
わたしは宮本輝とおなじで信じてしまいそうなところがある。
井上靖には、そういう金ぴか性とおもむきを異にする枯れたところがある。
40過ぎまで世に出なかった井上靖は世間の栄枯盛衰をよく見たことだろう。
才能もないのにうまく世に出てひと稼ぎして消えていったもの。
才能があるにもかかわらず不遇にも無名のまま死んでいったもの。
この世は「空」だが、「空」のなかにも「色」はあり、
自分はその「色」を娯楽性のある遊びの物語として書きたいと思ったのが井上靖である。
「空」でありながら「色」であるこの世界を遊びとして描きたい。

井上靖は文学賞を「独り占め」し過ぎという悪評もあったようだが、
それは氏が人の嫌がる雑用をよくやったからである。
ペンクラブの会長や選考委員、若手作家の習作読書は、
自分の時間がなくなるから、才能ある作家ならばだれでもあまりやりたがらない。
そもそも社会体験が乏しい作家には「○○会」を開くことさえできない。
会場を手配して出欠を取って、返信を寄こさないやつには直接連絡を取る。
そういうことは毎日新聞の記者を10年以上やっている井上靖にしかできなかった。
「作家の多くは、いうだけはいうが雑用はしたがらない」と三好徹も書いている。
井上靖は、たとえば河合隼雄や池田大作のように実務もできた人だったのである。

この図録で夫人の井上ふみさんが不穏で意味深なことを書いている。

「私は宅の応接にあります靖の祭壇に朝晩報告をいたします。
生前そうしていたように、お早うございますに始まって、お休みなさい、に終わるまで。
南無妙法蓮華経とは素直に口をついては出てきません」(P11)


井上靖の戒名は「峯雲院文華法徳日靖居士」。
日蓮宗の戒名は11字で(創価学会と敵対する)日蓮正宗の戒名は9字。
だから、井上靖は日蓮正宗ではなかったのだろう。
しかし、晩年は親鸞に興味を持っていたという記載もある。
平成3年1月、井上靖没。
同年11月、日蓮正宗から創価学会が独立。
井上靖と池田大作は生前、「四季の雁書」という往復書簡を出版している。
内容はつまらないが、文壇の大御所と創価学会トップが手を組んだという事実は大きい。
これは池田が井上の大ファンで創価サイドから依頼したと言われている。
直後の宮本輝の華々しい文壇デビューはなにか関係しているのだろうか?

長いあいだ愛人に井上靖を取られていたふみ夫人は父からこう言われていたという。

「父は私に言っていました。
若い時はいくら貧乏してもいい。
隣の主人の収入より靖の収入が少ないことを咎(とが)めてはいけない。
四十の声を聞いた時、世間に一寸(ちょっと)芽を出しておかないと、
その後が難しいということを。
芥川賞をいただいて、漸(ようや)く底をついた貧乏からは抜け出せました。
二、三年おそくはなりましたが、一応社会に受賞という芽を出しました」(P12)


そんな貧乏だったら井上靖は愛人を囲えないはずなのだが、そこは追求しない。
40歳というのはたしかにある境で、このへんで人生の勝敗がある程度決まるのだろう。
父親としての井上靖は娘にどういうアドバイスをしていたのか。
本書に遅咲きの作家のご長女さまの記憶が語られている。

「父は賑やかなことが好きで、けちなことが大嫌いなザックラバンな人柄だった。
私たちが何か困ったことが出来て相談すると、
「ザックラバンに話してごらん、隠しだてをしても始まらん」
「物事はよい方へ、よい方へと考えなさい。
そうすれば、きっとよい知恵が浮かんでくるよ。悲観的になってはおしまいだ」
とよく云っていた。
実際に父は、どんな時にもその言葉通りに問題を解決していたようだ」(P103)


「物事はよい方へ、よい方へ」とわたしも考えるようにしたいものだ。

(関連記事)
「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)
「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)←愛人の暴露本
「四季の雁書」(井上靖・池田大作/「池田大作全集17」/聖教新聞社)

COMMENT

丼上靖 URL @
06/03 05:50
. >個人的にはデビューが42、3歳と遅く、スロースターターなところもいい
>才能があるにもかかわらず不遇にも無名
>40歳というのはたしかにある境で、このへんで人生の勝敗がある程度決まるのだろう

おのれの人生に引き寄せて読むのはいいが、事実の歪曲はいけない。井上靖は43歳で芥川賞を獲る前、29歳で千葉亀雄賞を貰っている。30歳で単著を刊行している。知っての通り芥川賞はずぶの素人に与えるものではないから、芥川賞受賞をもってデビューと見なすのは無理だ。要するに、著書も受賞歴も皆無のきみとは違う。
とおりすがりのいちのせ URL @
06/06 16:38
. すげえ!故人からコメントが来てる!
キリスト再臨だ!
とおりすがりのいちのせ URL @
06/06 16:39
. なんだよ、丼じゃねぇか・・・。
がっかり
Yonda? URL @
06/09 23:56
丼上靖さんへ. 

あのさ、そんくらいさ、いやまあ、おまえはそれでいい。つぎ!
Yonda? URL @
06/09 23:57
とおりすがりのいちのせさんへ. 

うちは魔界ですよ。








 

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