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「さもありなん 第三部」

「さもありなん 空海、法然、親鸞、そして道元」(村内弘道/Parade Books)

→しろうとが仏教書を書くなという意見もあろうが、
どうして葬式坊主や仏教チンピラ学者の書いた本が価値があるのかわからない。
むかしから何度も書いていることだが「真理」のわたしなりの定義をしてみる。
「真理」とはなにか――。

1.多数派が支持している(多くの人が認めている)。
2.古株である(歴史伝統がある)。
3.上のふたつとも似通っているが、権威になっている。
4.身もふたもないことを言うと、「真理」とは人を喜ばせること。
5.どんどん行くと、いまだウソ(虚偽)だとばれていないこと。
6.自分が「真理」だと信じていること。

わたしは著者とは異なり道元が嫌いで、
暴力大好きな体育教師のような存在だと思っているが
(実際、男はよく弟子を殴り蹴ったと聞くし、いまの曹洞宗もそういう伝統らしく、
日本軍隊および会社組織は道元の組織理念で成立していたと聞く)、
しかしけれどもにもかかわらず、
上記の「真理」の定義に当てはめると道元の言葉は数ある「真理」のひとつとなろう。
結局、わたしが言いたいのはいちばん身もふたもない6で、
「真理」とはそれぞれの人が「真理」であると信じていることなのである。
オウムの人は教義を「真理」と思っていたのだろうし、だったらそれが「真理」である。
あれだけ暴露本が出されているのに、
いまだ池田大作さんをつまらない聖人君子と思っている人にはそれが「真理」。
自分の「真理」も変わらないように、他人の「真理」も変えられない。
その人の信じているところが「真理」というほかない、というのが現実的なところだろう。
とはいえ、現実的には脅迫したり裏金を渡したりで「真理」はころころ変わるとも言える。

著者も本書を書いて「真理」がわかったのではないか?
村内さんは道元の「現成公案」にひかれたらしく、
これはいったいどういう意味なのか過去の現代語訳をつぎつぎと引用している。
その結果、現代語訳がみんな異なることに驚き、どれが「正しい」のか迷い、
最後には自分で現代語訳している。これが最良の仏教的生き方だろう。
わたしは道元嫌いだからか、村内さんの訳もふくめ、すべて意味不明で、
暴力座禅きちがい道元の「現成公案」なんか価値はないという立場だが(いまは)、
著者はこの本を書いたことで救われただろうし、
「真理」はだれの現代語訳でもなく、村内弘道訳が著者にとっての「真理」だろう。
わたしも一遍、一休、日蓮などいろいろ「本の山」で訳したが、
わたしにとっての「真理」はそれらで、
結局、ほとけを信じるというのは自分を信じることで、
それは言い換えたら自信を持つことなのだろう。
そもそも自信を持たなきゃ、ふるくせえ古文を現代語に訳せない。
訳せた時点で自信が芽生えているのだろう。

そういう意味で、本書は村内弘道さんにとってはいちばん意味がある本ではないか。
読者が本書から学ぶことがあるとするならば、それでいいんだよということ。
「真理」のようなものを求めて、ときに人間は過去の偉人の仏教書を読むが、
あんなものに「正しい」解釈のようなものはなく、
現代語訳なんて人によってまったく違うし、ならば自分で勝手に訳してそれを信じれば、
それそれまさにそれが「真理」だし、その「真理」を信じたら自信を持つことができる。
おもしろいとかつまらないというレベルではなく、
村内弘道さんは本書で「自分の言葉(真理)」を発見し、救済されたことであろう。
しかし、それが他人を救済するかはわからなく、
そもそも空疎な言葉なんかより、
はるかに価値のある金品(お接待)をもってさえ人を救えるのかわからない。
わたしは「わからない」が「真理」だと思っている。
在野仏教学者の「さもありなん三部作」を読んで、
仏教に救われるとはこういうことだという確信を深めた。
自分の言葉で書いた「真理」を信じるのが仏教かもしれませんね。いや、わかりませんよ。

COMMENT

coco URL @
04/09 01:21
. hear ! hear ! ブラヴォー!

えーと、えーと、 感動した!
Yonda? URL @
04/09 13:26
cocoさんへ. 

疲れた、疲れた、疲れた、です。
今日またハロワに行く予定も中止。
今日は洗濯くらいできればいいかと。








 

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