「兄弟」

1969~70年放送の山田太一脚本のドラマをユーチューブで違法視聴。
木下恵介アワー。ユーチューブは個人編集短縮バージョン。
「兄弟」がジェイコムで放送されたとき、
わたしは加入していたから見ていないのはおかしいとご指摘を受けそうだが、
自分が生まれる5、6年まえの長い連続ドラマはそうそう見られるものではない。
「兄弟」が放送されるひとつまえの山田太一ドラマ(「二人の世界」?)が
3、4話くらいでギブアップしてしまったので「兄弟」は録画予約もしなかったのではないか。

ある人から見てください、感想を書いてください、ユーチューブで見られます。
そう言われたら、翌々日には速攻で仕事(遊び?)をこなす律儀な人間である。
こんなドラマを20代付近で本気で見てしまったせいで、
結婚するのが恐怖になった男性が当時は大勢いたのではないか。
いつもの山田太一ドラマでありていに言えば、おもしろくて感動して泣いた。
フルバージョンを見ていないで感想を書くのは気が引けるが、
若い男女が通俗恋愛を経て結婚するまでの話である。
一流大学を出て一流会社に入ったイケメンが、
おなじ会社の社長秘書の美女をめとるまでの話。
ただし女の家は大工で父親は高卒と家柄は一流とは言いがたい。
イケメンと美人が恋愛して結婚するまでの話なんて凡庸に思われるかもしれない。
しかし、山田太一はそれを丁寧に描きあげて、
庶民の凡俗性をじつにうまくエンターテイメントとして昇華している。

恋愛結婚ってこういうものなのかなあ、と思ってしまうと結婚できなくなるのではないか。
当時はどうだか知らないが(いひっ、本当はいまの結婚事情も知らん)、
結婚はみんながしているし親もうるさいし世間の目も厳しいし税制上も得だし、
なによりあの恐ろしい孤独感や退屈感からするものではありませんか?
そんなに相手にカッカして、この人じゃなきゃいけないなんて思ってするものかなあ?
デートはやたら金のかかるメシや娯楽を共有するのではなく、
ただふたりでいるだけでも幸福と感じられるのが本当の恋愛、そして結婚ではないか?
正論だよなあ正論。打算で結婚なんかするなよ。世間体で恋愛するのかよ。
いまの時代でも十分に通用するメッセージであろう。
ふたりで川辺の土手に座って無言でいて、それでも幸福と思えるなら結婚しろ。

しかし、そう単純にはいかない現実の事情がある。
このブログで何度も書いてきたことだが、
山田太一ドラマは「金、肩書、顔」を描いているとも言えなくはないだろう。
いくら最高の純愛をして結婚しても、食えなかったら話にならない。
ひとりで生きていくことは坊主ならぬわれわれには無理だから、
「人の目」(肩書、顔)を気にせざるをえない。
このドラマの美女は仕事熱心な(カッカした)大工見習ではなく、
一流大卒一流会社員のイケメンと恋愛経歴する。
イケメンのほうだって迷いがないわけではない。
いくら美女でも結婚したら自由がきかなくなる。自分の運命が決まってしまう。
25歳のイケメン一流は新入社員から聞かれる。
この会社に「生きがい」はありますか?
そんなものはないのである。大企業の総務なんておなじことの繰り返し。
せめて恋愛結婚くらいがいまの「生きがい」かもしれない。
なんにもないからひとりぼっちだから自分は恋愛もどきをしているのかもしれない。
この先になにがあるって言うんだ?
こういう醒めた視線は山田太一が愛読していた福田恆存の影響かもしれない。
(福田恆存には「生き甲斐といふこと」という本がある)

リアリティっていうのは3K「金、肩書、顔」なんだ。
人間はいくら金を持っているか、肩書はなにか、顔の程度でおしはかられると言ってよい。
身もふたもないことを言うと、結婚は「金、肩書、顔」の釣り合いでしょう?
恋愛洗脳をドラマや映画から受けた大衆は、
自分は「金、肩書、顔」で結婚を決めたわけではないと言いたがる気持はわかるが、
しかしお金は大事だし、
相手が無職より一流会社員のほうが見栄えもするし(開業医ならなおさら)、
男はブスよりも美人のほうがいいし、若い子がいいし、
女もイケメンのほうがいいのではありませんか?
このへんが難しいところで、
山田太一はその微妙なところを数々のドラマで描いているのだが、
金があって、肩書もあって、顔もいいと男の場合なかなか恋愛結婚ができなくなると思う。
女に言いたくなると思う。おまえさ、おれのなにがいいの。
お金目当てか。歌舞伎役者の夫人という地位が目当てか。
顔が好きって、そんなのはおれより上のイケメンはいくらでもいるだろう?

山田太一ドラマは当時文壇の権威者だった山口瞳からの評価も受けている。
このドラマ「兄弟」にいかにも山口瞳的なパパ世代のセリフがある。
何度も動画を繰り返して聞いた当方の耳にしたがい紹介する。
むろんのこと引用は発話を一語も変えていない。
恋愛結婚する両家が一同面会する場面でのパパのセリフだ。
まず娘をやる大工のパパから(高卒で学歴劣等感情あり)。

「しかしまあ、ひとりの人間がふたりになり三人になり、
ひとつの家族をつくるってことはだれもがやっているようで、
ひとつひとつ尊いもんですよね。
まあ、わたしみたいに女房を亡くしてみると、
どいつと結婚したって大して変わりはねえような気でいたのが、
やっぱりわたしにとって、かけがえのない女房だったと、
しみじみ身にしみますよ」


これを受けて嫁をもらう側のパパはこう返す(夜学で苦労して大学を卒業した部長さん)。

「いやあ、わたしなんかあこがれながらおよばないわけですが、
ひとつの家庭を、その人間[配偶者?]のためにつくりあげることのできないものに、
『本当の生活』はないんじゃないかと、おりにふれてそう思いますな」


仮定の話として、よしんば、かつての共産党員なら、
おいおいおい、結婚して家庭円満ならばそれがそれだけで「本当の生活」か? 
と怒鳴りだしたくなるのではないか。
わたしにもバカヤロウと大声で叫びたくなるイビツな精神がある。
それが、そんなものが、その程度が、生きがいのある「本当の生活」かバカヤロウ!
むろん、作者の山田太一にもあったことだろう。
しかし、学友の寺山修司のような生き方は「本当の生活」をバカにしている。
みんながみんなそんなことはできない。

木下恵介アワー山田太一脚本の「兄弟」が放送された時期は昭和44~45年。
くだらぬ私事を書くと、両親が恋愛結婚した時期でもある。
わたしは17年まえ母親から目のまえで飛び降り自殺をされた。
なんでこうなったのか知りたくて両親の青年時代の日記までさかのぼって探索した。
ドラマ「兄弟」を見て、両親の恋愛結婚のことを思い返した。
若いころの父は本当にもてなさそうな「九州の片田舎」から出てきた平凡人。
法政大学を出たのだけが誇りくらいの吃音その他コンプレックス満載の小男。
長所と言えば、くそまじめで手に職がないからという理由で、
家にも帰らず食堂で寝泊りしながら限りなく24時間近く働く仕事人間。
母と出逢ったのは職場の同僚としてである。
母の実家は、父があいさつに行ったときにひるんだというくらい貧乏。
祖父はうさんくさい健康食品を開発販売していたが、あれは赤字だったのではないか。
祖母が保険のセールスがうまく、それで綱渡りのような生計を立てていたようだ。
貧乏家庭出身の母は当時、ドラマ「兄弟」のように婚約予定者がふたりいたようだ。
母は結婚相手を自分で決めず、敬慕していた富裕事業家の叔母に決めてもらう。
「男は大学を出ていないとね」「男は働き者がいい」
こういう理由から母と父は結婚にいたったらしい。
結婚式から婚姻届を出すまで1年かかっているという不穏な事実もある。
(母がコピーしておいた)若いころの父の日記は恥ずかしくて哀しくておもしろい。
本当に真心こめて昭和の働き者の青年は母のことを熱愛しているのである。
こんな恥ずかしいものを読んじゃっていいのかよと当時(母自殺時)は思ったが、
昭和44年放送の恋愛ドラマ「兄弟」を見ると、みんなけっこうふつうに
あんな恥ずかしい恋愛感情を異性にいだいていたのかもしれない。
ありがちだが家族トラブルの端緒は嫁姑問題で、
そこからはガタガタ落下の一途。

母が父を選択しなかったら、いまのわたしは生まれなかった。
父が母に恋愛感情のようなもの(錯覚?)をいだかなかったら、
この文章は書かれなかった。
山田太一ドラマの影響で結婚したものも、独身をつらぬいたものもいるだろう。
このドラマ「兄弟」に感動した奈良のお医者さんから逢いたいと言われた。
みんな知らない人と逢うのは怖いと思うが、恐怖よりも好奇心が勝った。
お医者さんもわたしなんかと逢うのだから、それをどれほどリスクと感じられたことか。
山田太一ドラマの影響力は計り知れない。
氏のドラマのテーマのひとつは――。

一流は本当に一流か?

まさかはじめてお逢いする年上のお医者さんとあんなに気軽に話せるとは思わなかった。
わたしなんて母の自殺以降、人生ガタ落ちで四流、五流、それ以下の人間である。
交通費宿泊費はくださるという話だったが(それだけでも感謝涙喜、万歳三唱)、
別途にお金までいただいた。
いつ封筒をあけるべきかだいぶ迷ったが、
すすめられたように5百円高い特急に乗り、そこで紙幣を数える手が震えた。
「応援している」の意味がわかった。応援されていると感じた。
こんな文章を書ける人は応援したいと言われた。応援されている。
「本の山」に何度も書いたが、このブログ記事の最初にも書いているが、
人生をリアルに描く山田太一ドラマは冷たく見れば「金、肩書、顔」である。
しかし、みんな「金、肩書、顔」だけでいいのかと思っている。
「金、肩書、顔」と目に見えるものに逆らうのは人情であり熱情だ。
むかし山田太一ドラマ=「金、肩書、顔」と定義したことがある。
このたび定義を改める。

山田太一ドラマ=「金、肩書、顔」vs「人情(熱情)」

一流大学を出て、一流会社に入った男から求婚された大工の娘が不満顔で言う。
相手からカッカしたものを感じない。1回きりの人生。カッカしたいではないか?
それが「生きがい」というものではないか?
きっと昭和44年は母も父もカッカしていたのだろう。
カッカしたい。いきいきしたい。でも、どうしたらいいかわからない。
カッカしたいよ。いきいきしたいよ。だれかと逢いたいよ。
ユーチューブで「兄弟」を違法視聴。
お金をいただきながら山田太一ドラマへの理解が深まり、こんなことがあるんだなあ。
本当に人生はなにが起きるかわからない。
もしかしたら平凡で退屈な日常のなかにも、
よく見れば注意を払えば「ありふれた奇跡」が満ちているのかもしれない。

COMMENT

内谷太郎次 URL @
07/01 09:29
. 「結婚式から婚約届を出すまで」は「婚約届から結婚式を出すまで」の誤記でしょうか?
内谷太郎次 URL @
07/01 09:29
. 「結婚式から婚約届を出すまで」は「婚約届から結婚式を出すまで」の誤記でしょうか?
Yonda? URL @
07/01 15:53
内谷太郎次さんへ. 

×「結婚式から婚約届を出すまで」
○「結婚式から婚姻届を出すまで」

ご指摘、ありがとうございます。








 

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