自力効果証明不能

医者にかかってお薬を処方されるでしょう?
その薬が効いたか効いていなかったのかは究極的にはわからない。
たとえよくなったとしても、その薬をのまなかった場合を検証できないわけだから。
あんがい薬をのまなくても、おなじようによくなっていたかもしれない。
ひょっとしたら薬をのまなかったら、いまよりも早くよくなっていたかもしれない。
同一人体で薬の効果は証明できないところがある。
なぜなら、その薬をのんでいなかったときの自身の状態がわからないからである。
これは薬のみならずあらゆる健康食品に言えることだ。
リハビリなんかもそうなんだよね。
知り合いが難病にかかって、その筋の権威からこうリハビリしろと言われた。
そのあとで身分は医師以下の、
なんとか療法士からはまったくべつのリハビリを推奨された。
彼が最初に診てもらった医師はリハビリのことなどひと言も口にしなかった。
男は非常に偏屈なやつで、ただただめんどうくさいから、
という理由でリハビリをいっさいやらなかった。
治らなくてもそれが宿命だと思っていた模様(バッカじゃねえの!)。

わたしは彼が大嫌いなので逢いたくなかったが、先ごろたまたま顔を合わせた。
話を聞くとリハビリをせずともレアな難病がかなりのところまできれいに治っているそうだ。
彼いわく、リハビリをしていたら逆に悪化していたのではないか?
そんなそんな世間を舐めたことを言う彼がわたしは大嫌いである。
でも、考えてみると、あらゆる努力(自力選択)におなじことが言えるのかもしれない。
成功した人、病気が治った人は、
自分のあの努力(自力選択)が功を奏していたのだと自慢することだろう。
しかし、本当に裏側がそうなっているかはわからないのである。
彼が努力をしなくてもおなじようにうまくいっていたかもしれないし、
努力をしなかったらいまよりも「上」に行っていた可能性もなくはない。
ひとりの人生におけるあらゆる自力行為の選択結果はよくわからない。
なぜならそれをしなかったときの結果はわからないからである。
あんがい自力(選択)を放棄して他力(自然・偶然)にまかせていたほうが、
結果的には自力努力根性主義よりもはるかにうまくいくのかもしれない。
そういった場合でも自力実験をしていないから比較はできないのだけれど。
いま有名健康食品の「しじみ習慣」の無料サンプルを試しているが、
なんだか体調が上向きである。
しかし、これは「しじみ習慣」が功を奏したのか、
一遍念仏がじわじわ効いてきたのか、
なにがどうなっているのか裏側はさっぱりわからない。

以上、書いたことは非常識らしく、なかなか他人に理解してもらえない。
とくにエビデンスを重視する医者はこのことが理解できないらしい。
ある人に効く薬が、別の人にはまったく効かないことがあること。
99人に効かない薬がひとりには劇的に効くことがあること。
もし薬をのんでいなかったらを検証できないから、薬の効能はよくわからないこと。
むかし効かなかった薬がいま効くかもしれないこと。
つまり、荒くまとめてしまえば、どういう処方が患者に満足してもらえるかわからないこと。
なかにはよくなったら困る患者もいるわけだから(これは医者ならわかると思う)。
そして、とにかく医者と患者は相性がかなり大きく影響する(たまたまの部分が大きい)。
希望は、以上のようなことをご理解くださるお医者さんもなかにはいらっしゃることである。
医者嫌いは多いようだが、わたしは薬好きなので(病院ファン、医療愛好者ゆえ)、
いまの医療はむかしと比べてだいぶよくなっているという発言をしたくなる。
さて、健康食品「しじみ習慣」をどうしようか?

COMMENT

膣屋ケンジ URL @
05/30 00:23
. そういう考え方の土台にあるのは、受験勉強を頑張ったのに底辺労働者にしかなれなかった、シナリオの勉強を頑張ったのに一介のブロガーにしかなれなかったという挫折体験だろう。

本当に「薬が効いたか効いていなかったのかは究極的にはわからない」と信じるのであれば、今すぐ青酸カリを服んでみればよい。しかし土屋君はそんなことしないだろう。内心は薬の効果を認めている証拠だ。








 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4867-ba1a2a3d