「確率的発想法」

「確率的発想法」(小島寛之/NHKブックス)

→信頼している著者の机上の学問ではない実質的な経済本を読む。
著者は長い社会人経験を経て30半ばを過ぎてから大学院へ入学したとのこと。
このような多少異質な経歴が著者の本をおもしろくしているのだと思う。

この本は読めばためになるのだが、だから読んでとしか書かなかったら無責任。
それにわたしはいままで多くの人のお世話になってきたという勘違い、
あるいは妄想があり、少しでもそれをみなさまに返したいという思いから、
まあ、いくら一般書とはいえ
一般人にはなかなか読み通せないだろう(思った以上に難解な)本書を要約する。
いちばん衝撃だったのが一見正反対に思えるギャンブルと保険が、
おなじような確率計算のもとに成り立っているビジネスだと本書で知ったことである。
ギャンブルも保険も確率の上では損をする。
しかし、人はなにかを求めてギャンブルに走り、保険に頼りたくなってしまう。
そのなにかの正体とは――。
ギャンブルにはまる人は「確実よりも変動を好む性向」を持っており、
このために確率的にはお得とは言えない公的賭博行為に散財する。
言い換えれば、ギャンブル好きは「リスク愛好的」である。
保険に入る堅実な人は「変動を嫌う性向」を持っており、
このために確率的には損と言わざるをえない保険に加入する。
彼らは「リスク回避的」と言うことができよう。
ギャンブルが損だというのは確率計算上、わかっていたが、
賭け事の正反対ともいうべき保険も確率計算上はあまりお得ではないのか。
本書によると、たとえば火災保険。
火災なんて確率的にはめったに起こらないでしょう?
でも、ひとたび不運にも火災が起こったらその一軒は大損をする。
このために人は割高な火災保険に入り、たいていは確率的に火災など起こらないので、
その金をどぶに捨てることになり、
そのぶんの利ざやを保険会社が儲けることになるわけだ。
ギャンブルと保険はおなじ(確率計算上)仕組みで成り立っていると書いたが、
それでも競馬や宝くじなどの公営ギャンブルに比べたら保険会社は公益性があるらしい。
まあ、保険会社は競馬や宝くじなどをする胴元の国家よりもよほど良心的であると。
本書からその部分を引用するのは、
わたしも保険会社は人さまのお役に立つ(たとえるなら医者やナースとおなじ)
たいへん価値のある職種のひとつだと思っているからである。
経験から申すと、保険会社の人は驚くほど親切で、
公務員かそれ以上に人さまのお役に立っている。

「保険が成立する背景には、
人びとの内面的歪み[将来への不安]の利用だけでなく、
もう一つ秘密の仕組みがあります。
それは「大数の法則」の利用です。
[「大数の法則」とはサンプル数を増やせば、
そのぶん事象は確率上計算結果に近づくこと]
火災が、たとえば一万分の一の確率で起きる場合、
一万件程度の人々が結託して相互補助として火災見舞金制度を作ったとしても、
そこには大きなリスクが残ります。
それというのは、もし火災が一件ではなく、偶然二件、三件起こったら、
見舞金を互助会の会費から補償することはことは不可能になるからです。
加入件数が少ないと、大数の法則にはあずかることができず、
火災が確率通りではなく予想より多く起こってしまう可能性が少なくないのです。
けれども保険会社が一〇〇万件や一〇〇〇万件の契約を取ると、
そこには大数の法則が働き、出費額はほぼ予想通りになると想定できます。
これこそ大数の法則のご利益です、
このように保険制度というのは、
たんに人々の変動を嫌う性質を逆手(さかて)に取って稼ぐというだけのものではなく、
「個人の不確実性」を「集団の不確実性」に変質させる営為だといえるわけで、
ある種の「公益性」をもっていると考えられます」(P79)


お医者さんやナースさまも偉いが、

保険会社の人たちも偉い! とっても偉い!

みなさまは「リスク愛好的」でしょうか? それとも「リスク回避的」?
わたしはギャンブルはやらないから「リスク愛好的」ではないが、
生命保険にはひとつも入っていないから「リスク回避的」とも言えないだろう。
そろそろ「都民共済」くらい入ろうとは思っているけれども。
しかし、どちらかというと「リスク愛好的」と言えなくもないだろう。
基本的に日本人は「リスク回避的」な人が多いような気がする。
いい会社に入ってそこに長く居続け、
いつ来るかわかりゃしない老後の安泰を目指すというのはまさに「リスク回避的」。
異質な「リスク愛好的」な人がみんなと違うことをすることを見るたびに、
「リスク回避的」な保守的善人は、

危ない! と思うことだろう。

変な話をいつものようにすると、交通事故は確率的事象なのね。
どれだけパトカーがノルマのためか(本当にノルマなんてあるんですか?)
安全取り締まりをやっても(あれの罰金は高いんだってねえ)、
交通事故は毎年かならずある割合のもとに発生する確率的な悲劇である。
交通事故はもうどうしようもない世界で、いくら注意していても運転がうまくても、
相手がいきなり飛び出てきたらアウトの世界だから。
で、ひとたび交通事故で人を殺しちゃったらその後は賠償金やら罪悪感で地獄。
これは数学的に見たら、だれも悪くない、
自動車社会において確率上一定割合で起こらざるをえない悲しい出来事なのだが。
極論を言えば、交通死亡事故は自動車社会(ネット通販)の恩恵を受けている、
われわれのひとりひとりに罪があるということもできよう。
わたしはペーパードライバーだが、それでも研修を受ければ運転はできようが、
最後の最後までドライバー職はリスクが高すぎるので避けたいと思っている。
小さな子どもを轢(ひ)いちゃうとか、加害者はあるいは遺族以上に地獄だろう。

小島寛之さんは社会人経験がある経済学者だからよくものをわかっている。
この本は著者のべつのご著作同様たいへん勉強になりました。
マルクスが言ったとかいう、労働者は資本家に搾取されているとかいうあれは、
いまの経済学から見たら眉唾(まゆつば)なのかもしれない。
わたしは「リスク愛好的」なのか、いやたんに能力不足のせいだろう。
いま変動性が高く身分の低い派遣で小銭を稼いでいる。
いっぽうで「リスク回避的」な人はサラリーマン(正社員)として
「固定給与」得ていることが多いと思われる。
どうして労働者は安定した「固定給与」を求めながら、
なかにはマルクスに洗脳され資本家を憎むものが現われるのか。
以下は長文だが、尋常ならざる卓見だと思う。
お疲れでしょうが、どうか目薬をさしながらでもお読みください。

「一般の企業における「固定給与」のことを考えてみましょう。
会社の業績は景気やライバル会社との競争に依存して決まります。
したがって、売上は不確実に変動するのが一般的です。
にもかかわらず、多くの会社で従業員に対して
固定給与制度を採用しているのはどうしてでしょうか。
それは従業員と経営者の間の変動に対する態度の違いを
反映したものだと考えるのが自然でしょう。
従業員はリスク回避的性向が強く、収入の期待値が同じなら
変動給与より安定した収入のほうを望むと考えられます。
たとえば五分五分の確率で一〇〇万円かゼロ万円か、という給与と、
固定給与四〇万円というのでは、多くの従業員が固定給のほうを望むでしょう。
期待値は前者が五〇万円ですから、
平均的には前者のほうが高額であるにもかかわらず、
従業員は後者を選ぶものなのです。それは「変動を嫌う」性向のゆえです。
一方経営者は、従業員よりも多少変動に対して寛容なので、
売上の変動はすべて経営者が引き受けることになります。
すると平均的な差額の一〇万円は経営者の懐に収まる算段になるのです。
つまり、業績低迷のあおりはすべて引き受けるかわりに、
好成績の甘い蜜のほとんどを経営者がもっていく、
そういう構図になっていると考えられます。
従業員よりも経営者のほうがリスク回避の性向が小さいことは、
資産格差で説明されるのが一般的です。
従業員の多くは、蓄(たくわ)えがさほど大きくないため、
収入の変動は生活を直撃します。
彼らがそれを避けたいと思うのは不思議ではありません。
それに対して経営者のほうは、そもそも資産家だったり、
多角経営をしていたりするために、
収入の変動には蓄えを取り崩すなどして対応でき、
変動に強い性向をもっていると考えられます。
これが、会社における固定給与の背後に潜む社会性なのです。
このように現代の経済学では、固定給与性は、
資本家と労働者の対立関係からではなく、
変動に対する内面的な歪み[思い込み]の差異によって説明されるのが一般的です」(P80)


以上のように考えると、労働者は資本家からリスクを搾取しているとも言えよう。
まあ、決められた給与を支払わないような経営者は大いに問題ありだが。
サラリーマンでは儲からないから、投資家(資本家)になれという風潮があるようだ。
でもさ、いかにもいかがわしい投資本を読んでもさっぱり意味がわからないじゃない。
そのぶん、この名著は10年以上、
当方がわからなかったデリバティブ(金融派生商品)の意味をわかりやすく説明している。
本当に理解していないとものごとをうまく相手に伝わるよう説明できない。

「金融派生商品[デリバティブ]の開発で、
社会はリスクという実体のないものを商取引することになりました。
世の中には変動を怖がる性向の人がいます。
他方には、相対的に変動を嫌わない人もいます。
さらには、変動を利用して、稼ごうという人もいます。それが投機家です。
前者から後者にお金を払い、後者から前者に「確定性」が
引き渡される商取引の総体がデリバティブだと理解していいでしょう」(P82)


わかりやすいよなあ。著者は本当にあたまがいいのだろう。
だれだってリスクは怖い。
しかし、人生はリスクに満ちているとも言いうる。
著者は限りなく、天才学者に近いから、確率の嘘も見抜いているのである。
というのも、確率ってよく考えるとインチキとも言えるわけ。
なぜなら確率というのは、過去に起こったことを数値化して将来を予測している。
ならば、だとしたら過去に起こったことがないこと、前例がないことの確率計算はできない。
たとえばむかしはネットなんてなかったし、
無名人が実名ブログで好き勝手なことを書いたらどうなるかという過去の統計はない。
このため、今後当方の人生がどうなるかの確率計算はできない。
同様、まったくの新商売を始める場合、それは過去の統計(サンプル)がないから、
結果がどうなるかの確率は出てこない。
これは「リスク」という概念を発明したナイトという経済学者が、
「本当の不確実性」と(リスクから)区分したものである。
リスクは確率で計算できるが「本当の不確実性」は確率(数学、経済学)の領域外にある。

「ナイトの発想はこうです。世界で起きるできごとは、
複雑な要因に支配され、決して同一の環境からものごとが生起することはありえない。
したがって、独立試行を反復的に行うことによって
導かれる大数の法則を後ろ盾にした「数学的確率」は、
現実の不確実性を描写してはいない。
ナイトはこのような数学的確率(リスク)を「偶然ゲームの必然的確実性」と呼び、
現実への有効性を一蹴(いっしゅう/バカに)しました。
過去のデータから未来を予測することを無意味だとするのも同じ理由からです。
ビジネスの世界で重要になるのは、このような反復的観測ではなく、
しばしば「サプライズ(意外性)」であると彼はいいます。
実際、「サプライズ」という用語は現代の株式市場でもいまだにキーワードのひとつです」(P113)


「本当の不確実性」に対抗するにはふたつの方法がある。
ひとつは不確実性を減少させるために、とにかく情報を集めること。
うまい儲け話はないというけれど、あるところにはあるのだろう。
みんなが不確実性にびくびく脅えているところで確実な情報を持っていたら――。

「……9・11テロの直前に、
何者かが株式市場で大量の空売りをしたことがわかっています。
これは所有していない株を売っておいて、
世界中で株が暴落したあとに買い戻し、大儲けした例で、
テロを事前に知っていた人物ではないか、と疑われています」(P126)


もうひとつ不確実性に対処する方法は、こちらも不確実性に徹すること。
世界がデタラメ(不確実性)ならば、こちらもデタラメに生きれば五分五分にはなる。
どうせ投資なんか損をするのがほとんどなのだから五分五分でもおいしい話。
以下はそのことを書いている。

「また、確率現象というものを戦略として積極的に利用する場面もあります。
人は何かの勝負のとき、相手に手を読まれないようにするでしょう。
しかし、どうしても固有の癖があってそれを読まれてしまい、負けることがある。
そうならないために、サイコロを振ったり、乱数表を利用したりして、
相手を攪乱(かくらん)するのです。有名な例としては、
プロ野球のピッチャーが投げる球種を決めるのにグローブに貼った乱数表を利用する、
というのが流行ったことがありました。
後に試合時間の短縮のために禁じられましたが、これこそ確率の有効利用です。
別の例では、入試の試験問題の選択肢を乱数で作っている、というのがあります。
そうしないと、出題者の心理的な癖を受験生に読まれて
(あるいは統計をとって見抜かれて)、
勉強していないにもかかわらず高得点を取られてしまう可能性が否めないからです。
これをもっとも上手に利用したのが、
クイズ番組「クイズ・ミリオネア」(二〇〇四年の正月に放送)
に出演した新庄剛選手でした。
彼は、最後に出題された択一式の難問の答えを、鉛筆を転がして決めたのです。
それでみごと一〇〇〇万円を手にしました。
考えてみるとクイズ番組というのは、
いかにも取り違えそうな選択肢を混ぜるものでしょう。
だとすれば、考え悩んだあげく出題者の仕掛けた罠(わな)にはまるより、
むしろ完全な確率現象を利用するほうが有効なのかもしれません。
新庄選手の戦略は、
真の意味で有効な確率的発想法だったといっても過言はないのです」(P39)


わたしは「リスク愛好的」な性向を持ち、
世界はリスクの計算などできるものではなく、
「本当の不確実性」に満ちていると人生体験からも読書体験からも信じている。
これは「サプライズ」が起こることを信じているのと同義である。
確率計算できない「サプライズ」とは人との出会いであり別れだ。
計算式ではどうしようもなく表わせない人生における「救い」のようなものを
著者は本書に書いている。

「簡単なたとえ話で恐縮ですが、こんな経験が誰にも少なからずあるでしょう。
駅までの道のりを歩くとき、すべての道を試したわけではないのに、
一番いいと思い込んでいる道ばかり毎日毎日利用しがちです。
けれどもある日、誰かと偶然一緒に駅まで歩くことになって、
その人が使う別の道をいっしょに歩いてみると、
そちらの道のほうが(近さや安全さ快適さの意味で)より良好であると気がつく、
そんな感じのことです」(P202)


そういう学問では予測できないサプライズが起こるから、みんな絶望するなよ!
あわよくば自分がそういうサプライズを起こせたら、とみんなが思えたら。
わたしはサプライズを多く実体験しているから、
今後のサプライズにも微動だにせずむしろ喜々として向き合うことができよう。
小著から著者の意図するところ以上のものを読み取ってしまったのかもしれない。
(つまり、誤読したかもしれんスマンってことさ)

(関連図書)
「容疑者ケインズ」(小島寛之/ピンポイント選書/プレジデント社)
使える! 経済学の考え方 みんなをより幸せにするための論理」(小島寛之/ちくま新書)
「数学的思考の技術」(小島寛之/ベスト新書)
「文系のための数学教室」(小島寛之/講談社現代新書)
「使える!確率思考」(小島寛之/ちくま新書)

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