「反<絆>論」

「反<絆>論」(中島義道/ちくま新書)

→2014年の12月に発行された新書らしいから、
ずいぶん遅れた東日本大震災の関連本になるのだろう。
ほうら、あのとき絆(きずな)、絆とやたら騒がれたじゃないですか!?
でもさ、絆はたいせつってみんな言うけれど、
絆とは言い換えれば人間関係のことなんだから、
家族をふくめて人間関係ってかならずしもプラス面ばかりではなく、
たっぷりふんだんにマイナス面も持っているよねえ、
といういかにもひねくれた著者らしい絆へのアッカンベエ本である。
絆の集積はたとえば創価学会で、あそこは噂話が飛び交っていそうだよねえ。
ある夫婦のある夜の営みを、なぜか全員が知っているみたいなさ。
狭い村落共同体とか、人間関係がめんどうくさそうでいやだよねえ。
会社を辞める理由の第一位ってたぶん人間関係=絆でしょう(笑)。
けれど、まったく人間関係がないと孤独になるから困っちゃう。
今日は4月1日エイプリールフールだから嘘を書くけれど、
いまは絶交したネットでの知り合いに14年ニートをしていたやつがいたなあ。
どうしておまえはそんなに孤独に強いんだってびっくりこいた。
いまその人がどうしているか知らない。
風の便りでは自殺に失敗して精神病院に入っているとか。

人間関係=絆のめんどうくさい理由を中島義道は的確に言語化している。

「人生の選択はほとんどその結果がわからないものである。
しかし、われわれは選択しなくてはならないことがある。
完全な善意から出たことでも、会社を倒産させるかもしれない。
恋人を自殺に追い込むかもしれない。
悪意から出たことでも、みんなから感謝されるかもしれない。
こうした状況に投げ込まれていること、
それがカントによれば原罪なのである」(P138)


よかれと思ってしたことが裏目に出るから人間関係=絆はやっかいだ。
自分勝手にした明らかな悪行が、すげえとか称賛の対象になることもある。
意地悪しようとしてやったことが、相手に感謝されることもあるでしょう?
親子関係なんてとくに難しいでございましょう?
親が子のためを思ってしてくれることの大半は子にとって迷惑。
成人した子が親孝行だと思ってすることも親には迷惑なことが多いと思う。
家でごろ寝していたいのに、わざわざ温泉なんか行かせるなよ。
ああ、行きたくもない海外旅行なんか連れて行かれて、
さも感謝しろと言いたげな子どもって、はああ、絆=人間関係めんどくせっ。
わたしは学校友人とか親戚関係はすべて切っているから、そのぶんラク。
まだ父は生きているらしいけれど、今年になってから一度も会っていない。
このように孤独だとさみしいけれど、うざい葬式とか結婚式とか免除されるからイイ。

中島義道がひどい本音を吐きやがっている。
それを言っちゃおしめえっていうか。

「他人との理想的な関係を言うと、「自分が必要なときには助力してもらいたいが、
それ以外のときには干渉しないでもらいたい」と簡単にまとめることができる」(P71)


おいおい、それを言っていいのかっていうガチンコ発言だよなあ。
母の自殺以降、父とはうまくいっていないと思っていたが、
中島義道の文章を読んで、
もしかしたら理想的な父子関係なのかもしれないとちょっとだけ思い直した。
昨年はパソコンの年賀状印刷の仕方を忘れたから教えに来いって言われて、
わたしは年賀状はだれにも送らないし、それにパソコンにも詳しくないので無理。
そう答えてもいいから来いよって。で、行ったら案の定、無理なものは無理。
こいつ使えねえなって顔をされてムカッと来た。
先約を優先して派遣仕事を断ってまで来てやったのに。
そのあと父はほかにやりたいことがあるらしく、もう帰れって感じなのね。
いやだねって思って冷蔵庫から勝手にビールを取り出して、ぐびぐび飲んだ。
父はそんな息子を無視して長々と風呂に入って、もういいだろうって顔で出てきたから、
しょうがねえ、こっちももういいかと思って早々と帰った。
1時間程度の滞在だったのではないか。ほとんど会話らしきものはなし。
うーん、中島義道に言わせるならば理想的な父子関係かもしれない。

本書で知ったがヒュームとかいう哲学者が自殺肯定者らしいね。
以下はエゲレスの哲学者のヒュームとやらの言葉。

「私が社会にとっての負担であると想定しよう。
私の生存が他の人に妨げとなり、
社会に対してはるかに有益であることを阻止していると想定しよう。
このような場合、私の人生放棄[自殺]は
単に無辜[むこ/なんの罪もないこと]であるばかりでなく
称賛に値するにちがいない」(P169)


母の自殺とか、いまではどうなんだろう。
むかしは母は子を愛すべきだとか、自殺はいけないとか、
そういう世間常識のせいで過剰に苦しんでいたところがあったのかもしれない。
でもそう言えるのは、いまだからで、あれは経験してみないとわからない苦しみね。
もちろん、嫌いな母が自殺してくれて、
せいせいしたって子も世の中にはいるんだろうけれど。
今日も朝方、夢にえんえんと母が出てきて、もういいかげんにしろと。
いったいどこまでわたしを苦しめるつもりなんだと。
いまはもう前世からの宿縁だろうとあきらめているから、あーあって感じ。
もう取り返しがつかないしさ。
そうそれから、自殺を自死と呼べっていう風潮はいやね。
なーんかコメント欄でしつこく当方を批判してくる匿名者がいるけれど、
わたしが自殺したら大喜びするわけでしょう。
だから、自殺はことさら悪でもないという気がする。
べつにいまさらする気も、機を逃したって感じがするから、さほど。
ほんと? そんなに生きたいか、おれ?
今日ってエイプリールフールとか呼ばれる日なんでしょう?

COMMENT

膣屋ケンジ URL @
04/02 01:18
. 「エイプリルフール」をエイプリールフールと書くのは珍しい。何か理由があるのか?

>なーんかコメント欄でしつこく当方を批判してくる匿名者がいるけれど、
>わたしが自殺したら大喜びするわけでしょう

大喜びなんかしない。きみが死んだら「ヘンテコだけど面白いブログの書き手が一人減ったな」と思うだけ。
URL @
04/02 17:03
. 大喜びなんてしないよ。
批判されてなんぼの世界よ。
それだけ影響力があるってことさ!
でも同調はできないけどね。それだけよ。








 

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