劇が伸びた

北戸田劇場の閉幕は今月28日のはずだったが、
派遣会社から4/3~14まで入ってくれないかというお達しが。
しかも「供給」なしでいいというツッチー特別待遇。
時給を書いたからばれたと思うけれど、採算度外視で働いていた。
あの給料では食えません(前職では食えていました)。
でもまあ、商業演劇以外の芝居は持ち出しでするのが相場だから、まあいっかと。
長い人生で3ヶ月くらいプランタニエ劇を味わうのもいいかなあ。
わたしは精神科に行けばたぶん病名がつくと思うが(残念ながらあなたもよ)、
このブログが職場の人に読まれているのではないかという病的妄想を持っている。
いまの職場の人に伝えたいことをこのブログに書いていたという面がある。
わたしの病的妄想が「正しい」ならば反響がかならず返ってくる。
その反響を意識したうえで読む本を変え、感想文を書いていたものである。
これはおととし働いていた書籍倉庫でやっていたことだ。
わたしはこれを最新演劇だと勘違いしていて、生きている最高の楽しみではないかと思う。
いままでは28日が最終日だったから、この日に燃え尽きてもいいという覚悟であった。
わずかでも人に影響を与えたいし、逆に影響を与えられたい(人のことを知りたい)。
いまの仕事は通勤時間が長いためか合わないせいか前職よりもはるかに疲れる。
でも、休日には老体に鞭打っていま読むべき本をものすごい速さで読み感想を書いた。
読書感想文にはいまの職場体験を入れまくっている。
働いているのか遊んでいるのかわからないという感覚であった。
昨日、同僚から聞いたけれど、わたしの「箱だし」のやる気のなさぶりは評判らしく、
話題になっているほどだという。それでも北戸田から来てくれとお声がかかる。
ツッチーはパンダみたいなもので、
職場の一隅にいるだけでおもしろいという面もあるのかもしれない。
ひょっとしたら生産性や効率性を超えた数少ない特殊作業員になったという可能性もある。

自分の書いたものの反応がその場で見られるという最新演劇は怖いが楽しい。
いま春だからか近所で高時給の仕事がたくさん出ている(受かるかは知らん)。
もう少し採算度外視で人生を楽しんでみるのも、一回きりの人生なら悪くもなかろう。
「仕掛ける」というのは師匠の原一男先生の教えである。
味気ない現実になにかを仕掛けていけ。劇的たらしめよ。
そしてドラマというのは出逢いと別れ。
わたしがいまの職場を去ることでひと芝居が終わる。
予定外の延長にもうまく応えられるのが、いい劇作者なのだろう。
しかし、わたしは作者ではない。
いまの職場のキャスト(演者/役者)、だれひとりにもセリフやト書きを指定していない。
みんな自由に話してくださって動いてくださっていい。
それで全体としてひとつの劇が完成する。
いったいどんな劇ができるのだろう。若い男女がくっついたりすることはあるのか。
みんながいまの自分を変えたいと思っているのはなんとなくわかる。
若い子なんかとくにこのままでいいのだろうかという悩みがあろう。
いまのままでそのまんまで生き生きしよう。笑おう。楽しもう。
労働はかならずしも退屈なばかりではない。楽しい労働だってきっとあるさ。
もうしばらく早起きして朝の埼京線に乗ることが続くのだろう。
早起きは嫌いだが、もう少しならばがんばれる。
以上、壮大な病的妄想を書いてみました。
本当はいま職場の直接雇用グループの契約更新期間だが、
驚くほど更新者が少なくて、とにかく使えない土屋でもいいから仕方なく呼ぶか。
現実はそういうところにあるのかもしれない。

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