をのづから

あそこで働くのもあと3日。
今日はわたしなんかにとてもよくしてくれたEさんとのお別れの日だ。
Eさんとはほぼおなじ時期にいまの職場に入った。
65歳のEさんは高倉健が好きだと言っていたが、
思い返してみればどこか寡黙なところがかの名優に似ていたような気がする。
男は背中で勝負するというようなところがあるじつに堂々とした人だった。
目がとても若いのである。そして、威張ったところがまったくない。
男の老人は過去の自慢話をしたがるものだが、
いくら話を振ってもそういう武勇伝は聞き出せなかった。
帰途連れだって帰ることがもっとも多かった。
Eさんは歩くのがとても遅いのである。わけを聞いたら――。
「ゆっくり生きようよ。急いでどうする」
おれ40歳になるのに結婚もしていなくて、
本来なら女子高生の子どもがいてもおかしくないのにと愚痴ってみたら――。
「人それぞれだよ」
Eさんはどっしりしているというのか、
かなりわたしの素のスーパーフリーの部分を出せるのである。
まあ、非常識なことを何度も言った。
怒ることは一度もなく人物だと思ったものである。
結局、プライバシーはあまり聞き出せなかった。
税制や社会のことにびっくりするほど詳しいところがあった。

これから人生どうしたらいいんでしょう、と問うたら――。
人に金を貸すときに必要な資格があるんだよ。
勉強してそれでも取って闇金にでも入ったらどう?
なにがおもしろくて生きているんですか? とかかなりガチのことも聞いたなあ。
お茶目な部分もある人だった。
ある日の帰途、パトカーがサイレンを光らせてとまっている。
なにか事件があったようだ。
缶(第三の)ビール片手のわたしが、
「見ていきますか? 人の不幸っておもしろいよなあ」
と不謹慎なことを言ったら、
「わたしがやりました。わたしが犯人です、と言ってきたら」
と笑いながらEさんは言う。「どう見ても不審者だから」
たしかにまだ明るいのに缶ビールをのみながら歩いているわたしは不審者だ。
一本取られたと思ったものである。
ロッカールームで「もうすぐお別れかあ。さみしい」と言ったら、
「さみしいなあ」と湿っぽく合わせてくれた。
いつかどこかで逢うんじゃないか、とも。
結局最後まで正体不明であった。
そこがよかったのかもしれない。わからないのがよかった。
旅とおなじで派遣稼業はこういう出逢いと別れがあるからよろしい。
もう一生逢わないであろう人との一定期間の交流と別離。
踊り念仏の一遍上人の歌が思い出される。

「をのづから相あふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」

COMMENT

信濃町 URL @
03/23 20:04
. きみは最終的には出家するだろう。








 

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