「河合隼雄 心理療法家の誕生」

「河合隼雄 心理療法家の誕生」(大塚信一/トランスビュー)

→著者は元岩波書店の編集者で社長にまで出世した出版文化人。
河合隼雄の自伝「未来の記憶」は口述筆記だったのだが、その聞き役をした人でもある。
河合隼雄が好きで好きでどうしようもなく裏話でも知ることができたらと期待して読んだ。
おそらく河合隼雄は著者から悩み事や裏話をそうとう聞かされただろうけれど、
河合のほうはことさら著者に心を許したというわけではなく、
社会人としての表面上のつきあいしかなかったことがうかがわれる。
本書でいちばんの主張は、
河合隼雄を真っ先に見出したのは自分なのだという著者の手柄話だろう。
なんでも天理大学の講師風情に過ぎなかった河合隼雄に、
天下の岩波書店のそれも岩波新書さまから原稿依頼をしてやったんだぞ。
河合もそのことをとても感謝していたし、
なんておれさまという編集者は優秀なんだろう、うっとりするぜ♪ という本。
岩波書店の社長にまで上りつめた人の本だからどこからも批判は来ないだろう。
わたしも右へ倣(なら)えして本書を絶賛しておく。
あの河合隼雄からもっとも信頼された編集者の書いた魂を揺さぶる評伝。
これを読まずして河合隼雄は語れない。

本書の冒頭で著者は河合隼雄からの感謝の言葉を何度も繰り返し引用する。
ほら、あれだよ。著者が本のあとがきで編集者に感謝する定型文ってあるじゃん。
4つもしつこくそれを書き写してから岩波の元社長さんはダメ押しする。

「この四つの短い文章から読み取れることが、少なくとも三つあるだろう。
一つは、私が『コンプレックス』の執筆を依頼した時に、
河合氏は[京都大学ではなく格下の]天理大学で教えていた、ということである。
二つ目は、岩波新書の執筆依頼を受けて、
河合氏は「驚いてしまった」ということだ。そして第三に、二番目の文章に
「出版企画の意図を的確に話され、ウーンと唸らされた」とあるように、
ユングの思想を広めるために、
その時点では「コンプレックス」というタイトルで執筆をお願いしたいという私の考えを、
最初の段階から認めてくれていた、ということである。
ずっと後になって、珍しく京都・祇園のバーでのんでいるときに
(河合氏とバーで飲んだのは後にも先にもこの時だけだ)、
河合氏は述懐したことがある。
「京大に移ったら、急に原稿の依頼が多くなった。
でも大塚さん[著者]から最初に手紙をもらったのは、まだ天理大にいた時です。
びっくりしたけれど、とても嬉しかった」と」(P8)


いいか、河合隼雄をいちばん最初に発見したのはおれなんだかな、
という著者の鼻息の荒い絶叫が聞こえてくるではないか。
むろん河合隼雄とっても岩波書店から認められた(原稿依頼された)ことは
嬉しかっただろうし、大きな自信につながったことだろう。
河合が編集者だった著者に大きな恩を感じていたというのも本当のことだろう。
結局、「他者からの評価」ほどたいせつなものはなく、
だれか権力者から認めてもらわないと上のほうに行くことはできないのだ。
当時のユングなんてとくに新しい思想だったから先行者的権力者がおらず、
河合隼雄とてだれかから認めてもらわなくては無名のまま終わっていた。
わたしは40年だれからも認められたことはなく、
ブログ「本の山」も10年以上やっているが評価してくださったのは
「もてない男」で知られる小谷野敦さんだけである。
だったら、もっと小谷野さんにべったりくっついて、著書を何冊も読んで絶賛したり、
氏の私塾に参加してはっきりとした恭順を示せばいいのだが、
わたしはそういうことがうまくできない。
それどころか小谷野さんがオカルトと批判している河合隼雄が好きで、
こうして関連本を読んでしまうのだから本当に世間の仕組みを理解していない。
新しい考え方は周囲からつぶされるものである。
オカルトに限りなく近いユング心理学がどうして日本で学問になったか。
その裏事情を河合隼雄の兄で霊長類学者の河合雅雄はこうすっぱ抜いている。
ちなみに河合隼雄の最初の専門は数学で、次に心理学に移っている。

「当時わが国の心理学はアメリカの影響を受けて行動主義心理学が
圧倒的優位を保ち、東大がその拠点であった。
フロイトやユングはまやかしで似非(えせ)科学であるとして、
臨床心理学は学界の主流からは全く排除されていた。
深層心理学を基礎とした臨床心理学を唱道した[河合]隼雄が
主流派から叩かれなかった理由は、
電気と数学という隠れ技を持っていたからだと思う。
専(もっぱ)ら学習理論に傾斜していた実験心理学は、
実験装置に電気装置を使うことが多かった。
そして行動理論や学習理論の〝数学モデル”を作ることが流行った。
戦後米国から推計学がもたらされ、行動心理学には必須のツールとなった。
[河合]隼雄はよくぼやいていた。
大先生の数学モデルはナンセンスだし、有名某氏の推計学は間違いと。
とくに数学モデルと称するものは、数学基礎理論が解っていないから、
「無茶苦茶しとる」と苦笑していた。
しかし、あえてそれを取り上げて批判することはなかったので敵は作らなかったが、
いわゆる「強持(こわも)て」の状態だった。
それが臨床心理学の発展に対する抵抗勢力を
うまく回避する力になりえたのではないかと思う。
「三高・京大のエリートコースを辿っていたら、三流数学者になっていただろう」
と自分でも語っているが、
人生万事塞翁(さいおう)が馬という諺(ことわざ)を思い出させる」(P164)


わたしも有名高校・早稲田のエリートコースを辿っていたがずり落ちてしまった。
だれだってじつの母親からいきなり目のまえで飛び降り自殺されて、
あとには悪口盛りだくさんの日記が残されていたら自棄(やけ)になる気もするが。
そのまえにもいろいろあって、変な家族に生まれ落ちたものだと嫌気がさしていた。
母が自殺するまえに「死にたい」と何度も何度も言われていて、
思わず「死ねば」と言ってしまったこともあるし、
遺書にまつわる信じられない恐ろしい話もある。
しかしまあ、河合隼雄の本のおかげでいちおうここまで立ち直れたのである。
どこまで復活したのか。
職場のうわさ好きそうなおばちゃんから(断じて悪い人ではない)、
「これまでなにをしてきたの?」と聞かれてヘラヘラ笑いながら、
「まあ、ふらふら生きてきましたね」とそつなく答えられるくらいだ。
「もうその歳なら正社員は無理よ」「そうっすよねえ、あはっ」
「お父さんはいまなにをしているの?」「ま、いろいろな複雑な事情があって」
わたしは3月いっぱいで派遣切りのようなものに遭い失職する。
きつい力仕事ばかりやり続けるのなら居残れる可能性もなくはないらしいが、
あれで身体を壊した人はかなり多いのではないか。
「4月からどうすんの?」「うーん、なんとかなるんじゃないっすかねえ」
こういう世間話もできないくらい絶望の淵に10年近くいたような気がする。
これからいったいどうなるのだろう。
わたしは河合隼雄とおなじように人間を超える大きなものを信じているが、
いまいったいわが人生はどのようなアレンジメントのもとにあるのだろう。

さて、ユング研究所で分析家の資格を取るには論文を書かなくてはならない。
河合隼雄が資格論文のテーマにしたのは日本神話である。
テーマを決めると河合は先生から
ケレーニイという有名な神話学者に逢うようにすすめられる。
ケレーニイに日本神話で資格論文を書くことを伝えると「ぜひやれ」とのこと。
さらにケレーニイは河合隼雄に独特の論文の書き方を教える。

「文献はあまり読まなくてよろしい。日本の神話を繰り返し繰り返し読みなさい。
何度も何度も読んでいたら、あなたの心に自然に詩が生まれてくる。
それを書いたら、それが最高の論文である」(P246)


学術論文って先行文献の紹介ばかりして権威をまとっているようなところがあるよねえ。
どこかのグループ(学派)に所属するとはそういうことである。
ただし河合隼雄はケレーニイの教えを守り続けたようなところがある。
ユングをユング大先生とたてまつる研究所の先生が大嫌いだったという河合隼雄は、
晩年にこう言っている。

「ある学派を選ぶのは、それが正しいからではなく、
自分にとって適切だから選ぶのである。
あるいは、自分の判断を照らす適切な鏡として、それを選んでいるのである」(P339)


それでもどこかのお仲間に入らなくては個人は無力である。
ライターとかもさ、シンポジウムとかでお仲間をつくって群れているよねえ。
もうかなりまともになったから、どこかのお仲間からお声がかからないかなあ。
引き上げてくれたら、その恩は生涯忘れないからさ。
でもまあ、このまま低空飛行でドボンでもいい。
出世とか結婚とか、そういうプラスのものはぜんぶ来世に放り投げているところがある。
まあ、わたしなんかただ生きているだけで、それだけでいい存在ですから。
しかし、本当にどこからも声がかからないなあ。
母の眼前投身自殺、家族不和、絶対孤独を乗りこえて、
いま派遣切りにもめげず健気に生きている土屋さん(仮名)、
ブログでいまの切ない思いを書きつづるのだけが生きがい、
連載「孤独中年の現場2017」第1回とか、
どうして朝日新聞が飛びついてこないのかしら。
わたしは河合隼雄信者だから氏と同様に共産党とも創価学会とも手を組める。
「藍より青く」でもっと過激化していて共産党にも創価学会にも同時に入れる。
それにしても小谷野敦さんからしか認めてもらって(いるか?)いないのに、
月数百円のアマゾン報酬で駄文を書き連ねるこの執念深さというのは評価に値しないか。
うえーん、だれか認めてよ。



心が疲れたときは甘いものを♪

COMMENT

宇田川町 URL @
03/02 17:04
. >母が自殺するまえに「死にたい」と何度も何度も言われていて、思わず「死ねば」と言ってしまったこともある

いやいや、もっとひどい発言をしたこともあるだろう。
正直に自白したまえ。
- URL @
03/05 11:34
. もしかしたらかれこれ10年くらいこのブログの読者かもしれません。毎日ではないけどときどき。おもしろく読ませてもらっています。
いつか本を出版なさったら私は買いますよ。そして前からこの作者さんのことは注目してたって自慢しますから。ウフフ








 

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