「ヌエのいた家」

「ヌエのいた家」(小谷野敦/文藝春秋)

→日本最高のよもやま学者、絶対知者の小谷野敦さんの
最後の芥川賞候補作をいまごろ読む。
40を過ぎるとさすがに小説を読むという気力は低下する。
いろいろな現実を知ってしまうと泣ける美談とかあまり読みたいと思わなくなる。
いや、本当に人生の辛酸をなめた苦労人こそ
甘い娯楽小説を読むものなのかもしれない(というか、いま小説を読むのは女性だよね)。
趣味は? と聞かれて読書と答えるとエロ本? 
という感想しか返ってこない当方の人相であり全身にまとった人柄というものだろう。

さて、本作は臨終間際の父に対する複雑な感情を、
著者の事実(これを主観という)に基づいて書いたところの傑作私小説である。
なかなか経験しないとものごとはわからないが、
わたしにも父親との葛藤やあつれきは長くあるので、
ところどころで著者のものの見方に自分の体験を照らし合わせた。
考えさせられるところの多い名作であったように思う。
父と息子の間柄はどうしても男の勝負(勝った負けた)になってしまうという関係性の
細かな綾(あや)を巧みに描写していたように思う。
文芸評論家でもある小谷野氏は本作が芥川賞にふさわしい小説であることを
作品内で説明してしまうのだが、
そういう物欲しげなお茶目なところがファンにはよく知られている著者の魅力だ。
著者は愛妻と実父をヌエ(妖怪の一種)と名づけて客体化している。

「私も古今東西の文学作品をいろいろ読んだが、
マクベスやら、カラマーゾフの父親のように、憎まれている登場人物があり、
ディケンズのミコーバーやドストエフスキーのマルメラードフ、
あるいはチェーホフのワーニャ伯父さんのように、
軽蔑されつつ哀れみを感じさせるという人物はいても、
ヌエ[父]のごとく、ただ憎まれかつ軽蔑されかつ哀れまれもしないという人物は、
見たことがない」(P50)


だから、世界文学史上まれなヌエ(わが父)を書いた本作は新しく、
芥川賞を受けるにふさわしいのではないかという著者の意気込みを感じさせる。
子を持ったことのない著者は(わたしもそうだが)父の気持がよくわからない。
このためどこにでもいるような父がヌエ(妖怪)に見えてしまうのかもしれない。
小谷野さんはヌエに「早く死ね」だの「苦しめ、もっと苦しめ」といった暴言を
死後になってから小説に心中表現として吐露しているが、
これは「死んだ人の悪口は言わない」「子は親を敬うべし」
といった社会通念を壊していて小気味がいい。
現代日本においてもなおいかに多くの親子が、
「親は子を愛すべし」「子たるもの親を敬うべし」といった社会規範に苦しんでいることか。
この傑作小説を読んでそれまでの思い込みから、
解放されたような思いを抱いた読者もいるのではないか。

小谷野さんはお父さまを嫌いだと公言し、男のひどさを描写するが、
かのヌエと呼ばれる小市民はどれだけ息子に貢献したか、という見方もできる。
第一にこの父がいなければ著者は小説「ヌエのいた家」を書けなかった。
第二にヌエのおかげで子のいない小谷野夫婦は結束が固まったのではないか。
著者はヌエとのめんどうくさいやり取りをすべて妻に任せていたというが、
子がいない夫婦はヌエを共通の敵とすることでどれだけ連帯感を持ったことか。
あんがい老後、子のいない小谷野夫婦が過去を回想したら、
ヌエの臨終騒動時期がいちばん懐かしく思い返されるのではないか。

父親と息子というのは似るか反るかのどちらかになりやすいのだろう。
わたしは以下のところに小谷野父子の好対照を見つけた。
ナースへの対し方である。
東大卒の作家である小谷野敦さんはナースを怒鳴りつけるらしい。
なんでもヌエ(お父さま)が道で転倒して病院に運ばれたそうだ。

「1週間くらい後に、脳のCTを撮って何か悪いところはないか調べるとのことだった。
とくに悪いところはない、という話だったが、その際私が病院へ電話して、
看護婦に質問していると、この看護婦が、いちいち「うん、うん」と相槌を打つのである。
別に私は偉い人でも何でもないが、遂に腹に据えかねて、
君、うんうん言うのやめなさい、失礼でしょう、と怒鳴りつけた。
腹立ちが収まらず、看護婦長に電話をして苦情を言った」(P32)


この後の宅急便ドライバーを怒鳴りつけたエピソードからもわかるよう、
小谷野敦さんは弱いものには強く出る正直な人なのである。
いっぽうのヌエ(お父君)はどうかと言えば、
ナースに子ども扱いされわいわいきゃっきゃと喜ぶようなところがあった。
まあ、見ようによってはナースにかわいがられていたのだろう。
ナースにかわいがられるヌエからは、どうしようもなく宿命のようなものとして、
ナースを叱り飛ばすような小谷野博士が生まれざるを得なかったのかもしれない。
当方も父とはそういう鏡のような関係にある。
父は権威的なものが好きでわたしは嫌いだが、
両方ともに権威に関心があるという点では似通っていると言えなくもない。
しかし、いまは息子のほうは権威もどうでもよくなって、それが困りのタネなのだが。
わたしの話はさておき、このように小説「ヌエのいた家」は、
男性読者におのれの父子関係を思い返させるといった点ですぐれた私小説である。
じついいい小説を読んだと思う。
本作が芥川賞を取れなかったのは残念でならない。



甘いお菓子とコーヒーと読書は、人生の小さな宝物。

COMMENT

宇田川町 URL @
02/28 14:39
. 小谷野は父親の悪口を言うが、小谷野建三さんは二軒の家を建て、二人の子供を作り、いずれも立派な大学を出して社会人にしている。小谷野は「いや、子育ては母の仕事だった」というかもしれないが、少なくとも建三さんにそれだけの甲斐性があったのは事実だ。

一方、小谷野はどうかといえば、家を建てたことはなく、未だに賃貸住まいで子供もいない。学生時代の貸与制奨学金も返済能力がありながら返済していない。どちらが社会人としてまともか自明。








 

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