通念を捨てる

思い込みを捨てたら自由になるが、それがいいのか悪いのかはわからない。
昨日の知的障害者への悪口記事にはまゆをひそめた人も多かったのかもしれない。
なーんて、うそぴょ~ん。うちのブログ、アクセス数はゼロに近いから。
だれも読んでいないと思うと、自分が本当に思ったこと、わが真実を書くことができる。
わたしもまえの職場に入るまでは知的障害者に対して好意的な感情を持っていた。
野島ドラマの「聖者の行進」を真に受けていたわけではないけれど、
知的障害者は純真で天使のような存在で、
周囲にまったく無害な、
それどころかにもかかわらず虐げられたかわいそうな人たちであると。
しかし、実際に知的障害を持つ3人の青年男性と働いてみたら、
現実はまるで思い込みと違うのだから。
仕事でいちばん困るのはミスである。
しかし、仕事とは複数でするもので、
あいだに知的障害者が入るとなにがなんだかわからなくなる。
伝言ゲームに知的障害者を入れたら最初の指示はどう変わるか。
で、ミスが発覚したときに叱られるのは、むろん障害者ではなく健常者である。
わたしは知的障害者に最高敬語のようなものを使って仕事をお願いしていたが、
それでも言うことを聞いてくれないこともあったし、
現場のチーフは知っているだろうが、
お願いを聞いてくれたときは大喜びするくらいだった。
そういう知的障害者でも工場長や副工場長、
つまり肩書が上の人の言うことは素直に聞くのである。
上司が去ったら言われたことをすぐに忘れ、そのフォローを健常者がすることもある。

まあ、わかりやすく知的障害者を説明すれば、
飲みかけの缶ジュースを横にして冷蔵庫に入れてしまうような人たちだよ。
ボランティアで激励や慰安をするにはいいのだろうが、
いっしょに仕事をするとなったらあたまがおかしくなる。
とくに上司が宗教がらみで知的障害者を神聖視していて、
健常者なんかよりも障害者のほうが「磨けば光る」とか盲信しているとねえ。
わたしがいちばん嫌いだった知的障害者の青年は、
ときおり「こんな仕事、辞めてやる」と口にしていた。
いまは健常者でさえそうそう仕事に就けないのに、
人権の王者である知的障害者さまは「枠」のようなものがあって、
いくらでも仕事が舞い込んでくるのであろうか。
「彼の知的障害は治った」と評判(どこで? 学会?)だと上司は言っていたが、
わたしの目を信じるならば彼はどうしようもなく知的障害者である。
最後に言っておく。知的障害は不幸ではない。
なぜなら本人は不幸という観念もわからないし、
たとえ叱られても意地悪をされてもたぶん殴られても1時間もすれば忘れるからだ。
知的障害者は本人はあんがい幸福で、周囲がたいへんな思いをするのである。
新聞もテレビも知的障害者の悪口を言えない。
ならば知的障害者は天皇陛下のような存在なのだろう。
断わっておくが、わたしがうんざりするのは男性知的障害者の青年で、
女性の知的障害者とは接したことがないからそれはわからない。
付け加えると、わたしは天皇陛下はなぜか好きだが、男性知的障害者は嫌いである。
まあ、最後に本音をぶっちゃけると、わたしも知的障害者のようなもので、
これは同族嫌悪に類することなのかもしれない、あはっ。

COMMENT

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01/14 21:09
. 同族嫌悪というよりは嫉妬、羨望だろうね。

「いまは健常者でさえそうそう仕事に就けないのに」の一言に、それがあらわれている。とうとう知的障害者を妬むところにまで没落したか。ツチヤケンジくん。








 

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