苦しむ「べき」か?

人(日本人?)を苦しみに追い込むものは「べき」のような気がする。
男性性(男はこうすべき)とか女性性(女はこうすべき)とか。
女性性といえばたとえばおっぱいだけれど、
男はみんな巨乳(デカパイ)が好きというのはあれは嘘で、
わたしはお手頃サイズ(ってなんなの? どのくらいなの?)が好きだ。
男も男で巨根(デカチン)願望(妄想)を持っているものが多いらしいけれど、
(女ではないからわからないが)女も女で
あれのサイズなんかそれほどの問題ではないのではないか。
「大」を求めるのが下級発想のように思えなくもない。
おのれの小ささにコンプレックスがあるから「大」を求めてしまう。
大韓民国とか大日本帝国とか大臣とか大勝利とか、「大」はいかがわしい。
はたして「大」であるべきか? 大家族や大恋愛はそんなにいいのか?
家族愛やら男女愛は世間がこうする「べき」と主張しているものだから、
孤独な人間は苦しまなければならないはめにおちいる。
働く「べき」とか、みな勤勉である「べき」とか、長生きす「べき」とか、
本当にそうかなあ。「べき」は国家的法律ではなく世間法である。
しかし、国家的法律でさえ「べき」に過ぎず絶対性はどこにも見出せまい。
人間はこうす「べき」というのは、疑ってみるのもあるいはよかろう。
悪いのかもしれないが、悪いことが悪いことである「べき」理由はどこにもなく、
それはそれでいいのだといまのわたしは思っている。
思えば、長いあいだ家族幻想、恋愛幻想、長寿幻想にマイッタしていた。
世間常識(=べき!)はたいせつだが、スーパーフリーもまたよろしい。

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