捨ててこそ

「捨ててこそ」は日蓮大聖人さまと同時代を
生きた捨聖(すてひじり/こじき)乞食の一遍という坊主の説いた教えである。
現世を「捨ててこそ」楽しく踊るように生きることができるのではないか。
現代では捨てるのも難しいが、捨てられることも多いだろう。
わたしは先月勤務していた会社から保険もなくまさに捨てられた。
なにもない状態が「捨ててこそ」では理想とされる。
資格もない、友人もいない、生命保険もない、肩書もない、なんにもない――。
家がなくなれば終わりだが、もういくばくかは家賃を払えそうである。
世の中にはメシウマという言葉があると聞く。
なかには他人の不幸話を聞くとメシがうまくなる連中がいるそうだ。
わたしもわからなくなく、電通の東大卒美女のご逝去を知って口にする貧飯が、
多少なりとも喉の通りがよかったものである(こういう本音を書くからダメなのだろう)。
いまかつての上司や同僚は暖所でうまいメシを食っていることだろう。
「捨ててこそ」の教えでは彼らを恨むのではなく、これも前世の宿命とあきらめる。
そして冷たい残飯でもいただけたらどんなにさいわいだろうと思うが期待しない。
「捨ててこそ」の教えでは命を捨ててもいい。
というか、来世こそ浄土なのだから早く自滅するのは教えにかなっている。
お世話になった人を早くお浄土へお送りするのも現代なら罪だが、
「捨ててこそ」の世界でなら最高のご恩返しになることだろう。
あるいは一遍は日蓮よりも過激な教えを説いていたのかもしれない。

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