「西村賢太対話集」

「西村賢太対話集」(新潮社)

→これを読んでいたころちょうどうちのパソコンが壊れて修理に出していて、
すると賃労働より家へ戻って来てからすることがないのである。
パソコンがあれば安酒を飲みながら、
今日の職場であった些事笑事を底意地悪く思い返しつつ陰気に笑い、
ネットをロケットニュース24や2ちゃんねるの孤独な男性板に接続したものだ。
それがパソコンがオシャカになってしまったため、帰宅後にすることがなにもない。
仕事は年齢にふさわぬ肉体労働だから疲れもひどく難しい本を読むことはできない。
結句、山のように積まれている本のなかから、
芥川賞作家の西村賢太の対話集を引き抜きそこね、
あやうく「本の山」で遭難するところであった。
当時はバイトながら大会社の安定した職に就いていたため、
ついぞ経験したことのない安定という公明虚妄に身も心もやられ、
無頼派として知られる西村賢太の対話集を斜め上から、
ときおり憫笑を浮かべさえしながら他人事として読み散らかしたものであった。
が、その後いきなり「退職勧奨」を受けることと相成り、はや来月には無職の身である。
どうで自分にはこのような人生しか送れないのかと世を呪いながらも、
変質者的に次はなにをやらかしてやろうかなどと悪夢想している。

もしかしたらバブルが西村秋恵文学を育てたのかもしれない。
本書にバブル当時の日雇い賃金の月収計算が書かれているが、
あろうことかいまの我輩よりも高い収入を健太青年は得ながら、
文学陶酔および私小説漁色および優雅な買春遊戯をしていたのである。
西村賢太といえば中卒で文学理論もまるで知らず、
Fとかいう野垂れ死にした行き倒れ病死作家を師匠として仰いでいると聞く。
西村賢太は文学修行の経験はなく、ただただFにのめりこんだだけだという。
西村賢太は文芸誌でのさばっているやつらに言いたいことがあるという。
いいことを言うじゃないか、このやろう!

「そうじゃなくて[文学理論じゃなくて]、あなた方も、
どんな大学を出たにしても、やっぱりのめりこむほど好きな作家っているでしょう?
と、その模倣から入ってませんか? と、お聞きしたいんですがね。
しかしその連中に言わせると、自分たちはそういう好きな作家、敬愛する作家がいても、
それとは別個に自分独自の才能で小説を書いて、
文芸誌に載っているんだというえらそうなスタンスにいるもんですから。
僕はそれとは明らかに違って、
本当に骨董趣味から入ったような書き手だと自分で思ってますので」(P30)


ここ数日へんな咳がして、吐き気も著しく、あるいは結核やもしれぬ。
気が狂うほどの年月おれを認めてくれなかった世間に対する吐き気も重なり、
病床において安酒を薬とごまかしながら飲用し現在、
いままで当方を虐待してきた人間をひとりずつ妄想のなかで焼き殺しているところだ。
妄想のなかでなら現実をどうでも再構成することができる。
ノンフィクション作家のFが西村賢太に小説は事実かどうかを問うている。
「西村さんの小説に書かれている出来事は、ほぼ事実なんですか?」

「いや、僕の場合はそれを尋ねられた媒体や場所により、
「ほとんど事実です」と言ったり、「ほとんど嘘です」と言ったりで、バラバラにしています。
一概に言えないんですよ。「私小説」の中にも小説という言葉が入っている通り、
あくまでフィクションが前提ですから、ノンフィクション的な部分を強調しすぎて、
読者に単なるフィクションと捉(とら)えられてしまうと、
小説としては失敗作ということになります。
努めて、虚構と事実の狭間(はざま)を曖昧(あいまい)にするよう心がけています」(P168)


やってやろうじゃないかと思うた。
もはや芥川賞作家でタレントの西村賢太が落ちぶれることはなかろう。
ならば、わたしが冬空の下、無職無収入、公園のベンチで凍死するのもありであろう。
なにものにもなれなかった文士以下の敗残者の醜悪な亡骸を満天下にさらすのも悪くない。
絶命寸前、わたしは文学という魔の正体を知ることになろう。

COMMENT

美杳QNW URL @
11/28 18:11
. 土屋くんの私小説、読んでみたいなあ。才能はあると思うからガンバレ。
Yonda? URL @
12/08 08:45
美杳QNWさんへ. 

自分のうさんくさいヤクザな才能は自分がいちばん知っています。
私小説はなあ……。
虚偽ないまぜの私ブログを書いているから、
違うものをって気持はありますが、
才能が花開かない。








 

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