「ヒトラーのウィーン」

「ヒトラーのウィーン」(中島義道/新潮社)

→ヒトラーにはさして興味はないが哲学者の著者や
「法華経を唱えるヒトラー」(命名者:田中角栄)に
深い関心を持っているので、著者にはめずらしいこの評伝めいたものを読んでみた。
「法華経を唱えるヒトラー」とはあの人のことだが、
日本最大の権力者であり勝利者について
実名でうんぬんするという勇気は筆者にはない。
ヒトラーや「法華経を唱えるヒトラー」の才能とはなにか?

「どうも、ヒトラーには「特別の才能」があったようである。
それは、自分にそう思われることがすなわち客観的事実であるとみなすことに対して
なんの抵抗もないということである」(P63)


わたしから言わせたら、これは「特別の才能」でもなんでもない。
ほとんどの場合、客観的事実など存在しない。
世間では通常「多数派の意見」「立場が上のものの意見」が客観的事実とみなされる。
「みんながそう言っているよ」「あの人のあの人も、そう先生もこう言っている」――。
これが客観的事実の実相ではないかと思われる。
肩書が上の人間が3人集まって、目下のものに意見を言えばそれが客観的事実になる。
おそらくヒトラーも「法華経を唱えるヒトラー」も
客観的事実の嘘くささを知っていたのではないか。
一般的に客観的事実とされているものも、じつのところは嘘ばかりである。
では、なにが本当でなにが嘘なのか? もしやすべて嘘で、
本当のことがあるとすればそれは自分が本当だと思ったことではないか。
真実の追求者で嘘を嫌う中島義道は言う。

「彼(ヒトラー)にとっては(とりわけ目撃者と証拠のないところでは)、
「そうありたい」と強く願ったことが、そのまま真実なのだ。
それは、自分でも本当にそうであったと思い込めるほど
「自信に満ちた嘘」なのであるから、他人はあっさり騙されてしまうのだ」(P187)


成功者で勝利者の中島義道はおのれの真実(「自信に満ちた嘘」!)で、
どれほどの青少年を破滅に追いやったことか。
なかには自殺にまで追い込んだものもいると聞くではないか。
あんがい「法華経を唱えるヒトラー」よりも、
中島義道のほうがよほどヒトラー的存在かもしれない。
たとえば中島「愛唱の句」である「どうせ死んでしまう」や「生きる意味はない」は、
真実というよりもむしろ中島が「そうであってほしい」と願っていることではないか。
しかし、それは自分でも本当にそうであったと思い込めるほど
「自信に満ちた嘘」なのであるから、他人はあっさり騙されてしまうのだ。
自死の是非はわからぬが、中島義道の愛読者である若者はどんどん自殺していく。

客観など存在しないかもしれないのに(客観って証明できますか?)、
みんながみんな客観的(とされる)評価に敗れ去っていく。
成績がそこそこの平凡な少女は自分のことをイチバンだともキレイだとも思えない。
わが娘でさえキレイともイチバンとも思えない母親のなんと多いことか。
存在するかもわからぬ客観ってそんなに重要かなあ。
もしかしたら世の中は主観(妄想)しかないと考えられはしないか。
そう考えられたら、ものの見方は一変しないか。それはそこまで悪いことか。
たとえあなたが偏差値40の高校出身でも、
自分で自分のことをイチバンと思えたらいいではないか。
ヒトラーはそれができる男だったと中島義道は言っている。
客観的評価を常に重んじてきた男、中島義道はよほど自分に自信がないのか、
客観的評価の高いサルトルという醜男の「形而上学的自負心」という言葉を
わざわざもっともらしく権威ぶって借用しているのが老醜の息吹を感じさせる。

「……ヒトラーの天才は、自分に下された客観的評価を(心の中で)「無」にできること、
それほどまでに自分を救うことに熱狂できることである。
世界の構図をすべて逆転してでも自分を救うことは「義務」なのだ。
そのために必要なものなら何でも利用する。たとえ真っ赤な嘘でも。
これまでの人生において度重なる負け札を引いてきた自分が、
このまま終わるわけがない。
この推理にさしたる理由はない。あえて言えば「自分だから」だ。
ここには、サルトルの言葉を使えば、「形而上学的自負心」
(自分が何であるか、何をしたかによる自負心ではなく、
ほかならぬ自分だからという自負心)が唸り声を上げている。
ヒトラーは、この「形而上学的自負心」の巨大な塊であった。
それが、究極的には、彼の異様なほどの「成功」の原因でもあり
異様なほどの「失敗」の原因である」(P164)


ヒトラーは、この「形而上学的自負心」の巨大な塊であった。
おそらく「法華経を唱えるヒトラー」も、うるさい「闘う哲学者」の中島義道も、
そしてそして、いまこの文章を書いているわたしも、あるいはもしかしたら。
客観的評価なんてくだらなくねえか、と思うなら、そう思うなら、きっとあなたも。

COMMENT

美杳QNW URL @
11/27 23:08
. 「ほとんどの場合、客観的事実など存在しない」という主張は全くの間違いではないですね。だが、そこから「世の中は主観(妄想)しかない」という結論を導くのは詭弁でしょう。特に土屋くんの場合、人生で負けが込みすぎているから「客観的事実を認めたくない」「認めたら自我が壊れてしまう」というのが正確ではないでしょうか。

具体例
・土屋くんは東大に落ちた
・土屋くんは学歴コンプレックスがある
・土屋くんは就職活動に失敗した
・土屋くんは負け組である
・土屋くんは少女が好きである
・土屋くんはベトナム女性が好きである
・土屋くんは貧乏である
・土屋くんは社会の底辺で蠢いている
・土屋くんは女にもてない
・土屋くんは教育投資を回収できない
・土屋くんは性格がひねくれている
・土屋くんはいろいろな人を恨んでいる
・土屋くんはブログで古家先生やシナセン関係者たちへの私怨を晴らしている

すべて客観的事実ですね。「多数派の意見」かどうか、「立場が上のものの意見」かどうか、この場合は関係ありません。
Yonda? URL @
11/27 23:43
美杳QNWさんへ. 

そんなおれに惚れちゃう美杳QNW!
因果なものよ。
いつでもおれはウェルカムだぜ♪








 

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