「きみと地球を幸せにする方法」

「きみと地球を幸せにする方法」(植島啓司/集英社インターナショナル)

→東大卒でモテモテ、自称宗教人類学者でじつはフリーライターのオジンの本を読む。
2015年刊行だから新刊といっても言いだろう。
東大卒でモテモテのオジンは,
最盛期にまさにバブリーというほかないリッチライフを送った模様。
いまはプチプチ貧困っぽいが、そういうところをみじんも見せないで、
リッチでしかもインテリななオジンを気取っているところがまたいいではないか(いい?)。
「きみと地球を幸せにする方法」ってなにさ? 
そういう考え方が、ある意味ベリーにヘビーにバブリーなんだが。
「きみと地球を幸せにする方法」を教えたがる人って、
切羽詰まった新興宗教の人っぽくね? 
「きみを幸せにする」はまだいいけれど
「地球を幸せにする」ってどこぞの教祖さまっでっか?
で、その全世界を幸せにする方法は「得る」より「与える」ほうがいい。
「与える」ってお布施のことですか?
我慢してバリバリがんばるよりも好きなことをしたほうがいいというのは、
なんとなくわかる(「得る」よりも「与える」!)。
どうして人間って晩年になると幸福論や人生指南をしたがるのだろう。
植島元教授の、好きなことをしていればいいという指導も、
一見スーパーフリーのようだがよくある人生指南のひとつ。
バブルの快楽を骨の髄まで味わい尽くした元大学教授で、
現在は貧困ライターの植島啓司は言う。

「生きる目的は、せんじつめて考えると「楽しむ」ことしかないというのである。
つまり、彼[リーナス/ネット開拓者のひとりらしい]が
リナックス[ネットのシステムみたい]を開発したのは
自分の楽しみのためであって、お金のためではないというのだ。
まさにハッカー[ネットのいたずらっ子]の面目躍如といったところではないか。
リーナスは一〇億円ほどのお金を積まれても
けっして自分の意志を曲げることはなかった。
彼はいま何に価値があるのかわかっていたのだ。
金銭にとらわれず、「好きなこと」しかやらない、
それが彼の生き方だったのである」(P76)


「好きなこと」しかやらない

「好きなこと」しかやらない? 、「好きなこと」しかやらないだと? ふざけんなって話だ。
しかし、いまはダメライターに分類されるだろう遊び人の
植島啓司の言うことのほうが「正しい」可能性も考えられなくはないか。
そのように考えられる柔軟性を持ってもそこまで悪くないのではないか。
真実とは(おそらく)人がそうであってほしいと望む虚妄である。
生まれたときからいままでモテモテでお金にも女にも不自由したことがない男は言う。
イケメン中年男はいまや大学教授でもなんでもなく、そこいらのオジンである。
しかし、自称モテモテ。女が切れない。
熟女からも少女からも愛され尽くした。快楽のかぎりを味わった。それが植島啓司。
肩書に惑わされずスーパーフリーな植島啓司の恋愛論、人間観、教育論を
(こころを無にして)ぜひぜひご拝聴されたし。

「たしかにモテるためのもっともすぐれた技術に、
相手と同じようにふるまえばいいという指南書があった。
なぜなら、だれもが自分を一番愛しているわけだから、
そういう相手の特徴を真似ていると、
相手はいつのまにか恋に落ちてしまうというものだ。
子どもの頃のことを思い出してほしい。
お互いに向き合って、たわいないしぐさを同時にくりかえしているうちに、
笑いがこみあげてきて、
ものすごくなかのいい遊び友だちになったという経験があっただろう。(……)
教育とは、相手が知らない知識を教えこむことではなく、
他人がどうふるまうかを見る機会なのである。
それによってなぜそういうことをするのか考えられるようになる」(P106)


今日 東川口の脳外科へ行った(顔面神経麻痺の治療)。
その後、近くのけっこう大きな公園でポッカポカのなか孤独な、
しかしそれなりに快適な昼飲みを敢行。
本当に小さな子同士って初対面でも仲良くなっちゃうんだよねえ。
相手の肩書とか、相手の夫の生活レベルとか気にすることなく、仲良くなっちゃう。
次回の診察日はクリスマスイブ。なんだかこのへんに仕事をしそうなんだけれど。
ラインでクリスマスケーキにえんえんとイチゴを載せる短期の仕事とか。
このくらいだったらいくらおれでも採用されるっしょ(もうダメかも)。
そうそうモテる方法か。40年生きてきた経験から話すと、モテる人はモテるよ。それだけ。
モテる人が開陳するモテる方法なんて、
蓄財に成功した人の財テク技術みたいでうさんくさい。
植島元教授がおれの風貌でおれ程度の知性しかなかったらモテるか? 
はいはい、論破、論破。

ラオスが大好きだという植島元教授は(「観光」ならぬ)「旅」のよさを熱弁している。

「しかも、一見似ているようだけれど「旅」と「観光」とは
むしろ正反対の概念のようにも思われる。
「観光」はすでに知られた土地を周遊すること。
それに対して、「旅」とは未知の領域に足を踏み入れることを意味している。
もちろん空間的な意味だけではない。
自分の心や感情の動きについても未知な部分に入り込めたら、
それだけで「旅」を成立させることができる。
また、スケジュールがあって、それにしたがって移動するのが「観光」で、
明日のこともよくわからないまま移動するのを、旅という定義も可能だろう。
一方はどこに行こうがすべてが日常の延長であり(だから怖くない)、
一方はどこにいても非日常で、自分でも予想しないことが次々と起こる」(P153)


いつだったか上海経由の中国東方航空(←悪名高い)でビエンチャンと成田を往復した、
成田の職員がラオスの首都、ビエンチャンを知らないのでそのマイナーさに驚いた。
行きと帰りは上海でも違う空港に着陸した、
上海で一泊して翌朝、目的地(ビエンチャン、成田)の飛行機に乗れというのである。
こういうめんどうくさい事情があったから、航空券が格安だったのだと思う。
植島啓司さんではないが、あえて上海の情報を調べずに飛行機に飛び乗った。
現地に行けばなんとかなるだろうと。
結果としては、現地の屋台で(なまの日本人なんてほとんど知らないだろう)
上海庶民と安い串焼きを平らげながらビールを鯨飲するという忘れられない一夜になった。
たまたま中国語を大学で履修していたのも功を奏したのだろう。
(上海のみならず)ラオスもまた観光ツアーで行くよりも、
ひとりでこうして飛び込んでいったほうが絶対おもしろい。
モテモテの植島啓司さんと反対の当方が唯一同感して両手で握手できるところだろう。

「好きなこと」しかやらない

それっていいの? ダメなの? まあ、やってみないとわからないのだろう。
そもそも「好きなこと」がない人のほうが圧倒的に多いというかなしい事実がある。

COMMENT

美杳QNW URL @
11/27 01:18
. あのー、植島啓司さんが人間総合科学大学教授をやめたのはもう8年前の話で(辞職の理由については小谷野がセクハラ説を流布していましたが)、今は再就職して京都造形芸術大学教授ですよ。学科長もやっています。「いまや大学教授でもなんでもなく」云々は訂正なさったほうがよろしいかと。








 

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