改善は造悪

今日は休みだけど、ダメだあ、終わりだあ。
ちょいと難しい本の感想文を書こうとしたら、途中で書けなくなっちゃうの。
これは先週の土曜日から取り組んでいたこと。
うん、うんうんうん、どう考えてもわたしはむかしよりバカになっている。
めんどくさっ、って気分かなあ、言うなれば。
稼いで飲んで食って寝て、それでいいじゃんっていう生活スタイル、思考スタンス。
いま疲れきっている。いまの職場、ストレス度が高すぎ。
なにかお願いするとわざと逆らう知的障害者とか、
意味不明の指示をいきなり出して周囲を混乱させる知的障害者とか
(本人は自分を健常者で職場の雄大なリーダーと思っているふしがうかがえる)、
どちらもまだ若い青年で(あたかも学会員のように)
腰に両手を当てて(王者のポーズ)威張っているけれど、もう限界さ。
いくら時給がよくてもこのストレスはきっつい。

そうそう改善は造悪だって話。
つねに改善を求めている組織や集団があったとする。
だが、善とはなにか? 善とは、悪ではないことである。
そうだとしたら、改善するというのは悪を造るということ。
つねに改善している集団組織は、悪人を常時造成し放逐追放しなければならない。
改善するということは、どういうことか?
改善するとは新しい悪(犯人)を設定し、そいつを追い出すことである。
職場の(1歳年下の)先輩のヤマザキさんは悲惨だったなあ。
最初は意地悪なところがあったけれど、
基本的に人柄がよくイケメンで仕事もわたしなんかよりよほどできた気がする。
それが改善造悪のため、極悪人として職場から追放されてしまった。
笑えたのは雄大な知的障害者。
ヤマザキさんとその健常者ぶった知的障害者は
職場ではさも親友のような交際をしていたのだが、
ザキさんが辞めたあとの知的障害者は親友のことを覚えていないのである。
それどころか、あの人は無断欠勤したよくない人だとリーダーは宣言する。
ザキさんも最後のほうでは先輩ベテランぶった知的障害者の知的障害者ぶり
(あいつの言うことわっかんねえ)をわたしにもらすようになっていたのだが。

知的障害者は善。そうだとしたら健常者は悪。
改善するには造悪しなければならない。
かような理由でいまの職場は
人権レベルが上の知的障害者ばかり居残り(3人もおられる!)、
健常者バイトはつねに追放されるという循環が成立しているような気がする。
健常者の指示(お願い)に逆らい、
勝手なおかしな指示を出す知的障害者が3人もいたら通常会社はまわりません。
だから、いまの現場トップの副工場長は偉いと思う。
けれど、必然として複数の知的障害者と恒常的に接していると精神が少しばかり痛む。
なんでみんな知的障害者は聖人とか賢人とか、
インテリよりも虐げられた障害者は人格的にすぐれているとか思いたがるのだろう。
どうしてみんな改善の意味が造悪だと気づかないのだろう。
集団力学的に自分が悪にならないために(改善のためと称して)
悪人(犯人)を造成することが仕事になっている人も少なからずいよう。
わたしは悪たるわたしが消えることで、
しばしいまの職場に平安がもたらされるならばそれでいい。
退職は損得上わたしにっとって悪だけれど、悪人の追放はみなにとって善なのだから、
今月いっぱいでいまの職場を去ることは悪とも善とも言えない。
むしろ多数決で言えば善だろう。ならば、わたしも善事をなしたと気分がよくもなろう。

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