善悪の彼岸は……自然?

わたしもふくめてとかく人というものは善悪にとらわれている。
相手が悪いのか、自分が悪いのか?
たいてい自分は善で、相手は悪となるものだが、
万事そんなもんで、どうしょーもねえなクスクス。
かといって自分が悪いと謙虚に思うのがかならずしも善ではない。
だって、うつ病になったり、
無気力になってしまうわけだから(むろん、それが悪かはわかりませんけれど)。
たとえば恋人や配偶者(夫や妻)と別れたとき、どっちが悪いかという話になるだろう。
これは理想形の夢物語だが(ありえない?)、
どっちも悪くなく、これは自然の成り行きだと思えたらどんなにいいことか。
会社が悪いとか上司が悪いとか同僚が悪いとか部下が悪いとか、
政治が悪い経済が悪い日本が悪い――ではなく、
自然にこうなってしまった、そう思えたらどんなにいいことか。
謙虚に自分が悪いと思うと生きづらいうつ病になって自殺してしまうから
(自殺が悪かは断じてわからない!)、腰を低くしろという話ではない。
けれども、相手を悪とばかり断ずるのもどこか自然に反していると思えなくもないか。
これは理想形の夢物語で、
こんなことを書いている当方がいまだ善悪にこだわっているのではありますけれど。
訴訟とか裁判とかコンプライアンスとか善悪抜きに、別れるときは自然に別れたいもの。
どっちが悪い、だれが悪いで人は生きがいを得ているのかもしれないけれど。
それでいいし、そんなものかもしれなく、それこそ人の生き方かもしれないけれど。
おれが悪いのかって考えるのもいやだし、
あいつが悪いと考えるのもいやだって「とき」はときにないかなあ。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4671-3e354be8