大きな一歩

いまの職場に入ったのは、大げさだけれど宿命としか思えないようなところがある。
いまの上司や同僚たちとは深い因縁で結ばれていたような気がしてならない。
わたしは子どものころから吃音症(きつおんしょう/どもり)で電話が嫌いだ。
ビジネスでの電話対応なんて絶対にしたくない。
吃音は父からの遺伝で、
これがなかったら自分はもっと出世していたといったようなことを、
むかし父から何度も聞いたことがある。
息子もおなじで、もし吃音がなかったらやってみたい仕事がたくさんある。
上司と飲んだときに、そういう事情はすべて打ち明けていた。
しかし、上司と飲む! これをわが人生で経験できるとはまさか思わず、
そんな山田太一ドラマのような出来事にたいそう感激したものである。
いまの職場にひろっていただき、はや7ヶ月。
1ヶ月強の肋骨骨折ブランクがあるから実質は半年くらいになるのかな。
昨日ついに電話嫌いのわたしが会社で電話対応を正式に行なった。
かたくなに拒否しようと思えば、できたのだと思う。
上司もわたしの吃音を知っているから「やりますか?」という、
させるのがいいのか悪いのかわからないといった少し迷った感じ。
昨日のことは1週間まえから悩みのタネであり、退職も考えたくらい。
「やります」と答え、おそるおそる生まれて初めてのビジネス電話を。
助けられたなあ、と思う。
うちの会社は有名らしく、そういう一流企業は取引先の社員がしっかりしているのである。
わたしのつっかえつっかえの、ぎこちない電話をうまくリードしてくれ、
上手に成功とはいえないが成功体験のようなものを与えてくれた。
ちょっと不審者あつかいされたけれど、自分としては大きな一歩であった。

吃音持ちのわたしとしては、電話だけでその日はクタクタだったのである。
しかし、この日に直属の上司が定期的に起こすヒステリーを発症する。
当方より5歳年上の男性上司の部下コントロール方法は、たまにガツンとやること。
言うなれば恐怖政治である。
たまにガツンと部下を叱って相手に恐怖感をいだかせ、
自分に服従させて強制的に仕事をさせる。
社会経験のあるものなら常識だろうが、上司は部下のどんな態度も注意できる。
いちばんかんたんなのは「遅い! 急げ! スピードを上げろ!」。
早い遅いは上司の主観だから、これは何度でも注意できる。
では、急げばいいかといえばそうでなく、今度は「あせるな。もっと丁寧にやって」。
どんな部下の仕事もミスとして注意することができる権限を上司は持っている。
あるときは整理整頓しろと叱られ、
べつのときはもっと乱雑にしておいたほうが使いやすいだろうと注意される。
で、この上司、私見では負けず嫌いで劣等感が強く、
つねにだれに対しても自分は「勝っている」と思っていたいらしい。
自分がバイトから社員になれたのはすべておのれの努力の結果。
健常者バイト全員をコントロール下に置きたいらしく、たまにガツンとやるのが彼の流儀。
職場には3人知的障害者の青年がいるのだが、
彼らを飼い馴らし躾(しつ)ける手腕は上級レベルではないかと感心している。
しかし、健常者バイトはこのガツンに反発して、
たいがい半年から1年でこの職場を無言で去っていく。
いきなり来なくなって音信不通になる。
健常者の男性バイトはひとりをのぞいて全員バックレ(無断欠勤後連絡不通)らしい。
わたしのひとつまえの男性健常者バイトもいきなりバックレたという。
本人は自分の指導力はすばらしいと誇っていたが、さあどうだかと思う。

電話対応で疲れ切ったわたしに、また上司がガツンとやることを思いついたらしい。
とはいえ、昨日のパワハラはそれほどでもなかったとは言えよう。
なぜなら上司のそのまた上司がいたからである。
過去の統計でわかっているが、
いまの職場でいちばん偉い人(わたしを雇ってくれた恩人)がお休みの日に、
現場指揮官の上司はいばりたがりガツンとやってくる。
そういう人間味のあるところがこの45歳上司のあまたある魅力のひとつとでも言おうか。
だから、昨日のパワハラ的な指導はそれほどでもなかった。
じつのところ数週間まえから「今度はおれの番か」と思っていたのである。
上司は健常者バイトに早く仕事をおぼえろと指導するが、
当人が仕事を理解しはじめると「調子に乗るな」と粛清してバックレに追い込む。
数週間まえにわたしと同年齢の好青年(好中年?)が新入りとして入っている。
これはバックレた先輩のYさんと新人だったわたしの関係とおなじである。
ああ、今度はこの新人さんが上司からの引き立てを受け、
わたしが粛清される順番なのかと、社会を学んだような世間を勉強した気になっていた。
実際「Iさん(新人)のほうが土屋さんよりもはるかに優秀だから」
というお叱りのお言葉を昨日いただいている。
バックレたYさんもおなじようなことを言われたから、
一時期当方に意地悪だったのではないかといま思う。
そんなYさんに「わたしが迷惑ならこっちが仕事を辞めますよ」と何度か言ったものだ。
こちらの気持が通じたのか、最後のほうではかなり仲良くなっていた。

「今度はおれの番か」である。
いちばん偉い人がお休みの先週の水曜日にも「ガツン指導」を受けたものである。
入った当初、ロッカーを閉め忘れたことまでさかのぼって、
わずかでも上司の気に入らないところを嘲笑的に指摘される。
下駄箱を閉めていないことがあるとか、小学生への注意かよ。
自分はミズが少ないと信じているようだが、そういう話ではなく、
アルバイトたちは身分のうえで正社員である彼にはなにも言えないだけである。
個人的な考えでは、ミスの発見はマイナスではなくプラスである。
ミスを発見したおかげで会社全体の損失がなくなったのだから、
それはミスをした当人にとっても指摘者にとっても歓迎すべきことである。
しかし、長年人生の辛酸を舐めてきたような人は、
他人のわずかなミスを見つけると「勝った」と思い、自分はあいつより「上」だと誇る。
こういう器の小さな人は「小勝(小さな勝利)」はできるだろうが、
「大勝利」とは縁がないのではないかと思うが、
そんなわかったようなことは言えない。
いつものことだが、昨日も昨日で、なかなか味のある社会経験を享受することができた。
上司は早口で「あれして」「これして」「あれを忘れるな」と思いつくまま、
矢継ぎ早に正確には意味を把握できない指示をしてくるのである。
人間がいっときにできるのはひとつの仕事だけである。
すると、どうなるか。
「あ~、土屋さん、あれをやっていない、これもやっていない。
優先順位はこっちなんだ。もう半年もいるのに、なんでわからないのか。
こんな使えない人は見たことがない」
そのうえで、新しく入ったIさんは土屋さんなんかよりよほど優秀だ、とガツンとやられる。
上司が悪いと言いたいわけではなく、どこの職場の上司もまあこんなものだろうし、
むしろいまの上司くらいなら甘いレベルなのかもしれない。
わたしは2週に1回程度だが、これを毎日のようにやられたら、
ほかの仕事を探せなくもない健常者のバイトさんはバックレることだろう。
上司は「あいつは使えなかった」とようやく仕事をおぼえた健常者を粛清して、
新しい健常者バイトを鍛えようとする。
で、そのバイトも半年後には「使えない」と叱咤され消えていく。
経済効率を考えると、どう考えてもこれはあまりよろしくない。
いまの仕事は全体像を理解するのがなかなか難しいのである。
ようやく貴重な健常者が仕事をおぼえかけたころにガツンを繰り返しバックレられたら、
またいちから新人さんを指導しなければならばくなるではないか。
自分は「先の先を読む」仕事をしていると上司は誇るが、
しょせんは2時間程度の先しか読んでおらず、半年後のことはまるで見通していない。
今日の損得のことしか考えていないと、年単位では大損をしてしまうかもしれない。
しかし、年単位の「先」は読めない、つまり「わからない」。
この「わからない」ことをわかっている人がうまく部下を育てるのだろう。
いや部下を育てるというよりも、部下が育つのを待つことができる。
知的障害者以外は部下が全員離れていく、といった上司にはならないで済む。

人はそれぞれ違う。ある人には電話は楽勝だが、吃音者には地獄体験。
ある人には数字を計算するくらいなんでもないが、知的障害者はそうではない。
しどろもどろではあるものの電話対応をこなすことができ、
ホッと一息ついているわたしに上司のきつい言葉のムチがビシバシ振りかかる。
「いまそんなことをやっている場合かな」
「すぐ土屋さんは質問する。仕事は自分でおぼえるもの。土屋さんは努力が足らない」
「半年も経って、こんなこともわからないの?」
「え? どうしてこんなこともわからないの? わからなかったら聞いてよ」
「いまごろそんなことを聞くの? 自分で努力して勉強しないの?」
「ダメダメ。どうしてこれをやっていないの? 言ったでしょ?」
「これどうしたの? これやっといてと言ったでしょう」
「さあ、いまの仕事の全体の進捗はどうなっている?」
「あれやった、あれ? これはこうするんだよ。何度も言ったでしょ!」

ずっと思っていたことを言ってしまう。
「Kさんの指示はわかりません。早口で言って、なにがなんだかわかりません。
みんなそう言っています」
「よく(バックレた)Yさんと話していたのは、
Kさんはひとりで仕事をすればいいんじゃないですかって」
「みんなKさんじゃないんですよ。
全員がKさんだったら、Kさんの思う通りになりますが、みんなKさんではないでしょ」
「自分はいちばん責任ある立場だと言っていますが、
そのぶんお給料も多いし、社会的地位もおありでしょう」

失礼だ、失礼だと上司は怒り始める。
人間そんなものだが、上司はすぐに白黒をつけたがる。
「おれが間違っているのか」
そうでないなら――。
「おまえが間違っているのか」
そうではないのである。Kさんの言い分はもっともで「正しい」けれども、
わたしにもわたしの言い分があり、それもまた完全な誤りとも言い難い。
いつもならここで、じゃあ、おまえにはなにも言わないになる。
Yさんもそう言われたと彼の口から聞いた。
「わたしだって明日、(Yさんのように)急に会社に来なくなっちゃうかもしれないんですよ。
毎回、これじゃよくないじゃないですか?
半年から1年のサイクルでバイトが辞める。おなじことを繰り返してもしょうがないでしょう」
じゃあ、どうしたらいいのか。
いまの上司が偉いと思うのは、自分が間違っている可能性も考えられる柔軟性がある。
「おれの言うことがわからないのなら、おれが悪いのか?
だったら、指揮する人を変えたほうがいいことになる」
「そうじゃないです」
「じゃあ、どうしろって」
「このまま切らないで、関係を続けましょう。会話を続けましょう。時間をかけましょう」
すぐに白黒をつけず、あいまいなまま自然な改善を待つ。
性急に答えのようなものを求めないで、答えがない状態に耐える。
すぐに善悪や正誤を断定しないで、とりあえずこの状態でいってみよう。
いまだって会社はきちんとまわっているし、それほどひどい状態でもないだろう。
以上、わたしが心中で思っていたことである。
当方が立派だったとかそういうことはぜんぜんなく、
むしろ偉いのは年下バイトの意見に耳を傾けてくれた上司のほうだろう。
わたしはひどいことを口にしている。
「能力不足でしたら、会社都合で解雇してください」
たしかもう雇用保険に半年加入しているから、
会社都合退職ならすぐに失業保険が出るはず。
「土屋さんはまたそんなネガティブなことを。
だれも解雇しようなんて思っていませんよ」
上司は寛大にも生意気な年下バイトとの関係を継続することを了承してくれたのである。

昨日は「大きな一歩」だったのではないか。
上司と部下のいさかいなんで、どこにでもあるありきたりな話。
たいがいは双方が相手のほうが悪い、自分は間違っていない、
といがみ合って禍根を残して終わる。最悪な場合は裁判沙汰である。
しかし、昨日はとりあえず善悪を出さずに、対話を続けていこうとなったわけだ。
絶縁とか関係決裂ではなく、とりあえずあいまいなまま希望を失わず会話を継続する。
善や悪ではなく第三の道を目指す。
いったい「正しい」ってなんだろう?
上司は自分の仕事のやり方こそ「正しい」と確信しているが、
それが「正しい」ことは証明できない。
なぜならKさんが指揮した日とまったくおなじ日に、
べつの人が指揮を取ることはできないからである。
昨日は残業になったようだが(わたしは早く帰された)、
もし昨日チーフのSさんとわたしがまわしていたら、
残業にならず定時に終わっていた可能性も否定できないからだ。
65歳のチーフSさんはむかし大嫌いだったのだが、
いまはなぜか息が合い(こちらの思い込みかもしれないが)、
お互いうまくサポートしあって仕事ができているような気がする(錯覚かも)。
先日もSさんに「おかげで仕事がおもしろくなってきました」と感謝したばかりだ。
Sさんは質問すると、何度も教えてくれる。
Kさんは「まだそんなこともわからないんですか?」と叱られるから聞きづらい。
Kさんに聞かないで仕事をして、
それがKさんの流儀と異なると「どうして聞かないんですか?」
と叱られるのだから、あはっ。
そういう経験も社会勉強としておもしろくないこともないのだが。

いまの職場に入れてもらえたことは本当に運がよく恵まれていたと思う。
嘘偽りなく人間味のあるいい上司たちに恵まれたと感謝している。
仕事を学んでいることもあるが、
いまの職場でなまの人間を勉強させていただいているという感謝も強い。
人間ってこうなんだなあ、
と本ばかり読んできたわたしは、人間そのものを実地で学んでいる。
本もおもしろいけれど、リアルな人間も書物に勝るとも劣らずおもしろい。
そういうきれいごとばかりではなく、
会社都合退職で失業保険をもらいながら読書ニート生活を数ヶ月したいという、
まったく不真面目なヤクザな思いがこころに浮かぶこともなくはないけれど。
あのわたしが電話対応をするくらいまで変わったのである。
社会経験としておいしいよなあ、というどこか邪(よこしま)な気持もあり、
そもそもが優良企業で電話相手の寛大にたぶんに支えられていることもあるのだが。
四十男がなにを言うかって話だけれど、人間って思っていたよりも優しいよね?
入った当初から学会員ではないかと疑っているのだが(絶対に聞かないけれど)、
いまの上司は学会員ばりに「努力しろ、努力しろ」とうるさい。
わたしから言わせたら、上司の言う努力は努力アピール。
いつもメモ帳を持っておぼえた仕事を書きとめるって、
それは努力しているというよりも、努力のアピール(宣伝)ではないかしら。
わたしはそういう努力アピールが嫌いである。
しかし、努力アピールは「正しい」のかもしれない。
いまの上司から多くのことを日々学んでいるが、これもそのひとつ。
努力って人知れずしていたら、だれにもわかってもらえない。
わざとらしい優等生的な努力アピールをしたら、それが上司の目にとまり出世につながる。
自営あがりの45歳の上司が、
40歳のアルバイトから大企業正社員にまで登りつめられたのは、
おそらく努力アピールが功を奏したのではないか。
ならば努力(アピール)をしろというのは秘伝をさずけられたようなものとも言えよう。
たまたま入った職場で偶然にめぐりあった上司だが、
この人とは深い縁(えにし)で結ばれていたのかもしれない。
単純な関係ではない。わたしはいまの上司が嫌いだし、同時に好きなところもある。
「好き/嫌い」と単純な二項対立に落とし込めない関係だと思う。
わかりやすい関係ではなく、むしろわけられない、わからない人間関係。
「善/悪」「正/誤」とわける、わかるのはかんたんだが、
その区分(理解)は浅いことが多いだろう。

果たしてわたしは数字に勝てるのだろうか?
統計だといまの職場の男性健常者バイトは99%の確率でバックレている。
確率にしたがうならば、いつかわたしもいまの職場をバックレるのだろう。
しかし、わたしは「わからない」と思いたい。
先のことは「わからない」。善悪も正誤もわからない。
だれが本当にいい人で悪い人かなんて、そうそうわかるものでもない。
9月は仕事ばかりであっという間に過ぎ去ったような感覚がある。
先日は腐ったニート根性をいまだ失っていない当方が、
わずか2時間程度だが休日出勤までしてしまったくらいである。
仕事がおもしろいなんてこともあるんだなあ。
チーフのSさんは職人肌で「仕事は自分がわかっていればいい」の人である。
そういう職人的職場環境があり長いことよく仕事がわからなかった。
先日、Sさんに「こうしたらいいんじゃないですか?」と新しい仕事方法を提案した。
ベテランとしては若手の言うことなんか聞きたくないだろう。
とはいえ、もう半年以上の人間関係がある。そのおかげだろう。
「こうしたらもっとわかりやすい」
とSさんは拙案にさらなる改良をほどこしたうえで当方の提案を採用してくれた。
このふたりでする創造というのが、あるいは仕事のおもしろさのひとつなのではないか。
「こうしてください」という命令ではなく、
「こうしたらどうでしょう」「こうしたらもっとよくなるんじゃない」という仕事上の創造。
創作はひとり孤独にするものだと思っていたが(作家、画家、彫刻家)、
仕事には共同創作をするという楽しみがあるのかもしれない。
むかしのわたしを知る人なら、
「あの土屋さんが仕事を語っちゃうとはねえ」とお口あんぐり状態かもしれない。
だから、「わからない」んだ。
人間は――他人のことは「わからない」。自分のことも「わからない」。
あえて善悪、正誤、因果とわけようとせず、わかろうとせず、
「わからない」ことに賭けてみるのも一手ではあろう。
絶対的に「正しい」方法とか、そういうわけではないけれど。
昨日は「大きな一歩」を踏み出したような気がする。
上司と多少トラブっても、それはかならずしもマイナスばかりではなく、
そのおかげで他の同僚との垣根が取れるというプラス面もないわけではない。
さあ、明日からまた仕事だが、今後どうなるのだろう。
あんがい明日「会社都合解雇」を言い渡されるのかもしれないけれど。
たとえそうだとしても、それが善か悪かはわからず、
かえってそのおかげで人生が好転するということもあろう。
当方の現時点の希望としては、いまの職場には恩義があるし、同僚にも興味がある。
このため会社が当方の解雇をプラスと判断したならば、
当方は会社への恩があるからいさぎよく消え去るのみである。
人生どうなるか「わからない」ことを比較的にわかっているのが、
こちらの(知的障害者よりは少しばかり上の)知力レベルというものだろう。
人間って45歳くらいでもいきなりぽっくり逝くこともあるらしい。
努力アピールとは無関係に、そういう自然のさだめとして人間は不自由である。
この不自由の別名は宿命で、わたしは宿命を生きたいと大げさなことを思っている。

*誤字脱字失礼。意味は通じるでしょうし、それにミスをする人って人間味があるじゃん。
だから、誤字脱字チェックはしない。長文閲覧まことにご苦労であった、えっへん。

COMMENT

- URL @
10/14 06:41
. 「山下泰平の趣味の方法」というブログの「社会人ならば覚えておきたい生き残るための一言」というエントリーが面白いですよ。Yonda?さんと年も近いと思います。
とおりすがりのいちのせ URL @
10/19 15:47
. いいはなしだ。うふ。
しろゆき URL @
11/11 07:57
. ミスする人の人間味?

そりゃクソにだって味くらいあるだろうさ








 

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