「先の先を読め」

「先の先を読め 複眼経営者「石橋信夫」という生き方」(樋口武男/文春新書)

→大和ハウス現会長の樋口武男氏が、
師匠であり大和ハウス創業者の石橋信夫氏について語ったビジネス本である。
あまたある自己啓発書のなかの一冊とも言えよう。
ところで大和ハウスの樋口武男や石橋信夫は「偉い」のだろうか?
ご両人が「偉い」とされる根拠はなにか?
そりゃあ、大企業の創業者やトップなんだから
「偉い」に決まっているという反応があるかもしれない。
しかし、どうして大企業の創業者やトップは「偉い」のだろうか?
1.お金持ちだから。
2.勲章をもらっているから。
3.権力があり、部下を動かしてかなりのことができるから。

変な話をすると、ユージン・オニールは「偉い」のだろうか?
と書いても、みなさんはユージン・オニールのことを知らないと思われる。
それも当たり前で、いま演劇でメシを食っている人も、
かのアメリカ人男性のことを知らない割合のほうが高いと思う。
答えは、ユージン・オニールはテネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーに先行する、
「アメリカ演劇の父」ともいわれる偉大な実験演劇および古典演劇、近代演劇の巨匠。
どうしてそんな毛唐(けとう/異人/外人)が「偉い」のか?
そう思われた方はある種のクリエイティブな能力を持っていると誇ってよいと思う。
わたしはユージン・オニールが大好きで邦訳戯曲はぜんぶ読んで心酔しているが、
一般庶民のみなさんは
芝居台本を読む習慣はないだろうし(そもそも読み方がわからないだろうし)、
ウィリアムズもミラーも知らないのにオニールといわれても困るだけだろう。
ウィリアムズの「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」
くらいならタイトルくらい目にしたことのある人もおられるかもしれない。
わたしはユージン・オニールがだれよりも「偉い」ことを身をもって(目をもって?)
知っているが、そのことを他人に共感してもらうことが非常に難しい。
しかし、ノーベル文学賞を取った人だといえば、みなさんふんふんとうなずいてくれるはず。
ノーベル賞を取ったのなら、それは「偉い」だろうと。
ちなみにノーベル賞作家のユージン・オニールが師匠と目(もく)したのは
スウェーデンのストリンドベリなのだが、
かの天才奇人(いや狂人か)はなにも世間に知られた勲章をもらっていないので、
かの作家もまたわたしは大好きだがどこが「偉い」のかを説明することができない。

そういうことなのである。
わたしはユージン・オニールが「偉い」ことはわかるけれど、
大和ハウス創業者や現会長が「偉い」ことはいまいちわからない。
これは当方の興味が高等遊民的な演劇、宗教、文学にあるからで、
10円の金も惜しむような(表現者ならぬ)生活者意識が乏しいからなのかもしれない。
サラリーマンの悲喜こもごもを経験しないと、
大和ハウス創業者や現会長がどうして「偉い」のかわからないのかもしれない。
しかし、わかるのである。ちゃぶ台をひっくり返すようなことを書くと、
わたしは大和ハウス創業者や現会長のどこが「偉い」かを明確に指摘することができる。
わたしが思うに、石橋信夫氏や樋口武男会長は「運がいい」ところが「偉い」。
会長によると創業者の口癖は「人生は運しだい」だったとのこと。
わたしは創業者の先見の明よりも運のよさを「偉い(すげえ)」と思う。
樋口武男会長は師匠であり大企業の創業者でもある巨人の言葉を振り返る。

「創業者は、自身の人並みはずれた努力のことはおいて、
「人間、つまるところは運やで」
と晩年まで口癖のように言っていたものだが、
このとき[創業時]もたしかに〝運”としかいいようのない出来事が待っていた」(P19)


日本軍隊戦争経験やシベリア捕虜体験の持ち主ならではの人生観であろう。
「人間、つまるところは運やで」――。
運がないやつはダメだ。石橋信夫も樋口会長もとりわけ運がよかった。
石橋から運のよさを見出された大和ハウス会長は証言する。

「創業者はよく、
「わしは運がよかった」としみじみ述懐し、
「樋口くん、人間つまるところ運やで。キミも運のいい人間とつき合え」
と言い聞かされたものだ」(P176)


戦場はわずかな判断ミスが生き死にをわけるからある面でとても人間を鍛える。
銃弾が飛び交っているところできれいごとをいくらいっても通用しない。
明日死んでしまうかもしれないという外地戦場体験をした創業者は強い。
自分が死ぬくらいだったら相手を殺せというのが戦場の絶対ルールである。
自分が生き抜くためならなにをしてもいいというのが旧日本軍の精神だ。
やられるまえにやれ。飛び交う銃弾を避けるためなら運でもなんでも使え。
大和ハウス創業者の石橋信夫氏の人の使い方は、まるっきし旧日本軍のそれであろう。
というかむしろ、日本軍の将校がみな石橋信夫のような部下采配をしていたら、
あそこまで日本は大負けすることがなかったのかもしれない。
シベリアで草を口にして食いしのいだという伝説を持つ石橋信夫の人間観は非情である。
「人間、つまるところは運やで」――。
部下はそいつに運があるかどうかを見定めるしかない。
運がないやつは枯れろ。運がないやつは死ね。
弱肉強食、勝てば官軍、勝ったものが「偉い」。
そうして勝ち残ったいちばん弟子を自称する大和ハウス軍兵統率者の会長はいう。
人間など大根とおなじである。
荒れ地にその大根を植えてみて、そいつが大きく育ったら本物である。
枯れてしまったらそんな大根はいらない。枯れろ。死ね。消えろ。目障りだ。
大和ハウス創業者がよく言っていたことである。

「大きな大根は、次々とあたらしい土地に移しかえていく。
そこはまだ開墾されていない荒れ地であるかもしれない。
しかし、その試練に耐えた大根は、さらにたくましく成長していくはずだ。
(……) ……創業者の晩年、
いつものように二人で経営をめぐる対話をしていたある時、
「それにしても、荒れ地に耐えかねる大根もありますやろな」
とたずねてみると、創業者の答えが凄かった。
「枯れたら、それまでや」」(P67)


「人間、つまるところは運やで」
人間なんて、つまるところ大根とおなじで運やで。
「枯れたら、それまでや」
大軍の将軍になるような人物はこのような非情な複眼視線を持っていなければならない。
人権、人権いうけど、あれは嘘や。人間なんて大根とおなじで、人権なんてあらへん。
外地戦争体験ほど男を鍛えるものはないだろう。
いくら鬼軍曹として威張っていても、交戦中に部下から銃で撃たれたらそれまで。
大企業といわれるところはどこも旧日本軍を参考にしているところがあるのではないか。
戦争は負けたら死んでしまうのだから、絶対に負けてはならない。
企業活動も戦争のようなものだろう。
主婦のバイトならともかく、家庭をかかえるサラリーマンは企業戦士である。
おのれの城(自企業)が壊されたら、なんの肩書もない二等兵以下になってしまう。
大和ハウスの大将である創業者は口を酸っぱくして言っていた。

「闘いには百戦百勝、ぜったい勝たないかん。
経営でも人生でもそうや」(P150)


勝利絶対主義である。小気味いいではないか。負けるな、勝て勝て、絶対に勝て。
大和ハウス会長の名前でググろうとすると(グーグル検索しようとすると)、
大勝利という言葉で有名なある巨大新興宗教団体の名前が同時検索(?)で
現われるが、そんなことはグーグル先生のご指摘を待つまでもなくわかっている。
あそこの紫綬褒章作家、宮本輝氏の書いた「三千枚の金貨」は
大和ハウスがモデルのひとつになっているような気がしてならない。
日本男子に歴史上友情のようなものはなく、
あるのは上下関係(主従関係/師弟関係)だけなのかもしれない。
日本の大企業は(中小企業もおそらく)旧日本軍以外の組織スタイルを持っていない。
だから悪いというのではなく、日本軍はアジアでいちばん強かったのである。
植民地化された中国や韓国の軍隊よりも日本戦時体制は銃後もふくめ強かった。
日本で組織をつくるとなったら、旧日本軍のようなあれしかないのだろう。
繰り返すが、それが悪いわけではなく、むしろ他国には真似できない最強軍隊である。
愛国精神、愛社精神のためなら神風特攻隊に志願することも辞さない。
だれもあまり大きな声でいわないがいまの日本は天国のような世界ともいえよう。
こんな便利で微笑みにあふれた国はほかにないだろう。
微笑みの国といえばタイやラオスだが、
たとえばラオスなんか日本の足元にもおよばない。

戦後日本の急激な経済成長は旧日本軍のモデルで経済活動をした成果ともいえよう。
ニッポンがんばれ! 日本人がんばれ! 大和ハウスがんばれ!
いま大和ハウスは多角経営を推し進めているらしい。
常識にとらわれないとてもいい見識のある経済活動だと思う。
多角経営とはファミリーをつくること。
たとえばさ、なにか商品を製造しても運送を外注したらそれだけ摩擦(まさつ)は高まる。
運送会社もおなじファミリー企業でまかなってしまえば、
おなじファミリーに対してそうそう悪いことはできないだろう。
華僑(かきょう)がやっていることだが、血縁関係(ファミリー)ほど信頼できるものはない。
よその人に外注したらだまされる危険性もあるが、ファミリーならば安心できる。
経済活動は契約関係、金銭関係だが、ファミリーはもっと強い絆(きずな)がある。
企業同士がファミリーになってしまえばこんなに強いものはないのである。
巨大企業の創価学会にはファミリーが多いと聞くが、
あれは世界史的に初の試みとなる革新的な経済活動なのではないか。
社会主義(共産主義)もダメ。資本主義もボロボロ。
しかし、第三の道があるではないか。「第三文明」があるではないか。
仏教と資本主義をミックスしてしまえばいいのである。
ラオスもベトナムも社会主義と仏教を併用しているが、
あっちのは小乗仏教だからどこかゆがんでいる。
大乗仏教と資本主義を併用した創価学会や大和ハウスのような
ファミリー主義がいちばんいいのではないか。
大和ハウスはいま多角経営を進めていると聞く。
この企業はいまどこに目をつけているのか。いわば希望の星である。

また同年[2004年]、[大和ハウスは]日本体育施設運営(NAS)を買収した。
同社は全国で四十七ヵ所のフィットネスクラブを展開するが、
健康への関心が高まる中、
大和ハウスはNASを拠点の一つとし、人・街・暮らしの
価値共創グループとして挑戦を続けているところである」(P192)


スポーツクラブNASなら世間知らずのわたしも耳にしたことがある。
まえに友人が通い始めたと聞いた(結局、忙しくて辞めてしまったようだが)。
スポーツクラブNASはとにかく居心地がいいらしい。
とくにいいのはレンタルのタオルで一流ホテルを凌駕するふっくら感があるという。
一流のスポーツクラブはタオルのようなところにまで気を配るのかと
一生そんな高級施設とは縁がないだろう当方は新鮮に感じたものである。
わたしがもし高給取りの大和ハウス社員に来世でもなれたら、
迷わずファミリーのスポーツクラブNASに通い汗を流し、
帰宅後は軽く国産ビールで喉をうるおしながら樋口会長のご本を読むだろう。
1時間半で読んだ本だが感想を書くまで1週間以上の思考を要した。
毎晩、仕事から帰って来てこの本の重要箇所を読み直したが、
なかなか感想が書けなかった。
それだけいまのわたしには難しい本でありました。

COMMENT

ラマ URL @
09/19 21:08
. 「運がないやつは枯れろ」というが、何らかの理由で「枯れた」人を「運がない」と評価しているだけなので、結局は単なる同義反復で意味がない。

なおユージン・オニールは喜劇王チャップリンの義父(なおかつ、サリンジャーの元カノのお父さん)と言った方が通りがいいかもしれない。








 

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