「大学病院の掟」

「患者さんには絶対言えない 大学病院の掟」(中原英臣/青春新書)

→暴露本は好きだから、どれほど唖然とすることが暴かれているかと思いきや。
そもそもおのれの医師国家資格をキープしたままで書かれた本だから、そんなもんか。
医師資格を持ってない人がなにを言おうと大して聞こうとしないのが大衆。
だから、医師の資格は手放すことはできない。
しかし、自分も医師の群れのなかにいると村八分にされるような暴露は書けない。
「医師なんてやーめた」と資格を捨てたハグレものが暴露をしたらおもしろいのだろう。
それはいままでの人間関係(師弟同僚関係)をすべて捨てるということだから、
たいがいの医者には無理な注文なのだろう。

一般的に町医者よりも大学病院のほうが権威がある。
もっと言えば、町医者よりも大学病院の医師のほうが医療の腕は高いと思われている。
わたしはそうは思わないが(町医者への蔑視はないつもりだが)、
そもそも町医者自身が難しそうな病気や怪我にめぐりあうと大学病院をすすめてくる。
医者業界における、この大学病院偏重主義はどういう理由によるのか。

「この国では、医学生を教育するのも、若い医者を養成するのも、
医学の研究をするのも、新薬の効果をチェックするのも、新薬の認可を審査するのも、
大学病院の権威ある医者に任されています。
さらに、最新の医療機器を導入するのも、いろいろな検査の正常値を決めるのも、
すべて大学病院が中心となって行なっているのです」(P4)


そうは言っても、これはどうしようもないのである。
いくら民間で治療者を育成しても、彼(女)らは祈祷師、占い師あつかいだろう。
わたしは医者も正体は祈祷師や占い師のたぐいだと思っているが、
世間的評価はお医者さまのほうが民間治療者よりも桁違いに偉いことになっている。
では、どうして医者にかかるかといったら、国民皆保険のおかげだろう。
ケチな話をすると3割負担ではなく、全額負担ならかなりの病人が減るはずである。
よく知らないが高齢者は1割負担なんでしょ?
そりゃあ、計算高いばあさんは高い占い師のところに行くよりも、
安い医者に通って病気なのかなんなのかわからない愚痴をぶちまけるだろうよ。

庶民の名医信仰というのもいまのわかしにはわからない。
医者なんてみんなおんなじじゃないかという思いがある。
名医は混むから新米のフレッシュ医師(女医ならなお可)に診てもらい、
そのビキナーズラックのようなものにあやかりたいと思っている。
どうして老いた庶民って肩書信仰、名医信仰のようなものが激しいのだろう。
うちの父の口癖は、「おれは大学病院の教授に診てもらっているから絶対大丈夫」。
息子からしたら、わけがわからない。
「おまえはな、ものを知らない。大学病院の教授だぞ。
その教授先生が結果を見て、土屋さん、これは大丈夫。安心できますと言ったんだ」
定期的に大学病院教授の健康お墨付きをもらっている父は、
にもかかわらずどうしてか今年の2月に脳内出血で倒れた。
病室で父にさんざん嫌味を言ったものだが、
先日聞いたらあのころのことは覚えていないらしい。
教授先生医師に定期的に診てもらっていても、病気は事前にわからないのである。
祈祷師や新興宗教でさえ「教授」のようなポストがあり、
そのほうが信用を集められるというのはふしぎ極まりない。
「みんなの名医」にすがるより「わたしの名医」に賭けるほうがおもしろいし、
実効的だ(現実に効果がある)と思うけれども、世間は肩書依存症である。
マスコミ医者、タレント医者の著者は言う。

「……教授というポストと臨床医としての腕の間はほとんど相関がありません。
大学病院のなかで内科や外科といった診療科目の最高の地位である教授という
ポストについた医者は、腕がいいことよりも
学内政治や調整能力にたけているというこtが少なくありません。
それこそ『白い巨塔』の財前五郎ではありませんが、
一癖も二癖もある医者がたくさんいる医学部の教授会で
多くのライバルたちに勝たなくては教授にもなれないのです。
腕よりも政治力と経済力ということになるわけです。
そして、もう一つの問題が、
医学部の教授になるには腕よりも大切なものがあります。
それは「業績」という名前の論文です。
しかも、論文の中身ではなく、論文の数がなによりも重要な評価の対象になるのです。
教授というポストと臨床医としての腕の間はほとんど相関がないといったのは、
医学部の教授選では、臨床の腕がいい候補よりも
論文の数が多い候補のほうが有利になることが多いからなのです」(P185)


著者はまさか自分のことを「腕がいい」医者だと思っているのだろうか?
いやいや、そもそもの話、
医者で自分のことを「腕がいい」と思っていない人のほうが少ないだろう。
「腕のいい」医者とは、ヤブ医者の反意語だろう。
わたしはたとえ世間ではヤブ医者とされる評判の悪い医者でも、
わたしの病気を治してくれるのならば彼(女)を名医だと思う。
いくら世間から名医と名高い教授先生でも、
当方の苦しみを軽減させてくれなかったらそいつはヤブ。
名医としての評価の基準をどこにおくかである。
世間(多数派)の評価を気にするか、
自分との相性や実利性を重んじるかの違いといってよい。
どれだけヤブ医者と後ろ指をさされる人でも、少数の患者ならきっと救っているのである。
自戒を込めて最後に書くが、「みんなの名医」を探すよりも「わたしの名医」と出逢いたい。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/4643-268fcc38