好きにすれば

父とわたしの関係を現段階で整理すれば「好きにすれば」ではないかと思う。
あの年代の男性はみなそうでしょうが仕事人間。
むかしから逢ってもわたしの年齢を正確に言い当てられるときのほうが少なかったし、
それよりも仕事、仕事、仕事。
言い換えたら「好きにすれば」で育てられたのが当方なのだが、それがこの結果だ。
おかげもあり好きなことをかなり好きほうだいやったなあ。
いま父があたまをやって(倒れて)見ようによっては少しおかしいとも言えなくはないが、
わたしが彼に申し上げることがあるとすれば「好きにすれば」。
いままでどおりお好きなようにやってください。
どうせなんか言っても(わたし同様に=似たもの親子だなあ)
聞く耳を持たないだろうし。
一般に「好きにすれば」は絶縁のことばになるのではないか。
そうでもないような気もするんだけれど、うーん。
もしこのブログに主張のようなものがあるとすれば、みなさん「好きにやれば」。
わたしはあなたを否定も批判もしないし、もっとお好きなようにおやりになってください。
性犯罪とかふつうの人はやろうと思ってもできないから、
できる人はある意味で才能があるとも言えましょう。
性犯罪をできる人を仰ぎ見るようなところがある――なんて書いたら不謹慎かしら。
しかし、「好きにすれば」と言われると人はさみしくなる。
だから、あれこれ言いたくなる、がみがみ口うるさくなる。
相手のために、自分のために。
「好きにすれば」はパンダ語にしたらスーパーフリー。スーパーフリーは超絶孤独の意。

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