さみしいから、さみしいのに、さみしいくせに

なぜ働くかの答えのひとつとして「さみしいから」という本音はあるのではないか?
さみしいから働く。共同作業をしていたら人と関わらざるをえなく、
おかげさまでさみしさからある程度逃れることができる。
わたしも白状するとさみしいから働いているところがけっこうあるのかもしれない。
自分は孤独にだれよりも強いと思うときがあれば、
だれよりもさみしがりやでひとりぼっちだとも同時に思う。
いま左顔面麻痺で現代医療ではどうしようもない、運しだいと言われているので、
こんなときに労働NGで家に引きこもっていたら発狂してしまうような恐怖がある。
ある善良な整形外科医が労働可能のメモを書いてくれたので(診断書だと3千円)
本当にありがたいことだと感謝している。
お金のために働くというのはリアルだが、どっかしらリアリティに欠けている気もしなくない。
本当にお金がほしかったら財テク(死語?)とか違法ギリギリの投資とか、
そういうことを孤独や破産をおそれずにするような気がする。
わたしは大金をもらってもやりたくないことはできないだろうし、
無料でも自分がしたいことならいくらでも時間をそれにあてるだろう。
さみしいなあ。「ともだち」がほしいなあ。
(いま同名の山田太一ドラマがCSで放送中だが)
さみしいから働いているのかもしれない。
さみしいのに、さみしくないふりをしているのかもしれない。
さみしいくせに――。
だれにも読んでもらえないブログなんて書いてさみしくないふりをしているのかもしれない。
うちのブログは批判コメントも削除やアクセス禁止にめったにしないのは、
わたしがとてもさみしい孤独な人間だからだろう。
さみしいくせに、さみしいのに、さみしさから、
さみしくないふりをするのがわたしという人間の正体なのかもしれない。
さみしい人とさみしい人が出逢えたら、どんなにいいことだろう。
山田太一ドラマのテーマのひとつである。
「さみしい」を難解な言葉に変換したら「近代的自我」となる。

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