「宮本輝 流転の歳月」

「宮本輝 流転の歳月」(NHK/知るを楽しむ 人生の歩き方)

→天下の公器、NHKで放送された人生の大勝利者の体験発表である。
大勢の人のまえでの大勝利の体験発表を目的に生きている人って大勢いそう。
閻魔(えんま)さまのまえでの体験発表では、
「これこれこういうことがあって大勝利しましたが、結局死んでしまいました」
になるのが人生の矛盾でありおかしみであり哀しさだろう。
うちの父もそうだが、どうして庶民ってみんなNHKが好きなんだろう。
NHKで勝利者として体験発表するのが、あるいは日本人のゴールなのかもしれない。
選考委員の宮本輝が嫌っていたのに芥川賞を取った西村賢太もそのコースを歩んだ。

創価学会の宮本輝氏が信じているものとおなじものをわたしは信じている。
宮本輝氏は創価学会だから、いちおうは日蓮大聖人の南無妙法蓮華経だろう。
わたしは南無妙法蓮華経も信じているし、
(法然や親鸞のではない)踊り念仏の一遍の南無阿弥陀仏も信じている。
どうして南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏という違う言葉を信じてもいいのかって?
それは要するに南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も「自分」だからである。
宮本輝が自分(南無妙法蓮華経)を信じているように、
わたしも自分(南無阿弥陀仏)を信じている。
すべてが自分のなかに眠っているのだろう。
男も女も、聖と俗も、貴と賤も、賢も愚も、有も無も、生と死も――。
それを信じるしかない。自分を信じるしかない。
それが南無妙法蓮華経であり南無阿弥陀仏であり南無釈迦牟尼仏である。
生きる目的も苦しむ目的も死ぬ目的も「自分」である。
つまり、南無妙法蓮華経であり南無阿弥陀仏であり南無釈迦牟尼仏。
昨日は目のまえで飛び降り自殺をした母の命日で父と逢った。
自分とは父と母である。自分とは父と母の「愛」である。
自分とは祖父と祖母の縁であり性欲であり関係性であり複雑性である。
それはどうなっているか人間にはわからないが、
かりに言葉にするならば南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏が
それなりに適当で妥当なのかもしれない。

ぜんぶ「自分」の奥深くに眠っていると信じることが、
南無妙法蓮華経であり南無阿弥陀仏であり南無釈迦牟尼仏ではないか。
創価学会の芥川賞作家の宮本輝氏と、
無宗教で非正規雇用アルバイトのわたしはおなじものを信じている。「自分」――。
突き詰めるものは「自分」しかないのだろう。
宮本輝先生は大勝利人生の体験発表として以下のようなことをおっしゃる。
成功者ほど過去に対して雄弁であるが、それはそんなもので、
わざわざそんな意地悪な指摘をしたら皮肉がすぎるのでよくない。

「子ども時代に住んだ土地を取材して訪ね、
僕の中にある親父の記憶を辿(たど)っていくと、
親父に関する思い出だけでなく、
さまざまな人や、さまざまな出来事が蘇(よみがえ)ってくるんです。
そこには生きる歓(よろこ)びや哀しみ、
憎悪や愛情が複雑に絡(から)み合った「とてつもない人間の世界」がある。
そして、そこにはいつも偶然ではない何か、うまく説明できないけど、
人間の業(ごう)だとか宿命だとか、
人知の働きを超えた不思議な力が常に作用していたような気がするんですよ」(P138)


わかるなあ。宮本輝氏の述懐はわたしにとっての真実真理でもある。
40年も生きていると、いやでも浮き沈みというものを見る。
40年という時間が自分にものを考えさせる。血縁を考えさせる。
宿命を運命を事件をご縁を、そのどうしようもなさを。
とてもとてもすべて偶然だったとは思えないのである。
おそらくすべては偶然なのだろうが、そうだとは思わせないのが「時間」である。
わたしはまえに南無妙法蓮華経の意味は「自分」だと書いた。
南無阿弥陀仏の意味も「自分」だと思っている。
言葉はいろいろな意味を持つ。言葉は伝わらないところに意味があるのかもしれない。
「時間」もあるのではないか。
南無妙法蓮華経の意味は「時間」で、南無阿弥陀仏の意味も「時間」。
「自分」と「時間」はおなじ意味で、いいかえたら南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏。
「自分」を信じるとは「時間」を信じること。
どうして「自分」が生まれてきたかといえば、両親の営みが関係している。
両親がこの世に生まれてきた因縁も、祖父母のそれによる。
「時間」経過とともに両親にも「自分」が生まれ結ばれ、
いまの「自分」がどうしようもなく存在している。
どうしてこうなったかはわからないが、その「わからない」は信じてもいいのではないか。
「自分」の正体はわからない。「時間」の本質はわからない。
その「自分」や「時間」のことを仏教では南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏という。
わたしは自分も時間も宮本輝も信じている。
なぜなら宮本輝から自分と時間を信じることを教わったからである。
悪名高いがわたしは嫌いではない創価学会の隠れ作家、宮本輝氏はNHKでいう。

「大豆が醗酵(はっこう)して味噌になるにはある程度の時間が必要ですが、
それと同じで一つの思い出や経験が、
僕の中で化学変化や醗酵を起こして、別のものになるのには
三年かかる場合もあれば、三十年かかる場合もある。
今釣り上げたばかりの魚を三枚におろして刺身にして
「さぁどうぞ」ってわけにはいかないのが、
小説の難しいところなんですよ」(P158)


おそらく小説のみならず人生でもおなじことがいえるのではないか。
わたしは生きようと思う。
母の眼前投身自殺体験が今後どのように醗酵するのか興味がある。
生きよう、生きよう、生きよう。
16年まえのあの日からわたしは宮本輝に生かされている。
偉大な庶民派作家である。自分と時間を知ろうとしている稀有な人気作家である。

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