「私たちはなぜ狂わずにいるのか」

「私たちはなぜ狂わずにいるのか」(春日武彦/新潮OH!文庫)

→先日、精神科医の春日武彦の本の感想をブログに書いたら、
それが著者の目にとまりお気に召さなかったらしく、
先生のご友人とされる漫画家の自殺説を書いたせいもあるだろう。
春日先生から脅迫めいたコメントをいただいたものである。

・言霊があなたにろくでもない運命を呼び寄せると思うなあ



そうしたらそれが的中。その後、当方は自転車事故で鼻骨と肋骨を折る。
むかしは呪術家が精神科医もかねていたような気もするが、
春日先生の怨念パワー、呪術のちからに恐れをなしたものである。
春日先生の自己イメージはこうらしい。

・わたしは「不謹慎」などという言葉とは無縁の人間です



ところが、第二作の本書を読むと、
むかしから春日先生は不謹慎というそしりを受けているのである。
分裂病患者の妄想はパターンがあっておもしろくないという本音についてだ(P50)。
わたしは春日先生の不謹慎な発言がおもしろいのだが、
ご自分は不謹慎とは無縁の存在だという。
著名な精神科医の春日先生によると、うちのブログ記事は――。

・軽薄かつ侮辱同然の作品コメント



わたしという人間は――。

・もうちょっとマトモな人物かと思っていた
・あなたは予想以上に品性下劣だと思いますね。



これはわたしが否定してもどうしようもなく、
立場が上の医師国家資格までお持ち春日武彦先生のご診断のほうが正しい。
反論するつもりもない。

本書もたいへんおもしろかったが、変なことを書くとまた侮辱だと怒られてしまう。
この本の主要なテーマは、人は人為的に狂うことはできるのか?
つまり、人は自分から狂うことができるか?
あるいは人をたとえば拷問などで苦しめることで狂わせることができるか?
これはすごいおもしろいテーマだと思う。
よく精神病(分裂病・躁うつ病)を発症した人は、あのせいで自分は狂ったという。
16年まえの今日、わたしの目のまえで飛び降り自殺をした母も
しきりに自分の病気の原因めいたものを口走っていたようだ。
病名は「非定型精神病/躁うつ病」くらいだったか。妄想もあった。
さて、母に言わせると自分が精神病になった原因は――。
最初は夫が悪いで、次は親も悪くなり、最後は子どもまで悪くなったようだ。
そうして最後は子どもの目のまえで見せつけるように飛び降り自殺をした。
わたしは一時期、気が狂う直前まで苦しんだ。
しかし、本書を読んで長年の誤解のようなものが解けた。
母が精神病になったとき対人要因(だれかが悪い)のようなものはとくになく、
脳器質異常とでもしか解釈できぬものだったのだろう。
わたしも気が狂うかと思ったが、もとから素因のないものは狂おうとしても狂えない。
せいぜい「マトモではない品性下劣」(春日武彦診断)どまりであった。

本書のサブタイトルをつけるのなら「オフィーリアの嘘」がいいのでは?
オフィーリアはハムレット王子の婚約者で、
父をあろうことか最愛の婚約者であるハムレットに殺され発狂する。
オフィーリアは最後は狂乱のすえ自殺する。
劇としては自然に鑑賞できるが、精神医学的にはあれは嘘なんだなあ。
苦しい環境に置かれたからといって人は発狂するものではない。
精神科医の春日先生に診断をお願いしたいのは、ハムレットのほうである。
オフィーリアは心神耗弱、ノイローゼ、精神錯乱くらいだろう。
ハムレットはあれは狂っているのかどうかである。
ハムレットは途中で狂ったふりをすると言って狂気を演じるが、
あれは精神病か、それとも正常なのか。
ハムレット劇は見ようによってはぜんぶハムレットの妄想とも解釈できるわけでしょう?
父親を叔父に殺されたという病的妄想。
途中、現在の王の懺悔(ざんげ)を聞いているが(盗み聞き)、
あれは幻聴かもしれないわけだから。
観客が聞いたのは集団ヒステリーというか、妄想に巻き込まれたというか。
ハムレットって狂いながら楽しそうだよねえ。
「犯人を突き止める正義の王子」なんて気取っちゃってさ。
少なくとも「淡々と生きる」よりは、
劇を起こしたほうが本人にはいい人生だったと言えるのではないか?
ハムレットのまわりは死屍累々(ししるいるい)だけれど。
あんがい死んだ人たちも退屈な人生を送るより、
パーッと桜のように散れておもしろかったんじゃないかなあ。
境界性人格障害とか美男美女が多くて、下半身もスーパーフリーなんでしょ?
それはいっぱい三流恋愛ドラマめいたものを繰り広げているってわけで、
本人や相手としたら「淡々と生きる」よりも生きがいがあるんじゃないかなあ。

「マトモではない品性下劣」な当方は若かりし春日先生に共感する。

「私は苛立っていたのである。
なぜ自分はこんな退屈な日常に甘んじていなければならないのか、
なぜ自分には狂気という選択肢がなかったのか、と。
私にとって狂気とは、世の中に蔓延する精神的な怠惰とか傲慢さ、
狭量、ステレオタイプな価値観といったものへの
アンチテーゼのような色彩を帯びていた。
それならば私は狂気と親和性が高い筈である。そう思った。
にもかかわらう、私はこうして月並みな生活を続けている。
私には狂気となる権利があるのではないか」(P4)


しかし、若き精神科医は狂えなかった。
長年の臨床体験でいまや精神病患者を上手に演じることさえできる。

「私が分裂病のふりをしようとしたら、
おそらくかなり上手に演じることが出来ると思う。
あんまり暴れたり騒いだりせずに、
ちょっとした仕種や言葉にヒントを織りまぜつつ、渋い演技をしてみせられると思う。
だが、全体の雰囲気とかトーンで、
恐らく担当医に疑惑を抱かせることにはなりそうである。
そうなると、あとは「治療は診断を兼ねる」といったプロセスに組み入れられるだろう。
病気でもないのに服薬などするのは私としても嫌だから、
その時点でギブアップということになろう」(P190)


「私たちはなぜ狂わずにいるのか」――答えはそもそも素因がないからなのか。
むかしはハムレットみたいに華々しく散りたかったけれども、
もうおっさんで分裂病発症年齢はとっくに超えている。
むかしは明らかにビョーキっぽい人から長文メールがよく来たけれど、
最近はぜんぜん。でも、まだ有名な精神科医の先生から
コメントをもらえるくらいだから大丈夫か(なにが?)。
春日先生にはシェイクスピア劇を精神科臨床的に分析した本を書いてほしい。
今回も「軽薄かつ侮辱同然の作品コメント」たいへん失礼しました。
もう人生逃げ切りモードにお入りになったでしょうが、
先生も言霊パワーにはくれぐれもご注意くださいませ。

COMMENT

ph URL @
06/26 18:41
不謹慎. あら、
春日先生の言う
「不謹慎と無縁」の意味は、
「不謹慎なんてアホくさ」の方だと思いましたが、
いかがでしょう。 
HN URL @
06/27 02:23
. >もうおっさんで分裂病発症年齢はとっくに超えている

遅発性統合失調症で検索してごらん。








 

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