「「がんばらない」お稽古」

「「がんばらない」お稽古」(ひろさちや/PHP)

→お酒が好きで宮澤賢治が嫌いな肩書のない仏教ライターの本をまーた読んじゃったよ。
もしかしたらぼくはひろさちや先生の一番弟子じゃないかなあ。
新刊で本を一度も買ったことはないし(お布施ゼロ)、講演会に参加したこともないけれど。
むろん、ひろさちや先生へのリスペクトはあるけれど、
ひろさんがこのブログを読んだらバカにされたと感じて怒るんじゃないかって、
先日友人から電話で言われたけれど、どうなんだろう。
あの宗教評論家は本当に意地でもネットを見なさそうだからなあ。
弟子をつくりたがって先生と呼ばれて喜ぶような人よりよほどひろ先生のほうがいい。
著書多数のあの人、友人も少なそうだし受賞歴ゼロだし弟子もいないし、
(かわいく)どーしょもねえなあ。
本当に彼岸から世の中をバカにしているのかもしれない。

みなさん真理を求めておられるでしょう? とくに宗教関係の人は。
「真理はわからない」
これが真理だとしたら矛盾しているよねえ。
真理は「真理はわからない」だってわかっているじゃないかって話
でも、わたしなんかは「真理はわからない」が真理じゃないかと思っている。
矛盾を追及されたら矛盾していない人間はいないとさらりとかわす。
「真理は言葉では伝達できない」も矛盾でしょう?
「真理は言葉では伝達できない」という真理を言葉で伝えているわけだから。
このあたりの真理の真理性をじつにうまく描いたのが「歎異抄」の有名部分なのである。
偏差値40の女子高生でもわかるように、ひろ先生の訳もつけておきます。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
よろづのことみなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、
たゞ念仏のみぞまことにておはします」
[わたしたちは煩悩にまみれた凡夫であり、この世界は無常の火宅であって、
すべてが嘘いつわり、真実は何一つない。
そのなかで、ただお念仏だけが真実である](P34)


要するに、俗世間の価値観はすべて嘘である。
そのことを証明するために真実なるものが必要とされる。
その真実は念仏である。念仏以外はみな嘘いつわりなのは念仏が真実だからである。
そして、念仏の意味は人間にはわからない。
念仏の本当の意味は仏さまにしかわからない。このロジックすごいよなあ。
つまり「真理はわからない」が真理であると上記の文章は主張しているわけ。
ヘルメットをかぶったおっさんにスコップで殴られそうな論理だが、
きちんと剃髪して袈裟(けさ)をまとった坊主に言われたら、
ああ、そういうものなのかと納得したような気になってしまうのかもしれない。
でもさ、20代くらいまでは「真理はわからない」が真理はずるいって怒りそう。
唯一の真理があって、しかしそれはわからないという論理はずるいといえばずるい。

ひろさちや先生は人間関係の助言もありがたくもなさってくださっている。
むかしからよく言われている「自分が変わると、相手も変わる」
とかいう箴言(しんげん/名言)めいたものがあるじゃないですか。
この対人方法のポイントは「相手を変える」ことではないとのこと。
相手を変えようと思って、自分を変えようとすると逆にいらいらしてくる。
自分がこんなに変わっているのに相手が変わらないのはおかしいと。
では、「自分が変わると、相手も変わる」は嘘なのかというとそうではなくて、
「相手は変わらない」と深々とあきらめることが「自分が変わる」の意味。
いままでは変わってくれないかな、と少々は相手に期待していた、
その自分の態度を変えて、「相手は変わらないもの」と心底から断念する。
相手に期待することをやめる。これが「自分が変える」の本当の意味で、
自分が相手にまったく期待しなくなると相手が変わったように見えてくる。

「だから、「自分が変われば、相手が変わる」ということは、
自分が変われば、相手を見る自分の見方が変わる、ということです。
相手そのものが変わるのではなしに、
自分の見方が変わるのです」(P187)


部下を変えようとか会社を変えようとか、
毎日思っている熱烈社員のストレスってすごそう。
部下は脅えるだけだし、会社は集合体だからひとりの働きかけでは変わらない。
でも、それは部下が悪いせいだ、会社が悪いせいだと思って、
さらに部下や会社を変えようとする。
いつかストレスでダウンしてしまうのではないのだろうか。
部下は変わらないし、会社はこんなもんだとあきらめたら、
少しはリラックスできるのだろうが、
むかしから仕事についてある種の職人的洗脳をほどこされてきたものは、
毎日しんどいことばかりだろう。
部下を変えよう、会社を変えようと思うが、部下も会社も変わらない。
それどころか部下は自分から離れていく。
自分の休みの日には部下全員がニコニコして自分の悪口を言っていたりしたら、
自分の努力や情熱はなんだったという絶望に襲われかねない。
「相手は自分の思う通りには変わらない」と気づくことが、
「相手に対する自分の見方」を変える適切な方法なのだろうが、
それがわからないとつらい。

はあ、やれやれ。
人生、どう生きたらいいんだろう。たとえばABふたつの選択肢があったとする。
ひろさちや先生はAでもBでもどっちでもいいのでは? という方針らしい。
サイコロでも投げて決めたらいいという。
理由はAとBのどちらがいいかは、いまの段階ではわからないからである。
要点を整理すると、たしかにそうなんだよなあ。
1.未来がどうなるか、われわれには分からない。
2.したがって、欲得計算にもとづいて未来を設計しても無意味である。
3.AとBのどちらがいい(=得)かは不明。ならばA、Bどっちでもいい。
わたしだって1週間まえはいま自分が鼻と肋骨を折っているとは思ってもいなかった。
それにしても肋骨が痛いぜ。
いったいこれから人生どうなるのかしら。
どのみち、なるようにしかならないのだろう。

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