「河合隼雄全対話10 心の科学と宗教」

「河合隼雄全対話10 心の科学と宗教」(河合隼雄/第三文明社)

→河合隼雄さんの本が好きなのは、本当のことを語っているからである。
河合隼雄は臨床(心理療法)体験で知りえた本当のことを
職務上の守秘義務ゆえ語れないから、
本当のことをウソというかたちで公開している。
実際現実問題、本当に本当のことは言葉にできない。言葉にしたらウソになる。
しかし、そのウソを見たら本当のことを語っているかどうかがわかるともいえよう。
河合隼雄が本当のことをウソとして語っているとわかるのは、
わたしもまた一生語ることがない本当のことを秘密としてキープしているからだろう。
本当のことは秘密にするほかなく、あえて言語化するならウソとして語るしかない。
わたしが人生で体験した本当のことを書いてもだれも信じてくれないはず。
そんなことはありえないという言葉でばっさり断裁されることだろう。
結局「本当のこと」とは多数派庶民がマスメディアから洗脳され信じていることだ。
本当はそうではないということは、
庶民それぞれが実験して結果を検証してみるほかない。
禅ではこのことを冷暖自知(れいだんじち)というらしい。
なんのために生きるのかという青臭い問いがある。
40歳の老いぼれのわたしがいまのところ行き着いたと思っている解答例は実験だ。
人生は実験かもしれない。
本当はどうかそれぞれ実験(冷暖自知)するのが人生の実相ではないか?
さあ、だれもしたことのない実験をして、その結果を自分の目で観察してみよう。
他人の実験結果を妄信するのではなく、
自分で実験してみたら結果は自分の目にどう映るか?
日本におけるユング学問研究の最高権威であられた、
京都大学の科学者で高名な心理学者の河合隼雄氏はおっしゃる。
人生は実験だが、しかし――。

「対象から自分を切り離した自我が自然なりモノなりを観察する。
そういう態度によって、自然科学はその頂点に来てしまうと、
人間はものすごく孤独になります。
自分一人だけになってどうして連なっていくのか分からなくなってしまいます。
そういうことを考えたとき、一つは理論物理学がすごく進歩しました。
そして理論物理学が進歩すればするほど、
いままでの合理的体系で矛盾のない言い方をしても掴(つか)まえられない。
よく言われることですが、
光を粒子としてみれば粒子としてもみれるし、波動としてみれば波動としてみれる。
観察者の存在と自然現象は切っても切れない関係に
あるということが自然科学の最先端の理論物理学で分かってきました。
また片方は、心理学の方で、
初め人間を対象として扱って成り立っていたわけですが、
われわれの心理療法の立場で考えると、
人間の心を単純に観察するというのではなくて、
こちらの心の動きと相手の心の動きと関係していたり、
またこちらが意識していなくても、
相手の心に影響を持っていたりということが分かってきます。
つまり、こちらの見方によって相手の心が変わってきます。
不思議なことに、心の理論とモノの最先端の理論が
だんだん歩みよっていくところが出てきた」(P6)


通俗成功哲学の本はいっぱいあるが、現実で実験したらあれらは誤りかもしれない。
あなたやわたしがいまする人生実験は、
過去にだれもしたことのない一回かぎりのトライで結果はどうなるかわからない。
絶対にしてはいけないとされていることをして、うまくいくことだってわんさかある。
通俗権威にしたがい(彼ら群盲の象徴として)、
居丈高に怒っている上司に逆に正反対にも怒鳴り返したらどうなるか?
そんなことをやった人はいないから、結果どうなるかはわからない。
河合隼雄の本を読めば読むほどわかるのは、「わからない」ということである。
なにをどうしたらどうなるのかは、実際問題だれにもわからない。
みんなわかったふりをしている。
わかったふりをして自分は「正しい」とこしゃくにも思っている。
こざかしいプチ正義のやからがじつのところいちばん迷惑なのかもしれない。
わたしがもっとも嫌いなタイプの人だ。河合隼雄もそうだったのではないかしら。
なぜなら、まさにまさしく、わたくしこそがそのタイプの人なのかもしれないのだから。

「僕はよく言うんですが、交通法規を完全に守って運転する人があるでしょう。
そうすると周囲がみな事故を起こすわけですよ、いらいらしたりなんかして。
本人は、
「私はちゃんと交通法規を守っていますから無事故です」と威張っているけど、
実はあっちこっちに事故を起こしていて、本人は気がついていないわけですね。
そういうタイプの人もおられます」(P103)


赤信号を渡らない人が正しくて偉いことになっている。
赤信号を渡った人を注意する人が正義ぶって偉ぶっている。
わたしは赤信号を渡っている人を見てもなにもいわないだろう。
だれも一歩ふみださない自動車往来のない横断歩道の赤信号を、
まずいちばんはじめに前進するのがわたしの使命のようなものかもしれない。
それは勇気のせいでも愚昧のせいでもなく、
ただただ永遠(死)から見たらそんなちっぽけなことはどうでもいいからである。
ためしに赤信号を胸をはって渡ってみよう。威風堂々と。

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05/31 17:37
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