「地域リハビリテーション」

「地域リハビリテーション」(長谷川幹/岩波アクティブ新書)

→パンダ的視線で言わせていただくと、
人間ってどうして人様の役に立ちたがるんだろう。
パンダなんて放っておけば自然消滅するくらい無能なのに、
みんなから愛されて役に立っているじゃないですか?
リハビリ病院に入るような患者さんは、
自分が役に立たなくなったことに最大のショックを受けることが多いらしい。
たしかにそれまで人を「役に立つ/役に立たない」でしか見てこなかった、
いわゆる有能な企業人が要介護状態になったときの動揺を想像すると笑え、
いやいやいや、笑うなど、と、と、とんでもなく同情いたします。
どうしてかと言うと、そういう人がいちばん嫌いなのは人から同情されることだからね、
なんちゃって、アハハ、ジョークっすよ。
べつに役に立たなくてもいいって思うけどなあ。
だれかが自力で用を足せなくなるから介助するものが必要となり、
その相手の人の役に立つことができる――そう考えるならば。わかりますか?
役に立たない存在が、人の役に立ちたがるだれかの役に立っている。
「ご迷惑をおかけして」は人の役に立ちたい人の役に立っているとも言えるわけ。
これは屁理屈で開き直りが過ぎるかもしれない。

ふたたびパンダ目線でものを言うと、
どうして人間って一般的に人の世話にはなりたくないのに人の世話を焼きたがるの?
わたしはパンダなので、けっこう人のお世話になっても平気な野獣メンタルがある。
おかげさまで生きているようなところがあり、
かといって人間様にお辞儀するわけでもなく、
パンダのようにのほほんとナチュラルにテンネンに生きているけれど。
それでも人間の部分が残っており、いろいろ考える。
どうして人は人の役に立つことを善だと考えるようになったのだろう。
この考えのせいで、人の役に立たないリハビリ病院患者は悪となってしまう。
もちろん、これは理念のうえの話で、実務介護なんて当方には想像も及ばぬ世界。
リハビリ病院に勤務している人はただただ尊敬するし、給料を上げてやれと思う。
みなみなとても美しい彼(女)らの心中に人の役に立つ喜びがあるのなら、
金の話にしてしまうのはよくないのかもしれない。
ペットの犬や猫って飼い主の役に立っていないのに(高額品ならブログで自慢できるか)、
しかしその役に立っていない無能性が役に立っているところがあるように思う。
わたしは犬も猫も嫌いだけれど。
要介護患者は犬や猫ではなく、わがままを言う人間だから話は別次元なのはわかる。

どうして人間って人に役に立ちたがり、自分がいかに役立つかを誇るのだろう。
その思考で突き進めば、要介護状態のやつは死ねっていう理屈になる。
でも、現代日本は(むかしは姥捨て山の)役に立たない老人が多く生かされている。
いまの日本って奇跡的な助け合い社会なんじゃないかなあ。
いったい役に立つ社会的有能な人はそんなに偉いのだろうか?
役に立たない人も「役に立たない人」の役をすることで
人様の役に立っているのではないか?
「おまえは役立たずだ」と言われたときに、こんな言い訳をしたら殴られるからご注意あれ。
「ぼくはパンダなんだも~ん」という回答のほうがまだましだろう(いや蹴られるぞ)。
リハビリとは役立たずを少しでも役立つように変える医療行為。
でもさ、ヤクザが悪人の役をやっているように
患者も被介護者という役を演じていると考えたら、それほど役立たずでもあるまい。
「役立たず」は「役立たず」の役を演じているのかもしれない。
わたしはどうしてかあまり人の役に立ちたいという願望がないことの
言い訳をだらだらしてみました。
全国の医療従事者のみなさん、とくにリハビリ病院ご勤務者、ご苦労様であります。
あなたたちは偉い。
――うん? 人の役に立つことが偉いのか? という堂々巡り。

さて、本書を読んで知ったがリハビリは医者のすることがほとんどないらしい。
リハビリ医療では医者が役立たずなのがおもしろい。
権威として存在しているだけでいいんじゃないですか?

「かつて結核などの感染症には薬が効果を発揮して
治癒することができた時代に中心的な役割を担ってきた医師は、
診断、治療(治癒)は得意な分野であるが、
治癒せず障害が残った場合にどうするのかという方法論は、
残念ながら未だ未整備である。
そのため、リハビリテーションに関わる医師は少ないのが実情である」(P16)


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