弱いほうが強い

いま山口組が分裂をはじめたようだけれど、ヤクザが怖い理由は社会的に弱いから。
かつてのヤクザは被差別者や欠損家庭出身が多かった。
そういうはぐれものは、捨てるものがない弱者だから逆に強く出られるのである。
ヤクザと大企業幹部が一対一で交渉したらどちらが勝つと思いますか?
ヤクザは守るものがほとんどないけれど、
エリートは守るもの、捨てられないものがあまたある。
結果として社会的には弱いほうのヤクザが強いはずのエリートに勝つのである。
この考えをすすめていくと、ヤクザよりも強いのは無職、ニート、ひきこもりだ。
いくらならずものの末端暴力団員とはいえ、どこかに所属しているわけでしょう?
守るべき友人、恋人、家族がいる恵まれたヤクザもいよう。
ヤクザなんかそこまで怖くはなく、
しょせん承認欲求の奴隷の組織人と言えなくもない。
無職、ニート、ひきこもり、孤独な片輪者が本気になったら、
ヤクザでさえ(群れの一員ゆえ)及び腰(ごし)になる。逃げ腰になる。
ヤクザにも勝てるのが(弱いとされる)無職、ニート、ひきこもり、障害者(身体知的精神)。
(社会的に)弱いほうが(現実的には)強い。
何度でも繰り返したいが――。

弱いほうが強い。

弱いほうが強いのならば障害や低身分、低収入、欠点、短所は強みになろう。
友人がいないのも恋人がいないのも、その人を強くする。
捨て子で友人恋人ともにゼロの軟弱無業者と、
家族持ちの富裕リア充ヤクザが生き死にレベルで喧嘩をしたら勝つのは前者だと思う。
守るものがないなにもかも捨て切った社会的弱者はヤクザよりも強い、
ある意味で「無敵の人」なのかもしれない。
社会常識には反するだろうが、あたまのすみにでも残しておいてください。
なにかって、それはしつこいが弱いほうが強い。
公務員と無職が生死をかけて喧嘩をしたらどちらが勝つかを考えてください。
この世への執着が少ないほうが無茶をできるから圧倒的に強い。
ヤクザの鉄砲玉だって、群れている人恋しい組織人と言えなくもない。
本当に怖いのはもはや失うものがない無所属な失業者、社会不適合者、落ちこぼれ。

ならば、社会的弱点こそむしろ強みではないか?
社会的に上に行けば上に行くほど守るものができて(捨てられない!)弱くなる。
強くなりたいがための上昇志向(権力志向)はあんがい矛盾しているのかもしれない。
「矛盾こそ正義」だからそれでいいのだが。
ヤクザがなぜ強いかといったら、守るものの少ない、人生を捨てた人だからだろう。
そのヤクザよりも強いのがじつは孤立無業者(スネップ)なのだ。
守るものがいっぱいある大学教授となんにもないフリーターは、
一見すると学者のほうが強いように思えるが(たしかに社会的にはそうだが)、
いざ一対一で対面したら社会的弱者のほうがはるかに強いのである。
だから、肩書のあるものは一対一の勝負に出てこないでつねに群れている。
なぜなら、矛盾するけれど――。

弱いほうが強い。

実際的には現実問題としては、
一対一(タイマン)に行けるものほど強いという理屈も通ろう。
弱いものほど群れて相手を囲もうとする傾向がないとは言えまい。
ぶっちゃけ、わたしと一対一で酒を飲むなんて怖いでしょう?
酒を飲まなくてもタイマンを張る(一対一で逢う)のでもビビる人が少なくない。
正直、勘弁してと思うけれど、
(一対一で)逢いたいと言われてドタキャンされることがけっこうある。
こういう論理を突きすすめれば、
男女ふくめてわたしと一対一で対面したことがある人は相当に強い。
わたしは弱いから強い。強い人は強いから弱い。
そうだとしたら、弱さを恥じて強くなろうとするばかりがいいとは限らないことになろう。
弱さを誇るという精神も生まれよう。正社員もいいが非正規もいい。
どっちもいい。どっちでもいい。なんでもいい、と言えなくもない。
死を怖がらない無鉄砲なテロリストほど強いものはいない。
チンピラもヤクザの組長になれば弱くなる(具体的には「憚りながら」のようにさ、あはっ)。

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